取材:石田博嗣

自分にとって大切なものを思い出してく
れるとうれしい

歌うことになったきっかけは島唄?

はい。ポップスも好きだったんで、友達とユニットを組んだり、カラオケでいろいろ歌ったりはしてましたけど、“人に向けて歌う”ということを始めたのは島唄からです。島唄は奄美から鹿児島に出てから興味を持ったんですけど、兄が趣味でやってて…奄美料理のお店があって、“島唄を歌う仲間”みたいな人たちと毎週そのお店に集まってウタアシビをやってたんですよ。ウタアシビは“唄遊び”って書くんですけど、まさに“唄で遊ぶ”っていう感じで、そういう交流をしながら島唄を覚えました。で、鹿児島であった『アンアートラバー』というイベントで島唄を歌っていた時に、今のレコード会社の方に声をかけていただいたんです。

ずっとプロになりたい気持ちはあったのですか?

なかったです。鹿児島県を出る気もなくて…ピアノを3歳からずっとやってて、高校もピアノ科だったんで、県内の大学に行って、音楽科に入って、大学を卒業したらピアノ先生かピアニストになろうと思ってました。だから、思ってもなかった方向に人生が変わりました(笑)

確かに(笑)。そして、「アイツムギ」でデビューするわけですが、この曲をデビュー曲に選んだ理由はあるのですか?

私だけで選んだのではないんですよ。でも、一番最初にみんなに聴いていただく曲として『アイツムギ』が決まった時に、“やっぱり、この曲だ”って心の中で思ってました。この曲はサビの2行以外全部同じメロディーなので、すぐにメロディーを覚えたし、歌詞もすごくメッセージ性が強い…強い言葉では言ってないんですけど、説得力があるというか、す?っと入ってきて…そう! メロディーも歌詞もす?っと入ってきて不思議な曲だと思ったんです。

そんな曲をどんな気持ちで歌おうと思いました?

“誰に出来ようか”って強い言葉じゃないですか。でも、メロディーはやわらかいので、私もやわらかく歌って、でも芯のある、説得力がある声で歌おうと思いました。

やさしく語りかけるような感じですよね。

そうですね。自分にとって大切なものを思い出させてくれる曲だなと思ったんで、聴いた人も自分にとって大切なものを思い出してくれるといいなと思ってました。

カップリングの「ピアノ」は?

この曲は…うれしかったです。ピアノは3歳の時からずっと弾いてて、一番身近にあったものなので、ピアノをテーマにした曲をいただいたことがすごくうれしかったんですよ。

歌の感じは「アイツムギ」と違いますね。

私は曲に合わせてキャラクターというか、自分が成りきる人間を変えるんですね。だから、『アイツムギ』とはキャラクターが違って…『アイツムギ』はやさしいだけじゃなくて芯のある、ある意味“強い”子だったんですけど、この曲はかわいい感じというか、ちょっと“か弱い”女の子に成りきって歌いました。

この作品でプロとなるわけですが、デビューしたことでどんなことがやりたいですか?

目標はいろいろあるんですけど…いろんなところに行って、小さいステージでも大きいステージでも、たくさんの人に直接歌を届けたいですね。

では、理想としているアーティスト像は?

人の気持ちを人に伝えていける…自分が歌うことで人と人の想いがつながっていく、そんなアーティストなりたいと思ってます。
城 南海 プロフィール

キズキミナミ:平成元年 鹿児島県奄美大島生まれ。奄美民謡“シマ唄”をルーツに持つシンガー。2006年に鹿児島市内でシマ唄のパフォーマンス中にその歌唱力を見出され、09年1月にシングル「アイツムギ」でデビュー。代表曲は、NHKみんなのうた「あさなゆうな」、「夢待列車」をはじめ、NHKドラマ『八日目の蝉』の主題歌「童神~私の宝物~」、NHKBSプレミアム時代劇『薄桜記』の主題歌「Silence」、一青窈作詞、武部聡志作曲・プロデュースのシングル「兆し」など。また、テレビ東京『THE カラオケ★バトル』に2014年7月に初出演以来、毎回高得点をたたき出し、現在、番組初となる10冠を達成。オンエアの回数が重なるにつれ、カバーアルバムを望む声が多く集まり、15年に初となるカバーアルバム『サクラナガシ』『ミナミカゼ』、17年11月には3枚目のカバーアルバム『ユキマチヅキ』をリリース。20年にはディズニー実写映画『ムーラン』の日本版主題歌「リフレクション」の歌唱が決定し、日本版の訳詞も担当。ライヴでは毎年恒例のワンマン公演『ウタアシビ』の他、さまざまな音楽フェスティバル、イベントに出演している。城 南海 オフィシャルHP

OKMusic編集部

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