シャウトするサム・クックが聴ける
熱いライヴ盤
『ハーレム・スクエア・クラブ1963』

『Live At The Harlem Square Club 1963』(’85)/Sam Cooke

『Live At The Harlem Square Club 1963』(’85)/Sam Cooke

アメリカの音楽界においてゴスペル、R&B、ソウルといった黒人音楽だけでなく、フォークやロックなど、ポピュラー音楽全般に大きな影響を与えたのがサム・クックその人である。50年代初めにゴスペルグループとして有名なソウル・スターラーズのリードシンガーとしてクックはデビュー、のちにソロ歌手となる。彼は現代につながるポップスやソウルの原型を創り上げただけでなく、ソングライティングの面やレコード会社および楽譜出版社の経営面などでも手腕を発揮した才人であった。また、音楽的にも人種の区別なく、全ての音楽ファンに愛された。残念なことに絶頂期を迎えようとしていた1964年の末、33歳で刺殺されるという痛ましい最期を迎える。今回は彼の死後20年が経ってからリリースされたライヴ盤の傑作『ライヴ・アット・ザ・ハーレムスクエア』(63年録音)を取り上げる。

ゴスペルとR&Bの狭間で

19世紀の終わり頃、アメリカ南部で誕生したブルース、ジャズ、ラグタイムと並んで、ゴスペルもまた黒人音楽のひとつの側面として、以降のアメリカ産ポピュラー音楽の源流となった。言うまでもなく、ゴスペルは宗教音楽である。キリスト教会の中で歌われ、ソロや聖歌隊によるコーラスなどもある黒人独特のスタイルを持つ。白人の宗教歌は現在ではゴスペルとも言うが、元はセイクレッドソングと呼んでゴスペルとは区別していた。それは人種差別からくるものではなく、同じ宗教音楽とはいえ、余りに内容が違うからである。のちに登場するR&Bはゴスペルの影響は受けているものの世俗(商業)の音楽であり、ゴスペル音楽の非商業性とは基本的に住む世界が違うということは認識しておかなくてはいけない。

40年代になるとゴスペル界に世界的な名声を得るマへリア・ジャクソンが登場し、公民権運動やフォークリバイバルともつながりつつ非世俗的なゴスペル音楽が世界的に広まるのだが、その裏ではシスター・ロゼッタ・サープのように、R&Bグループやジャンプグループとも共演する世俗的なゴスペルシンガーも現れ、個性の強いアーティストによっては商業音楽に乗り出す者もいた。しかし、それはひと握りであり、多くのゴスペル歌手はキリストの福音を広めるために地味に活動していたのである。

ゴスペルからポピュラーシンガーへ
転向!

サム・クックは1950年代の始め、ゴスペルの名門グループ、ソウル・スターラーズのリードシンガーとなり、甘いマスクとシルキーヴォイスでゴスペルのアイドルとして若いファンから絶大な支持を得て、シンガー兼ソングライターとしてのキャリアを積んでいく。56年までスターラーズに在籍した後、それまで誰もなし得なかったゴスペル界から商業音楽界に転向する。それまではレイ・チャールズのようにR&Bにゴスペルを取り入れるというスタイルはあったものの、ゴスペル界の大スターがR&B界へ参入することは考えられない出来事だった。

とにかく、クックは転向した。そして、転向した57年にリリースした甘いバラードの「ユー・センド・ミー」はポピュラーチャートとR&Bチャートの両方で全米1位のヒットとなり、ポピュラーシンガーとして大スターとなるのである。なめらかで透き通るような声を持ったクックは、白人黒人を問わず多くのファンを得て、スタンダード曲から自作曲まで、次々にヒットさせていく。そして、彼の自作曲は、のちに多くのカバーを生むことになる。

60年代に入ってからのサム・クックのサウンドスタイルは、オーティス・レディング、スティービー・ワンダー、アル・グリーン、カーティス・メイフィールド、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ロッド・スチュワートなどに大きな影響を与え、サザンソウル、モータウン、ニューソウルなどが生み出されるきっかけとなるのである。それぐらいクックのスタイルは独創的かつスタイリッシュであった。

ポピュラーシンガーから
R&B〜ソウルシンガーへ

彼の50年代のアルバムに収められた楽曲は、まだポップスが中心でR&Bは少なかった。彼のスタイルが変わってくるのは60年代に入ってからのことだ。スタジオアルバムの代表作とされる『トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ』(’62)からだろう。タイトルトラック曲「トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ」はアメリカやイギリスで大ヒットしている。ロック界では73年にロッド・スチュワートが大ヒットさせたので記憶している人も多いと思う。というか、この時高校1年だった僕自身、この曲で初めてサム・クックのことを知ったのだ。アルバムの内容は、当時ダンスホールで流行りまくっていたツイストブームに便乗した売れ線の作品であったが、クックのそれまでにないグルーブ感はR&Bからソウルへの萌芽をほんの少し感じさせるカッコ良いサウンドだった。

この後にリリースした『ミスター・ソウル』(‘63)はタイトルこそソウルとなっているが、前作よりも一歩後退した感じのポップス作品であった。ただ、同時期にリリースしたシングル盤の、特にアップテンポのものに関しては「トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ」に似た泥臭いノリがある。この頃、バックミュージシャンが固定しつつあり、キーボードのビリー・プレストンやレッキング・クルーのメンバーでドラムのハル・ブレインなど、ロック的なキレの良いサウンドになっていたことも、彼が目指す新しい音楽(ソウル)へと近づく大きな要素となっていたと言える。続くアルバム『ナイト・ビート』(’63)も不完全燃焼の感は否めなかった。

「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」
の誕生

64年、彼の生前最後のスタジオ作品となる『エイント・ザッツ・グッド・ニュース』がリリースされる。このアルバムには彼の自作曲の中でも最も重要な「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」が収録されている。この曲は後年多くのカバー曲を生んだというだけでなく、彼のソングライティングがいかに優れたものかを証明するナンバーとなった。この曲はディランの「風に吹かれて」にインスパイアされて書かれたものであり、大きなメッセージ性を持っていた。ある意味で、この曲はその後の黒人音楽が目指すべきひとつの頂点に達していたと言えるかもしれない。そもそも、「ディランにインスパイアされた」と公言できるクックの自尊感情の高さは半端ではない。ただ、このアルバムの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は大袈裟なストリングスのおかげで、原曲の良さが生かされているとは言い難いところが残念だ。

本作『ハーレム・スクエア・クラブ
1963』について

同年、『エイント・ザッツ・グッド・ニュース』に続いて、クック初のライヴ録音盤『アット・ザ・コパ』がリリースされる。この作品は彼が殺害される同じ年の64年7月、ニューヨークの有名クラブ、コパカバーナで収録されたものだ。もちろん、スタジオ録音では味わえない乗った演奏とソウルフルなヴォーカル(喋りすぎだけど…)が聴ける。5分以上ある「トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ」はスタジオ録音と違って、南部ソウルを思わせる泥臭い仕上がりが心地良い。しかし、実はこの前年の63年1月に収録されたライヴがある。それが本作『ハーレム・スクエア・クラブ1963』で、歌い方が彼らしくないとの理由でレコード会社はリリースを見送ってしまい、お蔵入りになったのだ。

彼らしくない歌い方とは何か。実はこれ、彼が垣間見せた黒人音楽家(ソウルシンガー)としての本能が出てしまったのか、いつもの端正で上品なスタイルは封印し、このライヴでは荒削りでソウルフルな歌い方になっているのだ。レコード会社としては、それまでの清純なポピュラー歌手としてのクックのイメージを損ねたくなかったがために、あえてリリースしなかったのだと思う。要するに、白人にも愛されるハンサムなバラディアーで大スターという彼のイメージを、マネジメント側としては守らねばならなかったのである。だからこそ『ハーレム・スクエア・クラブ1963』のお蔵入りが決まってから、改めて彼の元のイメージを大切にしたサウンドで勝負した『At The Copa』の収録に臨んだのである。

結局、『ハーレム・スクエア・クラブ1963』がリリースされたのは20年以上後の1985年であった。躍動するクックのヴォーカルと新時代のソウル音楽到来を予感させるバックの演奏は最高の出来栄えであり、これが20年前に出ていたらソウルの進化は違ったものになっていたことだろう。それぐらい本作は刺激的で新しいサウンドに仕上がっている。おそらく、こちらの本能的にシャウトするクックのライヴを観たり聴いたりしたオーティス・レディングやマービン・ゲイらが、クックのスタイルを参考にしたことで、スタックスやモータウンの「ソウル」に新たな息吹を与えたのだと思う。

収録曲は9曲。オーティス・レディングの代表曲でもある「トライ・ア・リトル・テンダネス」をはじめ、「チェーン・ギャング」「キューピッド」、ロックのカバーも多い「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」(名演!)、そして「トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ」(『アット・ザ・コパ』と聴き比べするのも一興だ)など、クックの名作のオンパレードだ。サックスにはキング・カーティス(いつものようにしっかり下品で◎)、ギターにコーネル・デュプリー(まだ若いからか、残念ながら彼らしいプレイは聴けない)も参加している。

僕はクックの最高の作品はこのライヴ盤に尽きると思う。ポピュラーシンガーとしてのサム・クックしか知らないなら、本作をぜひ聴いてみてほしい。きっと新たな発見があると思うよ♪

TEXT:河崎直人

アルバム『Live At The Harlem Square Club 1963』1985年発表作品
    • <収録曲>
    • 1. Feel It
    • 2. Chain Gang
    • 3. Cupid
    • 4. Medley (It's All Right / For Sentimental Reasons)
    • 〜It's All Right
    • 〜For Sentimental Reasons
    • 5. Twistin' The Night Away
    • 6. Somebody Have Mercy
    • 7. Bring It On Home To Me
    • 8. Nothing Can Change This Love
    • 9. Having A Party
『Live At The Harlem Square Club 1963』(’85)/Sam Cooke

OKMusic編集部

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