ホロコーストを生きたジャズ音楽家『
ゲットー・スウィング』ココ・シュー
マン死去:「音楽が私の命を救ってく
れた」

2018年1月28日、ドイツのジャズ音楽家ココ・シューマン氏がベルリンで逝去された。93歳だった。

ココ・シューマンと言っても知らない日本人がほとんどだろう。本名は、ハインツ・ヤコブ・シューマンで1924年にベルリンで生まれた。独学で音楽を学んでいたココは15歳で音楽活動を開始したが、母親がユダヤ人だったココは、ナチスの迫害の対象とされた。

▼ココ・シューマンの演奏。これはもちろん平和な時代の映像だが、明日の運命もわからないゲットーや、いつ殺されるかもわからない収容所では、どのような想いで演奏していたのかと想像を巡らしてしまう。

「ゲットー・スウィング」

ユダヤ人だったココは、1943年に逮捕され、収容所を転々とさせられた。当時のナチスの強制収容所には囚人による楽団があった。ココはドイツ占領下のチェコにあるテレジェンシュタットに送られた。テレジエンシュタットにはユダヤ人の著名な音楽家、作家、芸術家、元軍人などの年配者たちが戦乱を免れるようにした安心で安全な場所であるとナチスは喧伝していた。

実際には、テレジエンシュタットは堅牢なゲットーであり、アウシュビッツや他の収容所への通過点だった。ココはテレジエンシュタットというゲットーで楽団として演奏していたことから「ゲットー・スウィング(Ghetto Swing)」として知られている。

「音楽が私の命を救ってくれた」

1944年にアウシュビッツ強制収容所に送られると、ココはアウシュビッツにあった楽団でギタリストを務めた。

当時、収容所で音楽隊が何をしていたのかというと、1つはナチスの兵士に音楽を聞かせていた。当時の収容所で音楽は兵士にとっても贅沢品だった。

もう1つは新たな囚人が到着した時に音楽を聞くことによって「安全な場所」だと思い込ませたり、労働の行き帰りに囚人が音楽を聞くことによって、しっかり歩かせるようにした。そのために囚人たちによる楽団が強制収容所という「地獄」にも存在したのだ。
アウシュビッツでの音楽団(アウシュビッツ収容所提供)(C) 2018 | Państwowe Muzeum Auschwitz-Birkenau

アウシュビッツでの音楽団(アウシュビッツ収容所提供)(C) 2018 | Państwowe Muzeum Auschwitz-Birkenau

音楽隊に所属していたため、収容所の中でも比較的良い生活をすることができたココは収容所を生き延びることに成功した。ココも生前には「音楽が私の命を救ってくれた」と語っていた。

戦後の1950年にココは家族とともに、オーストラリアに移住したが、1954年にドイツに帰国し、音楽活動を再開。エレクトリック・ギターを演奏した最初のドイツ人だった。90歳までバンド活動を続けていた。
▼生前時にドイツのテレビに出演し、ナチス時代の思い出や音楽について語るココ・シューマン氏(ドイツ語)

佐藤仁

日本だけでなく欧米やアジアのポップカルチャーやエンターテイメント、メディアの動向を幅広く取材。放送作家・番組制作協力も多数。