ザ・スターリン

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    日本で初めてのストリート・パンク・ムーヴメントだった東京ロッカーズの季節が一段落し、いささか閑散とし始めていた80年代初頭の東京のライヴ・ハウス・シーンの主役に躍り出たのが、江戸アケミ率いるじゃがたらと、遠藤ミチロウ率いるザ・スターリンだった。とりわけ、豚の頭や臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、挙げ句は全裸になりステージから放尿し、客にフェラチオをさせるといったスキャンダラスなライヴで脚光を浴びたザ・スターリンは、完全に一時代を築いたと言えるだろう。
    山形のフォーク少年だった遠藤ミチロウが上京し、ザ・スターリンを結成したのが80年。当時ミチロウはすでに30歳だった。2枚のシングルと破天荒なライヴで評判を高め、81年12月に発表した1stアルバム『トラッシュ』は、当時の自主制作盤としては破格の3千枚を即座に完売し、鳴り物入りでメジャー進出を果たす。『ストップ・ジャップ』(82年)、『虫』(83年)の2枚のアルバムはオリコン・チャートに入るほどのセールスをあげたばかりか、日本のパンク史に残る傑作となった。とりわけ『虫』の、UKハードコアに通じるスピーディでハードなパンク・ロックは、内外の若いパンク/ハードコア勢に深刻な影響を与えた。またバンド名に象徴されるシニカルなユーモアと諧謔のセンスに富んだ歌詞の切っ先鋭いセンス、巧みなメディア戦略もあって、ミチロウおよびザ・スターリンは時代の寵児として80年代前半のサブ・カルチャー状況をリードしたのである。
    6枚のアルバムを残して85年にザ・スターリンは解散するが、88年、定冠詞のない"スターリン"として復活。だがこれまた6枚のアルバムを残して93年に活動停止。その後ミチロウは自らの原点に戻るように生ギター弾き語りのフォーク的アプローチでライヴ中心の活動を続けている。01年2月にはザ・スターリンのトリビュート・アルバム『365』発売記念イベントで、一夜限りの再結成ライヴがおこなわれ、ミチロウの衰えぬパワーとエネルギーを見せつけた。 (小野島 大)

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