カルメン・マキ&OZ

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    68年に、「時には母のない子のように」をヒットさせたカルメン・マキが、70年代の訪れと共に、フォーク・シンガーから変身。71年にはブルース・クリエイションとレコーディングした『カルメン・マキ/ブルース・クリエイション』をリリース。その後72年に、春日博文(g)や鳴瀬喜博(b)などと結成したのが、カルメン・マキ&OZだった。
    メンバー・チェンジを繰り返しながら、75年になって、『カルメン・マキ&OZ』でデビュー。翌年には、マキ/春日/川上茂幸(b)/川崎雅文(key)/久藤賀一(dr)というラインナップで、L.A.レコーディングした『閉ざされた街』を、77年には『III』をリリース。しかし、アルバムごとにメンバーが違うほど、ラインナップが固定されていたわけではなく、春日博文とカルメン・マキの2人だけが不動のメンバーだった。
    1stアルバムに収録されていて、シングルにもなった「午前1時のスケッチ」がヒットしたほか、後に中森明菜もアルバムのなかでカヴァーした大作「私は風」など、ハード・ロックとプログレッシヴ・ロックに、リリカルなメロディを加えた作風で、当時のロック・ファンに圧倒的な支持を受けた。ジャニス・ジョプリンの影響を受けながらも、後に東京おとぼけキャッツを率いて、エンターテインメント・ロックの先駆けとなった加治木剛のセンチメンタルな日本語詞が、マキの美しいルックスにマッチ。日本で初めての本格的な女性ロック・シンガーとして、絶大な人気を誇ることになった。
    しかし、3rdアルバムのリリース前に事実上の解散状態におちいり、解散後1年という時間がたってからリリースされた78年のライヴ・アルバム『CARMEN MAKI & OZ LIVE』での迫力ある名演に、改めてその解散を惜しむ声が高くなった。後のSHOW-YAを始めとする、女性ロッカーたちに与えた果てしない影響力とインパクトは、残された数少ない音源からも充分に伝わってくることだろう。 (大野祥之)

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