ムックが自身の海外でのライヴ体験を
反映させて、バンドアンサンブルを押
し出したアルバム『球体』

ここ2週ほど、結成20周年、すなわち1997年に結成されたバンドの名盤を紹介してきたが、今回はムックを取り上げる。歌謡曲やフォークへのリスペクトを感じさせるメロディーを激しいロックサウンドと融合。さらにはダンスミュージック、民族音楽、電子音楽と、様々なジャンルも取り込んで独自の音楽性を確立し、海外でも評価の高い4人組である。タイミングよく彼らの全国ツアーの初日を拝見することもできたので、そのミニライヴレポート付きで、傑作『球体』を解説してみた。

変化自在に音を編み上げる4人

2月11日、ムックのライヴを観た。『MUCC 20TH ANNIVERSARY 97-17 羽化 -是朽鵬6極志球業シ終T脈殺-』の2日目。その前週のTSUTAYA O-EAST公演がFC会員限定だったので、MCでメンバーも言っていた通り、実質、この日が初日だったと言える。当日はこの冬、最強の寒波が日本列島を襲来。北陸から中国地方にかけて記録的な大雪に見舞われ、鳥取では車や列車の立ち往生が相次いだ。会場の新潟LOTSのある新潟市での降雪はほとんど見られなかったが、それにしてもTシャツ1枚で外出できるような気温ではない。しかしながら、オーディエンスでパンパンに膨れ上がった会場内の空気は別。ライヴ開始直後から場内後方でジッと見ているだけでも上着の必要はなかったし、終盤は熱気で若干の息苦しさを感じたくらいだ。モッシュ、ステージダイブこそなかったが、頻繁にクラウド・サーフィング、サークル、ヘッドバンギングが繰り広げられ、観客の体温が会場の温度を上げていったのは間違いない。オーディエンスには男子も少なくなかったが、それらの行為を行なっていたのはほとんど女子。これには正直、おっさんは面を食らったが、まぁ、有り余る元気は発散させた方が健全ということだろう(?)。
会場内をアツアツにさせたのは、オルタナティブであったり、パンク的、ハードロック的であったりする彼らのラウド系ナンバーであったことは言うまでもないが、聴きどころは──あくまでも個人的には…と前置きするが、それら以外にあったと思う。まだツアー中故に具体的な曲名は挙げないが、ファンキーなリズムなアレとロカビリーなアレ。さらには、オルタナはオルタナだがミディアムならではのグルーブが発揮されたアレと、本編ラストに披露されたアレである。密集系のサウンドではないからこそ、各楽器の重なり方=バンドアンサンブルを容易に捉えることができて、実に興味深かった。スピーディーな楽曲との対比、落差があってこそのインパクトと見ることもできるが、それにしても彼らのキャパシティーが広い証左でもあろう。テンポの速いビートに乗せられたノイジーで大きな音──ロック最大の快楽であるそうしたサウンドのみならず、基本的には4人で変化自在に音を編み上げていく様子は流石に20年選手。貫禄を感じさせた。そんなことを思いながらムックのライヴを観ていて、思い出したアルバムがある。『球体』である。

4人の音のアンサンブルを強調

正直に白状すると、筆者はムックをデビュー以来追いかけていたわけではないので、はっきり言って筆者は半可通である。だが、それでも彼らの音楽性が幅広く、アルバム毎に差異があることくらいは知っている。4th『朽木の灯』ではダークな世界観が前面に出ていたが、5th『鵬翼』ではメロディアスな方向へ行ったとか。10th『カルマ』で取り入れたデジタルとダンスビートを、11th『シャングリラ』でさらに発展させてそれ以前のムックらしさと融合させた一方、12th『THE END OF THE WORLD』は定評のあるメロディーを押し出した上でコンセプトアルバムに仕上げたとか。とりわけ、同期を大胆に配した8th『志恩』から9th『球体』への変化は、ファン以外にも少なからずインパクトを与えたようだ。何でも当時、メンバーが『球体』を知り合いのミュージシャンに聴かせたところ、「どうしたの? 何が起こったの?」という反応が返ってきたというから、バンドを知る人にはなかなか衝撃的だったようである。筆者もその口であり、だからこそ、ムックの名盤として『球体』を推したいと思う。後述するが、先ほどのライヴでの緩急の話もここにつながる。
『球体』はヴォーカルを含め、ギター、ベース、ドラムという4つの音のアンサンブルを強調した作品だと思う。まず、それぞれのパートの圧しが強い。ずばり、ハードロック、ヘヴィメタル色の濃いバンドサウンドが聴ける。M2「咆哮」、M4「ハイドアンドシーク」、M6「レミング」、10「空と糸」がまさにそれで、分厚いギターサウンドは聴いていて自然とアガるものだ。これには彼らが2005年から海外公演を始め、2007年には来日したGUNS N' ROSESのオープニングアクトを務め、2008年には3カ月間に渡って欧米ツアーを展開と、海外のバンド、オーディエンスと対峙してきたことが大きく関係しているという。メンバーは“海外のバンドのライヴは楽しみ方が日本のバンドのそれとは違う”と感じたそうで、ムックらしさは固持した上でライヴ感=ステージでの楽しみ方が音源に表れたものらしい。そのムックらしさとハードロック、ヘヴィメタル的なテイストは相性が良く、独特のダイナミズムを生んでいる。また、上記楽曲とは若干異なるが、M3「アゲハ」ではラウド系サウンドや、M7「オズ」には70年代の匂いがあり、これらからもムックのロックバンドとしての矜持が感じられるところである。
そうした各パートが全体に等しく前に出た密集感のあるサウンドだけでなく、比較的テンポがゆったりとした楽曲にこそ、バンドアンサンブルの妙を感じられる。ミディアムだがリズム隊はわりと忙しく動き、それでいてヴォーカルとギターは緩やかに繰り広げられるM5「陽炎」。この楽曲のバンドアンサンブル、そのせめぎあい方にムックの懐の深さを見ることができるが、アルバム『球体』を象徴する1曲となるとM9「讃美歌」ではなかろうか。パッと聴き、演奏はシンプル。しかも、7分以上に及ぶ楽曲ではあるが、それが淡々と続いていく。と、言葉だけなら、前述したダイナミズムあるサウンドとは対極にあると思われるかもしれないが、むしろ、力強さを感じるのはこちらの方であろう。どちらかと言えば手数の多いタイプのSATOち(Dr)はほぼマーチングビートに徹し、ミヤ(Gu)のギターも単音弾き。YUKKE(Ba)のベースはそのふたつをつなぐ役目をしながらも、音数は少ない。そして、逹瑯(Vo)の歌もこれまたシンプルだが、サビは大胆にファルセットを取り込んで、文字通り、宗教音楽的な雰囲気を醸し出しており、それらが折り重なって進んでいく緊張感は相当なものである。Led ZeppelinやEaglesのバラード、あるいはプログレバンドの名曲を彷彿させるとは大袈裟な物言いであろうか。いや、決して見劣りしないスリリングさであると思う。先日拝見したライヴでもそうだったように、ハードロック、ヘヴィメタル色の濃い楽曲群がM9「讃美歌」を際立たせたとも言えるし、M9「讃美歌」のようなアンサンブルが取れるほどのバンドの成熟がハードなアプローチを可能にしたとも言える。いずれにせよ、ムックのポテンシャルを如何なく示していることは疑いようがない。

歌詞に見る現状打破の意志

《響かせろこの決意を》《馬鹿げてる 狭い箱の中のジレンマ/ありふれた空の下で 弧を描いた》《抜け出せよ ここから》《今 この声が聞こえるか》《決意の時がきたのなら/声枯らして叫べ》(M2「咆哮」)。
《飛び出せよ ここから今すぐ/そう響かせるこの声は》《ここから始まる/この世界の壁を 打ち砕け今すぐ》(M6「レミング」)。
これらの歌詞から想像するに、少なくとも当時のムックにはブレイクスルーの意識があったようである。それはムック自体が次の次元に進まんとする意志でもあり、海外でのライヴを経た彼らが“日本のロックバンドももっと海外へ出るべきだ”といった意識もあったのかもしれない。あるいは、ムックの音源を聴き、ライヴに足を運ぶオーディエンスに対する啓蒙だったのかもしれないが、いずれにせよ、何かしらの現状打破を訴えていた。この姿勢はロックバンドとしては極めて真っ当で、そのストレートさは大いに買いたいところだ。また、アルバム『球体』はルネ・マグリットかサルバドール・ダリかという抽象画にゴシックをあしらったようなジャケットにも注目したい。砂漠に球。これは当時バンドが置かれている状況に重ねたものだという。“どこへでも転がっていける球体に魅力を感じた”ということだったが、それが砂漠にあるというのは何とも意味深だ。この辺にもバンドの意志が感じられて何ともいい。なお、この球体は最初のアイディアでは卵だったらしい。当時、リーダーのミヤは“砂漠にポンと卵が置かれているという、現実と非現実が交じったような世界観が好きなんです”と語っている。卵とは何かしらが胎動しているメタファーとも見ることができるし、上記の現状打破ともつながるところではある。ちなみに、最新作『脈拍』には「孵化」という楽曲がある。『球体』から約8年。ムックは何かしらの殻を破った=ブレイクスルーを果たしたようではある。

著者:帆苅智之

OKMusic編集部

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