映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食
べたいと思った。』母が遺した“愛の
かたち”に涙する感動の実話

映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』が、2019年2月22日(金)より全国順次ロードショー。
映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』では、母を亡くした家族の感動の実話を描く。原作は、宮川サトシの自伝エッセイ漫画「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」。作者の宮川サトシが実際に体験した、母との最期の日々から葬儀、その後の生活の日々を綴った作品は、2013年にWEB サイト「くらげバンチ」にて連載がスタートすると、Amazon レビューやSNSで話題を呼び、500万PVを記録した。
映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』では、宮川サトシ役に安田顕を迎えて実写映画化。映画『銀魂』『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』『愛しのアイリーン』、ドラマ「下町ロケット」と話題作にひっぱりだこの実力派俳優が、いまは亡き母への愛にあふれる、息子・サトシを熱演する。
母親・明子役は、倍賞美津子が担当。心優しいがゆえに頼りないところがある息子・サトシと対照的に、明るくパワフルな母親明子を演じる。映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』の見所となるのは、亡くなってから1年後、サトシへ贈った母・明子のプレゼントの存在。母から息子へ、息子から母へ、すべての思い出がカタチとなるこのプレゼントは、愛にあふれた感動作に彩りを添える。
母亡き後のサトシを励まし、支える恋人・真里役には松下奈緒。NHK 連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」「まんぷく」で活躍した松下が、サトシに寄り添い、時には叱咤する恋人役を温かい眼差しで演じる。
サトシの兄・祐一は村上淳、父・利明役は石橋蓮司と実力派俳優が集結した。
監督は、『さよなら渓谷』『日日是好日』の大森立嗣。本作では脚本も担当する。人間の心の闇を描くことに定評のある大森立嗣監督は、映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』でどういった人間の心理を切り取るのか。人を温かく包み込む慈愛に満ちたストーリーに期待が高まる。
2012 年・春。最愛の母の火葬場で母の遺骨の前にたたずむサトシは、小さい母のかけらをポケットにそっとしまうのだった。30 代後半、漫画家になる目標がありながら、知人と営む塾の講師として働いていたサトシは、自分の母と永遠に別れる日が来るなんて、思ってもみなかった。子供の頃から泣き虫で病気がちで、お調子モノだったサトシは、いつも明るく、優しく、パワフルな母に救われてきたのだった。

その母が突然がんを宣告されたのは 2 年前の春のことだった。それまで母が自分にかけてくれていた言葉を今度はサトシがかける番になる。「俺がいるから大丈夫だよ、お袋は必ず助かるから」―。サトシは母のためにがむしゃらになり、家族も戸惑いながらも見守るが、がんは進行していってしまう。弱気になりがちなサトシを笑顔にさせてくれたのは、母が病になってからよく家に来てくれるようになったサトシの恋人・真里だった。
2011 年・秋。それまでの自宅治療から入院に切り替わる事になった母は、それでも気丈にふるまい、サトシと真里の結婚を後押ししてくれるのだった。そして、2012 年・春。ついに、その時が来てしまった。病室に駆け付けたサトシは母の命がゆっくり消えゆく前に、「お袋……愛しとるよ。」と伝える。そして家族に見守られ母は安らかに旅立っていった。

一家の大黒柱の存在だった母と別れて、すっかり生きる気力を失っていたサトシ、そして父と兄。それまでしっかりしていた父は酔っぱらって庭に大の字で寝転んだり、兄も母の壊れた形見の時計を肩身放さず身に付けていた。だが、久しぶりに人気のない海で男たち3人だけで集まった時、兄が熱いお想いをぶつけ、3人はようやく新たなスタートをきる気持ちになれたのだった。
2012 年・秋。サトシは念願だった漫画家としてデビューを果たし、結婚した真里と東京に引っ越していた。そして引っ越しがまだ落ち着いていない、ある日、一本の電話がかかってくる。それは、サトシの人生を大きく変える、母からの“驚くべき贈り物”だった……。
映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』
公開日:2019年2月22日(金)より全国順次ロードショー。
出演:安田顕、松下奈緒、村上淳 / 石橋蓮司、倍賞美津子
監督:大森立嗣
脚本:大森立嗣
原作:宮川サトシ「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」 (新潮社刊)