【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#67 歌
手・沢田研二の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

もとを正せば「電車通りから3軒目の沢
田さんちの次男坊」というのが自分の根
っこなんだ

『日本司法支援センター 法テラス』(Vol.2 沢田研二さん/2018.6.28)より

インビュアーからの「デビュー以来、ずっと第一線で活躍されていますが、心がけていらっしゃることはありますか」という質問に対して、沢田は「僕らの世界は上昇志向がないとだめだと言われますが、ある程度のところまで行ったら戻ってくる、そういう冷静さを持つことが必要だと思います」と語っている。それは、沢田自身が「何度か天狗になった」という実体験から生まれた言葉である。もし。そんな驕りが起きたときにどのように諌めればよいのか? その答えが、今回の名言である。このインタビューでは、「僕はもともと引っ込み思案」、「いつも後手後手。今までの人生で、先手必勝ということは一度もありません」、「常に劣等感が付きまとっている人間」などという、沢田の意外な一面が見られる。

沢田研二(さわだけんじ)
1948年6月25日生まれ、京都府京都市出身。1967年、ザ・タイガースのボーカルとして「僕のマリー」でシングルデビュー。2枚目のシングル「シーサイド・バウンド」(1967年)が爆発的なヒットとなり一躍スターダムにのし上がる。さらに、「モナリザの微笑」(1967年)や「君だけに愛を」(1968年)など、躍進は続き名実ともにグループサウンズの頂点の座を射止める。ザ・タイガースは、アメリカの音楽雑誌『ローリング・ストーン』の表紙を飾った唯一の日本人である(1969年)。1971年、ザ・タイガース解散。同年、萩原健一、井上堯之、大野克夫らとロックバンドPYGを結成。1971年、「君をのせて」でソロデビューを果たす。1973年、「危険なふたり」で、約65万枚を売り上げる大ヒットを記録。続いて、「追憶」(1974年)、「時の過ぎゆくままに」(1975年)、「勝手にしやがれ」(1977年/第19回日本レコード大賞受賞)、「サムライ」(1978年)、「カサブランカ・ダンディ」(1979年)、「TOKIO」(1980年)、「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」(1981年)など、歌謡史に多くの名曲と伝説を残す。現在もなお、全国ツアーを行い精力的に活動中。

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