【JAZZギタリストが選ぶ】和久井カツ
ヒデ推しのギタリスト10名

(株)ケイピーエス代表取締役、京都GROWLYオーナーの角田恭平さん(@kyoopees)に、わたくし中尾きんやがインタビューしてきました。
その内容を全文掲載。※動画でのアップはページ下部にあります
京都GROWLYでは7周年を記念したクラウドファンディングが進行中。
現在のライブハウスシーンと昔のライブハウスシーンを渡り歩いてきた経緯、今回のクラウドファンディングにかける想いなどをお聞きしてきました。
・音楽スタジオにあるミキサーの正しい使い方
・【音楽スタジオのアルバイトってどう?】仕事内容や心構え、あると便利なスキルや面接対策について教えちゃいます!
・バンドでボーカルの声が聞こえない!を解消する3つのポイント
・バンドで練習したい!音楽スタジオの使い方
・京都の貸し音楽スタジオ。おすすめ一覧

ライブハウスのスタッフになるまでの経


中尾きんや:いつからこの世界にはいられたのですか?
恭平:完全に大学に入ってからですね。出身は熊本で、生まれも育ちも。高校生まではずっと熊本にいました。そして大学進学でこっちの(京都)立命館大学に出てくることになるんです。熊本の頃は音楽自体好きだったんですけど、田舎すぎて……もちろんライブハウスもないし、楽器屋はあったり、小さなCD屋はあったんですけど……めちゃくちゃ田舎でとにかく「九州を出たい」って思って。バンドがやりたかったんですよ。横浜のほうの国公立大学も受かったんですけど、人が多そうって理由で立命館大学を選んで(笑)。そこで軽音楽部に入って、そのときはコピーバンドを組んで月一回ぐらいライブに出て、大学ライフを満喫できたらいいかなと思って。そして一回生の夏休みのときに、先輩から「ライブイベントを企画するから一回生も出て欲しい」と言われ、「じゃ出よう!」ってなって。それがWHOOPEE’Sだったんですよね。ホールレンタルして。そのときは当時コピーバンドだったんですけど。そのときWHOOPEE’Sの人と仲良くなって「オリジナルバンドとかしないの?」って言われて「したいですね!」って言ってたら「一回うちでライブしてみなよ」と言われ、せっかく誘われているんだからオリジナル曲作ろうってなって、ライブをし始めました。んでそのWHOOPEE’Sの人が現西院GATTACAの店長の山田さん(@che_YMD)でした、当時。それがはじめてのスタートでしたね。
中尾きんや:こっち出てきてからなんですね。バンドにどっぷり関わっているのは?
恭平:一応中学の文化祭のときにはじめて、人前でライブはやっているんですけどね。X JAPANのコピーをしたり(笑)。
中尾きんや:楽器はドラムなんですよね?(笑)。
恭平:ドラムです!(笑)好きでやってたっていうより、学祭のために練習して……って感じですよ(笑)。学祭以外にライブもないのでそれで終了です。高校にいってからは進学校やったので、文化祭で演奏とかNGだったんですよ。一応練習してハイスタとかのコピーバンドはしたんですけど、文化祭は出れなくて……悔しい思いをしました。なんなんですかね……音の問題なのか。でも一回、中学校のときの友達で別の高校に行った友達が「ドラゴンアッシュのコピーするからドラム叩いて」って言ってきたのでその高校でライブしました。それぐらいですね。
中尾きんや:なるほど。それでは19歳ぐらいからライブハウスとかに出入りするようになるんですね。まだそのときはライブハウスで働かれていないんですよね?
恭平:そうですね。でも、わりと早い段階で潜入することになるんです。WHOOPEE’Sにはじめて出てから半年から1年以内には赤士さんという現滋賀U-STONEの店長から「お前も働かないか?」って言われて、それが一回生のときだったと思います。ちょっとややこしいんですけど、その赤士さんは、滋賀のB-FLATとWHOOPEE’S、両方のイベントを組む人だったんです。なので、その環境で働くことになったので、まずB-FLATに入って。現在、下北沢レッグってとこで働きながら、滋賀のフェスEAT THE ROCKを主催している井上かずやさんの下で働くことになりました。
中尾きんや:ハコ(ライブハウス)のスタッフというより、もともとイベンターみたいな感じですか?
恭平:そうです。B-FLATのスタッフなんだけど、B-FLATとWHOOPEE’Sの両方でイベント組む人みたいな。
中尾きんや:当時からB-FLATも盛り上がっていましたよね?
恭平:井上かずやさんがいた頃は、特に。あの人のバンドやってたってこともあったので。
中尾きんや:僕も当時19歳ぐらいだったんですけど、ROTTENGRAFFTYやUVERworldとかよく出てたので行っていましたね。すごく刺激受けたのを覚えています。
恭平:僕も売れる前のUVERworldをB-FLATでよく見ました。お客さんも当時10人ぐらいしかいないときで……。ゴリゴリのラウドミクスチャーみたいなバンドでしたね。当時。

まさかのWHOOPEE’S閉店……そして京都
GROWLYがOPENまで


中尾きんや:そんな19歳のときから、この京都GROWLYはじめられるまで10年ぐらい時間がありますが、そのときの経緯など教えてください。
恭平:ずっとバンドやってて、バンドやりながらその仕事をしていたのですけど、当時のバンドがちょっと調子よくなってきて東京のレーベルとかにはいることになったから「バンドに集中したいのでB-FLATとWHOOPEE’S辞めます」ってなって。その中で大学も行っていたんですよ(笑)。3足のわらじはさすがにしんどいなって思って、まず仕事をやめました。それでバンドと大学だけになったんですけど、その当時大学で三回生から四回生に進級する時に単位が全然足りてなくて、もう「音楽一本に専念したい」っていう気持ちを親に土下座しながら相談して、結局大学を中退することになりました。でも、そうした環境が整った矢先、バンドがいろいろあって僕が脱退することになって。仕事も辞めたし、大学も辞めたし、バンドも辞めて、本当に何もなくなったんですよ。それが21、22才の時で一ヶ月くらいニート生活をしていました。基本的に毎日スロット行ったりとか(笑)そんな生活を一ヶ月くらい続けてたら、もともとブラックボックスっていう名前で、今はオクターブっていう木屋町のクラブの、当時WHOOPEE’Sで働いていた古谷さんから「戻ってこないか?」という電話がかかってきて。最初は乗り気じゃなかったんですけど、何度も誘っていただいて。「じゃあ一回行きます」って言って、そこで話してWHOOPEE’Sに改めて入ることが決まりました。当時はアルバイトで、イベントを組んだり、ブッキング担当って感じで入っていました。それが22才。そこからWHOOPEE’Sで仕事しつつ、別のバンドも始めて、そのバンドでCDを出して全国ツアー回ったり、働きながら並行して活動していました。でも、このバンドもいろいろあって最終的に抜けることになってしまって。それが当時、25、26才くらいで、そのタイミングで「WHOOPEE’Sの店長にならへんか?」というお話をもらって。店長になったのが26才。一応その時、全員僕より歳上なんですけど、古谷さんとか山田さん、今はGROWLYでPAをしている金澤がいて、みんなから推薦されたのが決め手となりました。それでもう自分の中で「店長として頑張ってやっていこう」って気持ちが芽生えて、無我夢中で働きました。それから一年弱たった27才の時に突然WHOOPEE’Sが閉店。
中尾きんや:あれは僕も衝撃的でしたね。ずっと通いつめてたライブハウスが終わっちゃうんだっていう。
恭平:一応簡単に説明しておくと、ライブハウスが入っている建物にはホテルで、地下がWHOOPEE’Sなんですけど。もともとは演奏もできるレストランくらいの規模で、バブルの時代に作られました。実はWHOOPEE’Sのフロアにはカメラがついてて、ホテルの全室で中継できるっていう機能もあったらしいんですよ。ちょろっと見せてもらったこともあったんですけど。それを使っていたのは僕が入るもっと前、大昔。たぶん今から30年以上前ですかねぇ……だからまぁ、ホテルと同じ経営だったんですよ。僕はホテルの社員で、WHOOPEE’S担当。
中尾きんや:あーなるほど、そういう感じやったんですね。
恭平:なんで、ホテルの言うことは絶対みたいな。ユースグループていう大阪とかにもチェーン展開してる大きなホテルグループなんですけど。そのグループから「建物を売却するからもう閉めてくれ」って言われて。それには逆らえないので、閉店という運びになりました。今でもよく覚えているんですけど「8月25日を最後の日にしてくれ」って言われたんですよ。その時は2011年ですね。その報告を受けたのが、7月27日だったんですよ。一ヶ月切ってたんですよ。「いやいや、一ヶ月切ってるやん!みたいな(笑)」なんかもうほんと大急ぎで動きましたね。
中尾きんや:えええ〜!それライブとかのスケジュールは?
恭平:もちろん決まってましたよ。なんなら年明けまでスケジュール決まってましたし、大きいイベントとか。だからもう、とりあえず決まってる人たちに電話して「こういう事になってしまったんで」っていう謝りの連絡をいれました。それこそお世話になってる京都MUSEさんとか、ソクラテスさんとか、すでに決まっていたイベントを移動させてもらって、どうしても土日だったら厳しいところもあったから、大阪でやってもらったりだとか。大急ぎで手配して、そこから閉店の告知を発表したんですけど。そしたら「最後にやりたい」とか「やらせてくれ!WHOOPEE’Sで」っていうとてもありがたい言葉を頂きました。もちろん僕が入る前の人たち、先輩とかからも連絡が来たりして本当に毎日、平日でもデイタイムにイベントやって、その後夜でもイベントやるみたいな(笑)。そんな状況で、寝るのも必死みたいな感じで約一ヶ月過ごしました。当時、出てくれた人たちに「WHOOPEE’Sなくなったらお前どうするの?」って言われたんですけど。本当に何も考えてなくて、とりあえずもう「ちゃんと終わらせれるようにしないと」という気持ちがあったし、ブッカーとしてもハコを移動させてイベントをなんとかしないといけないという責任があった。そこからは自分が振ったイベントだけだったので、まぁ月に10本くらい。いろいろ考えながらやり通して、やっと一息ついて「どうしようかな」という時に、やっぱりWHOOPEE’Sに出てたバンドがやる場所がなくなるじゃないですか、やっぱりねぇ、棲み分けはできてましたし、まぁ各ライブハウスに特色はありますけど、WHOOPEE’Sが担ってた部分を完全に他のライブハウスに分散することは難しいと思ったんですよね。やっぱり、ライブハウスとしての登竜門という立ち位置を僕も作ろうとしていたんですね、当時。まずはWHOOPEE’Sに出て、大きくなったら京都MUSE出る。みたいな流れを作って行きたかったんでそれができなくなったんで、そういうところを新しく作りたいと思って、いろいろ調べてそれを作るためにはお金がいる、お金を引っ張ってくるためには会社がいる、ということで会社を登記したのが11月24日なんですよ。8月25日に閉店したからちょうど三ヶ月後。
中尾きんや:すごいスピードですね。僕も当時を覚えているんですけど、京都GROWLYオープンする時、スタジオラグ西院店がちょうど前年にオープンしてるんで「近くにもライブハウスができる!」っていうのを実感したこと「WHOOPEE’Sの恭平さんがやるんだ!」って当時すごく注目してたんですよ。あのスピード感がすごかった。
恭平:そう(笑)。たまに言われるんですけど。早いのか遅いのか、これね正直に言うと、なんでちょうど三ヶ月後かというと、失業保険の兼ね合いです(笑)。
中尾きんや:そういう事やったんですね(笑)。
恭平:だからねぇ、まぁもっと前にやろうと思ってたんですよ。二ヶ月後くらいにやろうとしたけど、ここでやると三ヶ月目の給付がややこしいので引き伸ばしました。早かったのかな?早かったのかもしれないですね……。
中尾きんや:どうなんですかね?僕ね、WHOOPEE’Sが閉店するっていう余韻が残ってる状態でGROWLYオープンやった気がするんですよね。なので、外側から見てる感じでは「もう始めたんだ」っていう印象でした。
恭平:うんうん。まぁたしかにすでに決まってたイベントをやりつつでしたからね。その期間は新たに1からどこかをおさえて組もうという企画は基本的にしなかったです。なのでWHOOPEE’Sに言われてたやつだけを埋めていったので、WHOOPEE’Sに言われてたイベントだけを埋めていってたので、そんな本数は多くなかったですけども。まぁそんな感じで京都GROWLY、2012年の3月19日にプレオープンしていくんですけど。
中尾きんや:ここもね、公えん食堂、僕も過去何回か食べに来てるんですけど!(笑)。
恭平:公えん食堂跡地ですね(笑)。
中尾きんや:ライブハウスもありーの、2階は音楽スタジオですよね?
恭平:はいそうですね!

中尾きんや:すごいですよね、いきなりビルを始められたというのは。ここらへんって当時ライブハウスとかあんまりなかった印象ですけど?いや、あるんかな……。
恭平:そうですね、一応一番近いのはnano。うちが地下鉄二条駅。1つだけ違う駅で、nanoが地下鉄二条城駅。まぁでもね、自転車で10分くらい、歩いたら30分くらいかかるんで、わりと遠いんすよ。なので、あまり周りにはないですね、あまりっていうか全然ないですね。
中尾きんや:nanoも近いですね!ライブハウスははじめられて7年くらいですか?
恭平:来年で7周年ですね。
中尾きんや:どんなライブハウスですか?ものすごい大きい質問ですけど(笑)。当時目標とした感じになっているのかどうか?
恭平:もちろんねぇ、こだわりというか「こういうライブハウスにしたい」って思いもありますし、まぁそれと沿ってる部分ももちろんいろいろあるんですけど。僕がやっぱり思ってるのは、まずはライブハウスってのは、施設やと思ってるんですよ。僕らは施設の管理人。例えば市民会館とかの管理人とか「施設を管理する人」なんで、例えば機械のメンテナンスをしたりだとか、掃除をしたりだとか、古くなってきた消耗品を交換したりとか、あとはスケジュールの管理、まぁそういうことなんで、一応最近僕ももちろんやってますけど「ライブハウスがイベンター化してるなぁ」と思うんですよ。ただやっぱりライブハウスってのは「施設でないといけない」ってのは僕は思ってて。でまぁ、施設であるだけじゃ何も生まれないので、イベントを組んだりもしてるんですけど。だからまず、場所であるということですね!そこを意識していて、さっき言ったように登竜門。うちキャパ、パンパンで200人くらいなんですけど、当時WHOOPEE’Sが400人やったんすよ。
中尾きんや:あー400もあったんですね!
恭平:そう、めちゃめちゃ広かったのね。で、それより半分のキャパってところで、僕の中では結構小箱のイメージやったんですよ。でも最近になって考え直してみると、200って若手にとっては、まぁまぁ大きいなって思ってて。もともとはまず、京都でバンドで組んだらGROWLYに出て「フロアを埋めよう」っていうハコのイメージを目標にしていました。それで、ジャンルは括りたくないんですよ。言われるとするならば「GROWLYは頑張ってるバンドが多いよね」っていうイメージにしたかったんで、結構ジャンル本当に幅広く。で、僕と安齋も結構関わってきたジャンルが多種多様なんで、そのおかげもあってかなり広い、いろんなバンドに出てもらってます。で、あとはライブハウスって思い出だと思うんですよね。オリジナルバンド組んだりだとか、オリジナルバンド観に行ったり、っていうの以外にも「学生時代、ライブハウスのステージ立ったよね」っていう思い出がある人って、オリジナルバンド組む人以外も多いんですけど。結構うちはサークルのレンタルがめちゃめちゃ多いんですよ。学生。京都ってやっぱり大学多いじゃないですか。大学の音楽サークルの夏休みの定期演奏会だったり、2月、3月一番多いんですけど、追いコン。卒業、あとはジョイントコンサート。
中尾きんや:昔僕も大学の軽音楽部の追いコン、WHOOPEE’Sでやってもらいました。
恭平:そうなんですよ!WHOOPEE’Sもね、わりと多かったんですよ。そこからライブハウスに出て、それこそ僕なんてそうじゃないですか!
中尾きんや:そうですよね。
恭平:サークルのイベントに出てそれがきっかけでオリジナルを始めたので。
中尾きんや:他のね、交わらないところがどんどん交わっていくんですよね。
恭平:そうそう。やっぱりライブハウスにまず足を運ぶってところでも登竜門やと思ってるんで。たまにいるんですよ、サークル出て「僕ら今度オリジナル始めようと思ってて、GROWLYに出させて下さい」って。けっこうそういう大学生が使ってくれてる。3月とかね、もうほんと10本くらいはあるんで。これは結構最近の話なんですけど、バンド系の音楽サークル以外からも問い合わせが増えていて、2019年3月にボランティアサークルのレンタルが入ってるんすよ。僕もね、まだどんなことをやるのか、わからないんですけど(笑)。
中尾きんや:中身はまだわからない?
恭平:中身はね、軽く聞いたら「多分バンド演奏はしないです」って言ってて。
中尾きんや:何をするんですか(笑)。
恭平:いや、何をやるかはわかんない。なんか多分発表会みたいな感じなのかな?全然うちはバンドじゃないとダメとかそんなことないので、「ありがとございます」という感じなんですけど。
中尾きんや:そういう活用の仕方もあると?
恭平:そうです。で、あとは最近ね、ある高校のダンスサークルの卒業イベント、2019年3月もう日程決まったんですけど。
中尾きんや:あーダンスも身近になっていますよね!
恭平:もう3年連続やってもらってる高校があって、それももちろん向こうから「ダンスイベントやっていいですか?」っていう相談があったんですけど、わりとうち、キャパの割にはステージも高めで、キャパのわりにはステージも広めなんすよ。なんでまぁ、そういうダンスイベントとか、アイドルのイベントもありますし、だからバンドイベント以外も全然使ってもらえる感じなので。増えてきましたね、そういうイベントが。
中尾きんや:僕らの世代やとね、ライブハウスといえばバンド。ギターが鳴ってて、ドラムセットが置いてあるイメージしかしてないんですけど、今そういった形になっていってるんですね。当時のWHOOPEE’Sより進化してるというか。
恭平:(笑)。

ライブハウスが今抱える問題


中尾きんや:近代化していってる気がするんですけど。やっぱりそういったライブハウスが今、抱えている問題ってなんですか?
恭平:いろいろあると思うんですけど、いろんなことを象徴しているなと思うのは、全国的に2018年閉店を発表したライブハウスって多いじゃないですか?十三のファンダンゴとか高槻のRASPBERRY、名古屋のSiX-DOG、渋谷club 乙-kinotoとか長崎のStudio DO!。一応移転するってことを言ってるけど、移転先が見つかってないんで、とりあえず「現場所での営業を終了します」ってところもあるんですけど、でもまぁわかんないですよね、本当に復活するのかどうかは、そのライブハウスがその場所になくなるっていうのが、増えているってのが表面化している問題だと思うんですよ。で、やっぱりそこの理由ってものを考えないといけないなと思っていてて、いろいろあると思うんですよ。WHOOPEE’Sも建物が売却されるからっていう理由なんで、まぁ仕方ないっていう反面、WHOOPEE’Sがめちゃめちゃ儲かってたら、売却されなくても済んだと思うんですよ。まぁ、いろんな理由があって、そんなに儲かってないし「売ろうか」ってなった。他のライブハウスも建物老朽化だったりだとか……。まぁ、移転するってなったら、基本的にライブハウスを1から作っていかないといけないじゃないですか?僕がGROWLYを作ったように、機材をそのまま移せたとしても、建物借りて、防音工事して、新規で作るってなったら本当にうんぜん万かかるんですよ。で、それの場所と資金が用意できないってところが、移転できない理由につながっています。だからそれは場所を貸してくれるってところが少ないのか、まぁそういう条件に見合った物件が少ないとかいろいろありますけど、金銭的な問題ってのも1つ大きのかなって思いますね。で、あとはこれはライブハウスに限ったことじゃないですけど、全国的に少子化じゃないですか?まぁ、少子高齢化。やっぱり日本人、お年寄りの数が増えていって、若い子の出生率が低い。だから時が立つに連れ、子供がどんどん少なくなってお年寄りが増えていくって構造になっていると思うんですけど、そうなるとやっぱり、ライブハウスに出る層っていうのは、学生、早くて高校生、大学生がピークで出だして、まぁそこから長く続ける人もいるんですけど出だしはその辺じゃないですか?そのへんの人口自体が減ると、もしかしたら京都の大学のサークルがなくなったとしたら、単純にそこの層の人口自体が減っていくところがジワジワ来るので、これから考えていかない問題だと思っています。
中尾きんや:なるほどね。それに備えるっていうか。
恭平:まぁね、いろいろありますよ多分。昔はもっと娯楽が少なかったんで、「バンドをやる」、「バンドを観にいく」というのは、大きなメインの娯楽のひとつだったりしたと思うんですけど。例えばですけど、携帯ゲームが普及してるから別にゲームを買わずゲームができますし。いろんな遊びというのは増えてきていると感じています。
中尾きんや:結構僕らも考えている時があって、いろんな娯楽が出てきたのはすごく良いことなんだけど、今までのライバルって、他社のライブハウスだったじゃないですか?でも、実はゲームだったりとか、スマートフォンなど、他のコンテンツがライバルになってきているということを感じています。まぁライバルっていう見方で考えるかどうかは人それぞれでしょうけど。
恭平:うんうん、広く考えればね。でも考える必要があると思うんですよね、実際に。ライブハウスっていうのは、やっぱその選択肢のひとつだと思うんで。僕らはこの業界にしかいないので、業界のことしか見えていないじゃないですか?広く考えると「音楽が好きでライブハウスに通っている人」っていうのは少数派であって。そこの人口を増やしていったりとか、維持していきたいと考える時には、もっと広い視野で見つめなければいけないって思っていてて。だからそういう問題があったりとか、後は増税とかですよね。
中尾きんや:増税(笑)。やっぱりお酒を取り扱っているから?
恭平:そうなんすよ。もともと一年前にブログで書いたのが「ライブハウスのドリンク500円から600円に値上げします」って記事だったんですけど。まぁ、なぜかというところを書かせてもらって。
参考 : 【GROWLYからの大切なお知らせアリ】 ライブハウスの入場時ドリンク代を0円にする方法
中尾きんや:それ見ました(笑)。
恭平:結構ね、それが反響あったんで、ブログを始めさせてもらったんですけど。増税で2019年の10月に10%になるというと言われてまして。

中尾きんや:消費税ですか?
恭平:そうですね。消費税は大々的に取り上げられているんですけど、酒税だったりとか、水道の民営化の話とか。なんかね値段がコーラより水のほうが高くなるっていうアレね(笑)。
中尾きんや:ははは(笑)。
恭平:ゆって飲食店なんで、やっぱり水は使いますし、人がいっぱい来ればトイレだってたくさん水を流すわけですし、水道代がもし上がるとしたら、まぁライブハウス的にも問題になってくるかなと。それでね、そのとりまく環境というところ。もちろん「こういうバンドが流行っている」だとか、「若い子のこういう考え方はダメだ」とかミクロな視点での問題もありますけど、やっぱり経営を考えているので、一歩引いてマクロな視点でそういうことも考えていかないといけないなと考えています。ちょっと話それてきましたね(笑)。
中尾きんや:そうですね(笑)。
恭平:えーっと、ライブハウスの問題点?だからそういうことなんですよ。経営がしんどい。単純に。「経営がしんどくなってきている」って状況なんですよ。
中尾きんや:そうなんですね。それは結構全国的に?
恭平:やっぱりライブハウスが閉まっていってるから、そういうところが多いんじゃないですかね?
中尾きんや:じゃあどうなんですかね、GROWLYとしては同じような問題にもぶち当たっている?
恭平:んーとね。まぁそのお金の話なんで、言いづらいところではあるんですけど、目に見えて今すぐヤバイという状況ではないです。
中尾きんや:ねぇ、僕もたまに行きますけど、なんか見てたら動員数とかイベントも盛り上がっている感じがします!
恭平:うーん、そうっすね。動員とかイベントとかに関しては僕がライブハウスに足を踏み入れた時から変わっていないというか。入る時は入るし、入らない時は入らない。始めたばかりのバンドは友達が見に来てくれるけど、そこから友達見に来なくなって取り置きゼロ、ゼロ……みたいな。そんなことは15年前から変わっていないですし、逆に言えば有名なバンドがワンマンしたらソールドするし。めちゃくちゃ売れてるかと聞かれたらそうじゃないんですけど、昨日、京都のピアノガールがワンマンしてたんですけど、120くらいパンパンに入れてたりとか、それは頑張ったら入るし。もしかしたら僕がライブハウスに入る前、それこそ冒頭で話した30年、25年前とかは放っといても入ってたとかそういう話聞くんですよたまに。
中尾きんや:ギャラをねバンドさんに払ってたとかそういう話も聞きますもんね!
恭平:ギャラ払ってた!?
中尾きんや:なんかね、要はチャージバックがすごかったていう時代もあるなんて聞きますけど。昔はハコそのものがあまりなかったというか。
恭平:そうっすね。ハコが少なかったというのと、バンドブームだったからでしょうね。僕がWHOOPEE’Sに入ったときも昔は本当に30日中25日がコピバンとかのレンタルが入ってて、5日くらい空き日があるからそこをブッキングで好きなバンド呼んだりしてたっていう話をしてたんで。今なんかもう逆じゃないですか(笑)?
中尾きんや:そうですよね〜。確かに確かに!
恭平:5本くらいレンタルがあって残り25本を埋めなきゃいけないみたいな(笑)。なんかね、それを聞くとその当時と比べたらしんどいなとは思うんですけど、僕がライブハウスに足を踏み入れた今から15年くらい前は、今とあまり変わらない状況だったんで、あんまり悲観はしていないですね。もっと昔から知ってる人はやっぱり変化を感じているのかもしれないですけど。
中尾きんや:なるほど、そっかぁ……。ライブハウス自体が積極的にやってる時代からされているってことですもんね。
恭平:そうですね。で、さらに最近のそういう問題を踏まえた上で考えていることが、ライブハウスって古き良きものじゃないですか?昔からあって古き良き文化を守っているところは多くて、もちろん譲れない部分とかあったりするんです。でも、やっぱり変わっていかなきゃいけないし「時代に対応していかないといけない」っていうのを最近すごく思ってるんですよ。じゃないと生き残れないというか時代から必要とされない。それこそ僕と最近大学生でバンドで出てる子とかも同じ干支だったりとか(笑)。一回り以上下、十何個下の子とかとも一緒にやってるんで、その子らと会話するともちろん話すことは出来ますけど、やっぱその世代のズレとか考え方や価値観のズレとかはあると思うんですよ。そこで、ぼくらの育ってきたところと照らし合わせて「俺らはこうだったから、お前らは間違ってる」っていうことをしていってもそれはただの老害なんですよね。だからその子らの考えの中で、僕らがやってきたことを参考にして「僕らこういうことをしてきたけど、今の時代に合わせたらこうした方がいいんじゃない?」っていう考えにチェンジして接しないといけないと思ってるんです。そこはライブハウスが今、直面している問題じゃないかなと思っています。考え方をもっと柔軟にしなきゃいけない。文化違いますからね〜。

京都GROWLYが挑戦するクラウドファンデ
ィングとは?


中尾きんや:それで今まさにクラウドファンディングやってはるんですよね!ライブハウス史上初、ドリンク代ゼロ円という。
恭平:んー(笑)まぁ……そうですよね。なんか、めっちゃうまいこと、ここへ話をつないでいただいて(笑)
中尾きんや:ははは(笑)ちょっと無理矢理感ありますけど(笑)。なんかライブハウスのやるクラウドファンディングって僕もこう、過去にやっぱり職業柄チェックしているんですけど。
恭平:そうですね。僕もね、調べたところによると2個代表的なところが出てきて。
中尾きんや:梅田のシャングリラの?
恭平:そうですね!梅田のシャングリラはね、厳密に言うとライブハウスのものじゃないです。シャングリラはライブハウスの上にある宿泊施設があって、ホステルなんですけど。そのホステルを整備するためのクラウドファンディングなので、厳密に言うとライブハウスじゃないです。
中尾きんや:なるほど、厳密に言うとライブハウスではないんですね。
恭平:有名なところは、四谷アウトブレイクっていう東京のライブハウスがトイレを改装するっていうので、クラウドファンディング。で、もう一個が、ライブスポットラグですね(笑)。
参考:歴史的名演を支えた続けた老舗ライブハウスのピアノを買い替えたい【京都ラグ】
中尾きんや:そうですよね(笑)。三代目のグランドピアノを買い替える時だったんですけど。だからもう、もちろん全く知らない部分もあるかもしれないですけど、まぁ今の所ライブハウス関係でやったのが3つ。ドリンク代に関してのクラウドファンディングはライブ史上初ですよね。まず始められるきっかけなどは?
恭平:きっかけですか?きっかけは元々僕がブログを書いた時に。「GROWLYからお知らせがあります」と。簡単に説明しておくと……「ドリンク代をゼロ円にする方法はあります」と。極論を言えばチケ代を上げてホール代を上げればドリンク代の収入はいらなくてもこちらでまかなえるので、できますよというお金の話。ただやっぱり、法律の面でいうとそれは難しいんですけど。だから「ドリンクのシステムっていうのはそれくらい大事だよ!」っていう逆説を言いたくてこのタイトルにしたんですよ。でも実際ゼロ円にする方法ってあったら面白いなって昔から思ってたんですよ。クラウドファンディング自体は僕もあんまりいい印象がないというか……。多分今回の件を見た人も「自分で銀行から金借りてやれよ」とか「貯金して実現しろよ」ってとこがあって懐疑的に考える人もいると思うんですけど。僕もそうだったんですよ、もともとは。だけどドリンク代をゼロ円にするっていうのは銀行からお金を借りるとか、売上をそっちに出資するのとは、また違う話なんですよ。意見もあったんです。「いや、別に現状維持でいいやん」とか、「なんでそういうことするの?」とか……。例えば、めっちゃよく来るお客さんとかにもその話をしたら「別にそんなことされなくても、ライブハウス来るから興味ない」って言われたんですよ(笑)。常連の人にですよ?「あ!そういう考えもあるか」と。まぁでもそれは正しくて、別にやらなくてもいいことをあえてやることによって興味を持ってほしかったりとか、それをきっかけにライブハウスに来て欲しいとかっていう、火に油を注ぐ感じのようなことをやりたいっていう。だからきっかけって言われたら難しいな。まぁずっと考えてたことなんですけど、もともとうちで働いてた伊藤って人間がいて、東京出身の子なんですよ。で、京都に引っ越してきてうちで働き始めたんですけど、まぁちょっといろいろな事情があって東京に戻ることになって「うちを辞めます」って言われて「おーじゃ頑張れよ!」と返したんですけど、東京でクラウドファンディングの会社に携わるそうで「それじゃあ、一緒にやろうか!」という風になったのが大きいキッカケのひとつです。
中尾きんや:あーそっか。結構ライブハウスとか音楽関係、ミュージシャンがやる系のやつはよく見かけますが。CD作りたいとか、MV撮りたいとか、無料ワンマンしたいとか。まぁそういうのは結構ありますけど。ミュージシャンはファンがすごいバックアップしてくれる状態。ライブハウスは普段来るお客さんからは「やらなくていい」言われながらも……。
恭平:まぁその人はね!
中尾きんや:すごい面白いと思いました。注目してましたよ。
恭平:ほんとにこれをキッカケにドリンク代のことについても考えてほしいなと思ったんですよ。もちろん考えたことがある人もいるかもしれないし「なぜ、ドリンク代があるのか」っていう、「なんでお金払わなあかんねん」って思ってる人もいるかもしれないので。そういう人たちにも「なんであるか?」っていうところをブログや動画などで説明もしているので、そっちも見て欲しかったりもするんです。
参考:ライブハウスが1ドリンク制である3つの理由 – こども社長の魔法のブログ
中尾きんや:そっか、だって今まで何も考えずに払っていましたからね。入り口のキャッシャーで値段見てそのまま渡すので、僕もあんまり考えたことがなかって。会社ではもちろん飲食として考えているので、ドリンク代として考えていたりはしていなかったです。ちなみにクラウドファンディングこれはいつまでされているんですかね?
恭平:2019年の2月25日までですね。それが成功したら2019年の1月1日から5月6日までドリンク代が無料になります。無料というかゼロ円で提供させてもらうので、ドリンクチケットはもらえるんですよ。今までやったらチケット代:2,000円のDrink:600円で2,600円なんですけど。2,000円払うだけでドリンクチケットがついてくるんですよ。
中尾きんや:なるほど!ドリンクが提供されなくなるという訳ではないんですね。ドリンクはやっぱり提供し続けないといけないというか、やはりそれは法律的な関係でですか?
恭平:そうですね!飲食店なのでライブハウスは。なのでドリンクを販売するってことがないと飲食店として成立しないので。まぁそういう法律的なこともあります。
中尾きんや:ねぇ!結構そういった事も考えるきっかけになったりだとか、知らない人おおかったりするのかもしれないですね。バンドの人が主催するきっかけにそういう事も知っておく必要があるかもしれないですね。
恭平:そうですね!だからやっぱり理不尽なことって僕嫌いなので「なんで取られなあかんねん!」と思われてるのが嫌なんすよ。もし100人のうち、99人が理解していたとしても、1人が「なんでやねん!」と思ってたら説明したいんですよね。まぁ、説明した上で理解してもらえなかったら、それは仕方ないのかもしれないんですけど。
中尾きんや:なかなかこれだけ長い期間、ライブハウスとかバンドでライブをやったりしてて、意外とそういったことを積極的に発信されてる方って、いないですよね。「あれってどうなってるんやろう?」みたいな当たり前かのようになってる。
恭平:クラウドファンディングをやるってことも、さっき言ったように時代に適応していくことの流れのひとつだと思ってて、最近僕もブログで「なぜドリンク代は必要か?」とか、まぁそれ以外にも最近書いたので言えば「なんで集客努力をしなきゃいけないか?」とかそういうことを書いたりしてるんですけど、結構ね15年前とかと比べると僕らが20歳くらいの時よりもネット社会になってきているっていうのは、まずひとつポイントだと思うんですよ。何でもやっぱり調べる、やる前に動画見てギターの弾き方知るみたいな。今までだったら先輩に教えてもらったりとか、自分でひたすらやってたと思うんですけど。最近は動画を見てとか、それこそネットでタブ譜を見てとかっていう……。バンドスコアって買いましたよね昔は?
中尾きんや:買いましたね〜。もしくは耳コピですよね。
恭平:耳コピなんて上級者じゃないですか(笑)!
中尾きんや:いやぁ、でも当時なかったんで。なんやったら音源とかもパッとすぐ手に入らない時代。
恭平:うんうんうん。有名なバンドだったらバンドスコアがあって、バンドスコアまで出るようになるくらい売れたかっていう一つの指標でもありましたよね。だからコピーしなくてもバンドスコアがなかったら、僕とかもちょっと練習したんですけど、バンドスコアがないバンドはコピーできなかったし、、、話逸れますけど、当時「バンドやろうぜ!」とか「月刊歌謡曲」とかもう今はないでしょ?あれとかもネットがなくてタブ譜が載ってたりとか、アーティストのインタビューが載ってたりとか、リリース情報が書いてある音楽雑誌だったんたんですけど、まぁもういつか分からんぐらいに無くなってるじゃないですか?あれが無くなったっていうのは正直需要がなくなったからからじゃないですか?でも、そこに対しての需要がネットに移ったと思ってて、だからネットに情報を載せていくってことは大事だなって。メンバー募集とかもそうじゃないですか?その「バンドやろうぜ!」とかにメンバー募集のページがあって「当方ボーカルで、ビジュアル系志望……」みたいなの書いてあったりとかが、もう今はそこから時代が移ってBBSとかになって、mixiを経由して、その後Twitterとかになったじゃないですか。だからそういう時代とかを経由してるけど、バンド募集ってこと自体は残ってるんですよ「バンドをやろう!」ってことに関しては。だからそこを閉ざさないためにネットというところの文化に新しいテキストの情報を載せたり、最近やったら動画で情報を載せていくってことも時代に適応していくことだと思います。クラウドファンディングもそういうことのひとつなんですよ僕らにとって、GROWLYがやったし俺らもやってみよう……とか、バンドもそうだし、ライブハウスだったりそれこそスタジオだったりがクラウドファンディングを使うってこと。まぁ、もちろん先駆けはアウトブレイクさんだったりとか、ラグさんがいますけど。ライブハウスといえば3,4番目かもしれないですけど。後に続いていくきっかけになりたいというのもひとつですね。
中尾きんや:けっこう注目というか、同業者としてもすごい期待しています。こういうことがきっかけにライブハウスがチャレンジしていくってのがすごいそこに意味があったりするのじゃないかなと、なのでほんとにお互い時代に合わせて進化していけたらいいですね。最後にミュージシャンであったりこのクラウドファンディングを応援している人にひとことお願いします。
恭平:ぜひクラウドファンディングも知ってほしいですし、GROWLYにも来て欲しいです。バンド活動は多様化してきてると思います、、ライブハウス以外での活動もあると思うので、そういうことを視野に入れながらバンド活動を続けていって欲しいって思いがありますね。考えることは大事やと思いますよ(笑)。
中尾きんや:思考停止になっちゃって「こういうもんだ」ってやっちゃうのは良くないですよね。
恭平:そうですね。
中尾きんや:すごいたくさんお聞きできてよかったです、ありがとうございました!

【京都GROWLY】ライブハウス史上初!?
ドリンク代¥0を実現するためのクラウ
ドファンディング


消費税増税、酒税高騰による入場時ドリンク代値上げの波……そんなライブハウスの現状をぶち破る大きな挑戦!
京都GROWLY7周年を記念したクラウドファンディングが始動!
2019年02月25日(月)まで行なっておられます。
普段から頻繁に通ってられる人はもちろん、これを機にライブハウスに行ったことない人も、チェックしてみてはどうでしょうか!
【京都GROWLY】ライブハウス史上初?!ドリンク代¥0を実現するためのクラウドファンディング | muevo(ミュエボ)

今回のインタビュー内容は動画でもご覧
いただけます

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