左上より時計回り、JILL(Vo)、本田 毅(Gu)、藤田 勉(Dr)、渡邉 貢(Ba)

左上より時計回り、JILL(Vo)、本田 毅(Gu)、藤田 勉(Dr)、渡邉 貢(Ba)

ライヴ活動を行なうアーティストの拠点となるライヴハウス。思い入れ深く、メンタル的にもつながるライヴハウスについて、活動を始めた当時を振り返りながら語ってもらった。
もしかしたら、ここで初めて出る話もあるかも!?

左上より時計回り、JILL(Vo)、本田 毅(Gu)、藤田 勉(Dr)、渡邉 貢(Ba)

左上より時計回り、JILL(Vo)、本田 毅(Gu)、藤田 勉(Dr)、渡邉 貢(Ba)

PERSONZ プロフィール

パーソンズ:1984年結成。87年にリリースしたミニアルバム『POWER-PASSION』がインディーズチャート1位を獲得し、同年9月にアルバム『PERSONZ』でメジャーデビューを果たす。TBSドラマ『ママハハ・ブギ』に「DEAR FRIENDS」が起用されると大ヒットを記録。その後もエッヂの効いたメロディアスでポップなサウンド、そして存在感あふれるヴォーカルで多くの人々を魅了し続け、15年6月には24年振り3度目となる日本武道館公演を開催した。PERSONZ オフィシャルHP

Guest:JILL(Vo)

死ぬまで音楽活動を
やっていこうと思っている

PERSONZについてのお話の前に、JILLさんが音楽をやろうと思ったきっかけを教えてください。

私、まったく音楽とは縁もゆかりもなかったんですよ。だけど、高校に入ってちょっと進路の選択を間違えて…厳しくて、毎日行くことが嫌になってしまって。引きこもりがちになっている私を日本武道館のAerosmithのライヴに友達が誘ってくれたんです。その友達はすごく音楽が好きで邦楽も洋楽も知ってるんですけど、私はAerosmithが人だと思ってたくらいに疎くて(笑)。それくらい何の情報もないままライヴに行って、日本武道館の一番後ろの席だったんですよ。なんとなく盛り上がってるのは分かったんですけど、なんせ当時は照明もそんなに良くなくて、真っ暗な中でギャンギャン鳴ってる感じで。でも、アンコールの「Toys In The Attic」でいきなりバックライトで日本武道館中が見えた時、あまりにみんなが熱狂しているから私も興奮して、“あっち側に行って、この世界を向こうから観たい!”と思ったのが最初ですね。

バンドで音楽をやりたいと最初から思ったのですか?

なぜか“これだ!”とインスピレーションが沸いちゃったんですよ。今まで夢中になるものは1個もなかったのに、“これなら一生やっていけるかもしれない”っていう。

本当にその時の衝動だけで音楽活動を始めたと。

はい。そこからPERSONZのメンバーを見つけるまでは10年くらいかかりましたけどね。17歳の時は一緒にライヴを観に行った友達と女の子バンドを組んでました。スタジオでリハをするところから始まったんですけど、私はじゃんけんで負けたからベースになっちゃったんですよ(笑)。みんな最初は遊びだったんですけど、ドラムの子とはとにかくプロになろうって毎日喋ってて、そこから“絶対なる!”になるんだけど…まだまだ子供だったんですよね。どうやってデビューするのかも分かんないですし。でも、ブームだったので『プレイボーイ』とかの男性雑誌に女子バンドが取り上げられたりしてて、全然演奏できないのに格好だけキメてるみたいな(笑)。当面はそれでやっていたんだけど、女の子は彼氏ができると辞めていっちゃうわけですよ。ドラムの子と一緒に違う子を探してバンドをやってたんだけど、そのドラムの子とも次第に距離が出てきちゃったり…いろいろあって1回バンドを辞めようかなっていうところまでいって。でも、うちの今のギタリストの本田 毅を見つけたっていうのが復活の兆しですね。

PERSONZのホームと言えば新宿LOFTですが、初めて出たのはいつ頃でしたか?

女の子のバンドでベースをやっていた時に、楽器店の企画でやってたコンテストに“やってみないか?”って言われて出たのが初めてで。まだその頃のLOFTは小滝橋にあって(1999年4月に現在の新宿LOFTに移転)、ものすごく古いし、めちゃくちゃ悪そうな感じでした(笑)。そこに高校生が行くわけですけど、煙草の煙がすごいし、午前中からみんなお酒を飲んでるみたいな。

よく出るようになったきっかけは?

本田くんと一緒にやった前身のNOTHING PERSONALっていうバンドがあって、その時から知り合いだった店長に“バンド作ったから出してよ”って言ったら“満杯にするならね”みたいなことを言われて(笑)、“満杯にするから、何でもいいから毎月出させてくれ”って言ったんです。そんな感じで何となく出ることになったんですけど、夜の部で何バンドかいる時とかにAUTO-MODとかBOØWYとかARBとか名だたる人たちが観に来るんです。それで“私たち、わりといいんじゃない?”ってなって、本田くんを本気でやろうよって誘いました。渡邉 貢くんはAUTO-MODをやってて、LOFTのトイレの前でヴォーカルのGENETさんと久々に再会した時に“うちの貢さん使ってよ~”って言われて“いただいていいんですね?”っていただきました(笑)。彼はまだ19歳で、新潟から出てきたばっかりのすごく純朴な青年でしたね。ドラムはいろんな人に手伝ってもらって、必ず月1回はLOFTでやらせてもらってました。

当時のJILLさんはどういう人でしたか?

とにかく派手だったんで、本田くんはヤンキーの人だと思ったって(笑)。ロックをやるためには目立ってないといけないと思って髪も染めてたし、化粧も濃かったし…人をブロックするような感じもあったからみんなからは怖がられてたけど、内面は非常にシャイで。最初に本田くんとは喋れたけど、渡邉くんが入ってきた時は本田くんを通して話をしてました(笑)。今思えば全然人と喋ってないし、怖がられて人から話しかけられもしないという(笑)。

周りの方々はPERSONZのどういうところを気に掛けてくれてたのですか?

未完成だったけど、ARBのKEITHとかもめちゃくちゃ推してくれてたし、周りがなんか盾のようになってくれていて(笑)。でも、やっぱり地道に毎月やってたことかな。1984年に藤田 勉くんが入って、そこからは本当にコンスタントにやるようになって、バンドの度量も上がって、そのたびに人が増えていって。それでLOFTの人から次はワンマンでやってみる?”みたいなのがあったりとか。

そうやってLOFTでの活動でステップアップしていく中で、音楽で食べていこうと決意した瞬間というのは?

LOFTでやり始めた頃から決意はしてましたね。渡邉くんはプロになろうと思って出て来てるからいいんですけど、あとのふたりは大学生だったので卒業する時期に就職するか悩んでいたんですけど、“プロになれるはずだからやりましょう!”って無理矢理手綱を握り、鞭をたまに使って(笑)。それでインディーズのアルバムを作ったのが大きくて。アルバムを出した途端に人が入り始めて、LOFTでワンマン2デイズができた時には全員プロになろうと思ってたはず。その時が今でも振り返ると一番嬉しかった瞬間ですね。

そして、1987年9月にアルバム『PERSONZ』でメジャーデビューをすると。

インディーズ2枚目のミニアルバム『POWER-PASSION』を春に出して、秋にメジャーデビューしました。追い風が吹いて上手くいくことばっかりで、あっと言う間にデビューに至りましたね。いわゆるメーカーのディレクターさんがライヴを観に来るけど、いいところで駄目だったことが多くて…最後にテイチクさんが“帰ろうと思ったんだけど、アンコールが良かった!”って(笑)。ようやく決まったという感じでしたね。

ライヴハウスだからこそ学べたことは何かありますか?

客席が本当に近いので、お客さんが3人の時はどうしようもないんですよ。とりあえずやるしかない。でも、人が増えてきて満杯くらいまでになると、ステージを自分たちで装飾するようになるんですね。透ける紙をステージの前に貼って、後ろからバックショットでシルエットを映して、そこにスプレーで“PERSONZ”って鏡文字で書いて、それを破いて現れたり。それを毎回やってると今度はこっちがつまんないわけですよ。プロジェクタ[q]みたいなのを使いたかったんだけど、当時はなかったから各自の家からブラウン管のテレビを運んできて(笑)。それになぜか『地獄の黙示録』か何かの映画を流したりとか。それをやったあとにたぶん2デイズのワンマンをやって、そのあとにホールに行って…まぁ、卒業制作みたいなものだったのかなって思うけど(笑)。つい4~5年前にも当時の再現でやりましたね。

2015年にはバンドの30周年を記念して24年振り3度目の日本武道館を行なったり、いつまでも夢を持つ大事さなどを伝えていますが、バンドとしてまだまだやっていきたいことはありますか?

死ぬほどありますね。周りを見ても、私たちのようにオリジナルメンバーでやってる同期のバンドって少ないんです。人間関係はもちろん年代によって変わっていくし、それこそ藤田くんと本田くんが大学生の頃には簡単に誤魔化せたことも(笑)、今や大人になって、ふたりともひとつひとつにこだわりを持っているので。だけど、みんなPERSONZをやっていくことに意味を感じているはずだから…前に本田くんが辞めた時は“それでもやる”みたいなのがあったけど、もう今は誰かひとり欠けたらできないです。だけど、いつまでできるか分からないから頑張ろうっていう想いは非常にあって。ライヴハウスにもう一度戻ってやっている時代が長くて、日本武道館も然り、ホールでのライヴが独立してからはなかなかできなかったんですよね。やり方もノウハウも分からないし、今まで事務所とかに全部任せてたのが一気に自分たちにのしかかってきて。でも、イチからやり出して、初期に自分でやってたのとは違うけど、ライヴハウスが横のつながりで協力してくれた時代があって。ものすごく苦しかったけど、ライヴハウスに行くと必ずオーナーがいて“よく来たね”ってちょっといいギャラをくれたりとか(笑)。でも、それでやり続けてた時代も“このままじゃいけない”って頭の片隅で思っていたんですよ。昔からPERSONZはちゃんとホールでもやれるバンドだと思っていたから、いつかLOFTを出ていくっていうイメージがあったし。私の中では2011年の東日本大震災がすごく大きくて。目標を持たないと人間はずっと同じところにいてルーティンワークになっちゃうと思って目標を掲げたんです。でも、メンバーは全員“日本武道館に行くぞ”と言ったって“どうすんの?”ってきょとんとしてて(笑)。当時はShibuya O-EASTくらいの動員だったんで、その日のドキュメンタリーにも収まってますけど、本田くんは“無理だよ~!!”なんて言ってましたね。でも、昔ライヴハウスでやっていた時も目標がメジャーデビューで、そういう目標があるとみんなもどんどん付いて来たし、当時大学生だった彼らも付いて来た。それから30年以上経って“次は日本武道館だぞ!”って言うとみんな“できないよ”って言ってたんだけど、2013年に渋谷公会堂がやれた時点で“もしかしてやれるのかな?”っていう気になってきたんですよ。それがいい感じで回り出して、ファンももう1回観に行こうって来てくれて。今の私たちは50歳をすぎていますけど、LOFTでやっていた頃は50歳をすぎてもバンドをやっているとは思いもしませんでしたよ。やれる目標も見本もなかったんで。自分たちが今そういうところにいるんだなと思ったら、なるべくやり続けるしかないんだと思いました。そういうことでやらなきゃならないことが山ほどありますね。

やれるところまでやるという意識がすごく頼もしいです。

さっき言ったみたいに4人のうちの誰かが病気になったり、倒れたり、死んじゃうこともなくはないから。そうなったらPERSONZっていうのはできなくなっちゃうんだけど、音楽活動は死ぬまでやっていこうと思っています。

なるほど。11月から12月にかけてはシングルコレクションツアー、そして来年2019年の春には大規模なツアーがありますが、その意気込みも教えてください。

今年はたまたまご縁があって、この間もタイや台湾に行ってきました。そういうこともやれるようになっている自分たちが楽しいし、ファンの人も同じように年齢を重ねてきているから、私たちがやっていることを見て元気をもらってるっていうのもたぶんあると思うんですけど。いいかたちで無理をせずにずっとロックをやり続けられたら、きっと若い人たちにもお手本になるような部分がある世代なのかなと思っています。80年代の曲も今やって楽しいものにしたいですね。例えば「BE HAPPY」って曲はもう何百回と歌っているわけですけど、それに新たな命を吹き込んだ「BE HAPPY」にするっていうのは今の私たちの糧であります。「DEAR FRIENDS」にしてみればもう何千回と歌ってますけど、伝えられることは毎回違いますから。EX THEATER ROPPONGIもワンマンでやるのは初めてだし、会場が広くなると広くなっただけ演出がしたくなるんで、それが楽しみでもありますね。それはLOFTから今に至るまであまり変わってないんですよ。鏡を使ったり、風船を持ってきたり…自分の身の丈でできることをやると楽しいし。

お話を聞いていて、元気で居続ける秘訣も得られたと思います(笑)。

本当に、こればっかりは未知ですからね(笑)。だんだん年齢の壁は高くなるような気もするけど、“意外にやれるもんだな”っていうのと、あまり大人になっていない自分がいるっていう実感はありますね。話は変わりますけど、終活作業っていう意味でアーカイブの整理をしてるんですよね。渡邉くんの楽器が十何台もあるんですけど、そういうものを弾ける人たちに継いでいきたいと本人も言っていて。全部倉庫に入れてあるだけでもったいないんですよね。だから、若い世代でこれから弾きたい子がいて、その子が弾けるようならあげちゃおうかなって。楽器も衣装も、30数年やってるとたくさんあるんですよ。それもいつまでも持ってるわけにはいかなくて…楽器はとにかくプレイヤーの人にとっても大きいものだから。今はそういう引継ぎ作業も考えていますので、何か企画があればよろしくお願いします(笑)。
左上より時計回り、JILL(Vo)、本田 毅(Gu)、藤田 勉(Dr)、渡邉 貢(Ba)
PERSONZ
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OKMusic編集部

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