米田智彦「’90s的音楽」
今回のテーマは「’90s的」。「’90年代リバイバル」と言われて久しい昨今。’90年代は、インターネット以前/以後の転換期でした。アンサーを変に求めず、生き方の開放性が信じられた時代でした。「’90sマインドを感じる曲」「’90sに生まれたルーツミュージック」など、マインドやカルチャーを感じる「’90s的」感覚でミックステープをお届けします。
「クリエイティブ×ビジネス」をテーマに、新たなイノベーションを生むためのメディア「FINDERS(ファインダーズ)」創刊編集長、米田智彦の「’90s的」
U2 『The Fly』
ヒップホップ部門として、僕が愛してこよないビースティー・ボーイズの曲を挙げようかとも思ったが、アレステッド・デベロップメントで鮮烈にデビューし、その後、ソロに転向したスピーチをあえて取り上げたいと思う。
曲名で判るように、この曲は故・マーヴィン・ゲイに捧げられた曲であり、マーヴィンの代表作である「ホワッツ・ゴーイン・オン」のサビをサンプリングして作られている。渋谷クワトロで観たスピーチのライブは今でも忘れられない。ヒップホップという枠を超えて、グルーヴィーな生演奏とインプレッシブなラップ・歌を絡ませるスピーチのステージは他のヒップホップミュージシャン/ラッパーにはない、ヒューマニティ溢れる温かく、感動的なものだった。
The The 『Love Is Stronger Than Dea
th』
80年代のUKを代表するバンド、ザ・スミスのギタリストとして名高いジョニー・マーが一時参加したアルバム『ダスク』(1993年)は、The Theを代表する、90年代の隠れた名盤である。ブルージーなアトモスフィアが全編に漂うこのアルバムの中でも、この曲は、ひときわ、憂鬱さと官能を醸している。そして、アルバムのラストを飾る「ロンリー・プラネット」のサビはこういうフレーズだ。「もし世界が変えることができないなら、君が変われ。もし世界を変えることができないなら、君が変わるんだ。でも、もし君が変わることができないなら、世界の方を変えるんだ」。凹んだ時、この曲を聴くと、「やったるぜ!」となぜか元気が出るのだった。
The Prodigy 『Breathe』
90年代後半、打ち込みやシーケンサーによって強化されていったビートは、やがて「デジタル・ロック(通称デジ・ロック)」と呼ばれるエレクトロニックなアーティストを輩出していく。ケミカル・ブラザーズ、アンダーワールド、そして、このプロディジーがその筆頭格だ。
僕はプロディジーのライブが観たくて観たくて、第1回のフジロックフェスティバルに赴いた。しかし、である。1日目は台風の直撃に見舞われ、ずぶ濡れの中、モッシュの嵐に塗れ、寒さと疲れで死にそうになった。でも、それでも頑張ったのは何より2日目のプロディジーが観たかったのである。なのに!である。フジロック運営から2日目にアナウンスされたのは公演「中止」。僕はその恨みがあったせいもあり、それ以来、フジロックに行っていない。しかし、ダンス・ミュージックの金字塔と呼ばれる3rdアルバム『ザ・ファット・オブ・ザ・ランド』はスポティファイで今でも聴いている。
Portishead 『Glory Box』
91年、マッシヴ・アタックがアルバム『ブルー・ラインズ』を出したことがこのジャンルの起源とされている。前述の「デジ・ロック」との違いは、全体的に、ダウナーで、BPM抑えめな打ち込みサウンドであること。ポーティスヘッドは、マッシヴ・アタック、トリッキーと並び、ブリストルを発祥の地とするトリップ・ホップの先駆者として知られている。ファーストアルバム『ダミー』は350万枚、セカンド・アルバム『ポーティスヘッド』は200万枚のセールスを記録。当時は「こんな根暗なバンドをよくもこんなに売れるな、日本じゃありえん!」と思ったものだ(自分は大ファンだったけれど)。
呪いを囁くようなベス・ギボンズの儚くも美しい声、ダークなサウンドと抑制を効かせたビート。特に僕が好きなのはライブアルバム『ローズランド NYC ライブ』(1998年)。打ち込みと生バンドのフュージョンだけでなく、オーケストラの演奏をバックにした圧巻の演奏である。
米田智彦「’90s的音楽」はミーティア(MEETIA)で公開された投稿です。
アーティスト
ミーティア
「Music meets City Culture.」を合言葉に、街(シティ)で起こるあんなことやこんなことを切り取るWEBマガジン。シティカルチャーの住人であるミーティア編集部が「そこに音楽があるならば」な目線でオリジナル記事を毎日発信中。さらに「音楽」をテーマに個性豊かな漫画家による作品も連載中。