白井晃に聞く~ 一柳慧と共に「ダン
スの向かう先」を探る『Memory of Z
ero』で挑むこととは

作曲家でピアニストの一柳慧と演出家の白井晃、神奈川芸術文化財団の2人の芸術監督がタッグを組む芸術監督プロジェクト『Memory of Zero』が3月9日(土)、10日(日)、神奈川県民ホールにて行われる。今回はダンス作品に挑み、第1部「身体の記憶」、第2部「最後の物たちの国で」(原作:ポール・オースター)を大ホール舞台上に客席を組む「ステージ・オン・ステージ」で披露。音楽は一柳の楽曲を使用し、構成・演出を白井、振付を遠藤康行(元フランス国立マルセイユバレエ団ソリスト)が担う。ダンスは小池ミモザ(モナコ公国モンテカルロ・バレエ団プリンシパル)ら気鋭が揃い、音楽は板倉康明指揮による東京シンフォニエッタが演奏し一柳もピアノ演奏で出演する。白井に同作に寄せる思いを聞いた。
多分野協働で占うダンスの展望
――白井さんは演劇の演出家、一柳さんは作曲家です。そのお二方がどうしてダンスでコラボレーションしようと考えられたのですか?
神奈川芸術文化財団芸術監督プロジェクトは神奈川県民ホール、KAAT神奈川芸術劇場、神奈川県立音楽堂と財団が運営する3つの会場を持ち回りでやっています。今回は神奈川県民ホールの空間を使って何がいいかと話し合うなかで、一柳先生からダンスに焦点を当てるのはどうかという提案がありました。僕自身もダンスが非常に好きで興味があります。発想の出発点は「これからダンスというものはどうなっていくのだろうか」ということ。クラシックバレエに始まりモダンバレエがあり、ポストモダンダンスがあり、コンテンポラリーダンスがあり……。僕のような客観的な立場から見ていると、今ダンスは若干混迷期にある感じにも見えるので、この先果たしてどうなっていくのかに興味があったんですね。一柳先生もジョン・ケージに学び、マース・カニングハムと創作活動を行うなど、舞踊の音楽も創ってこられたので、ダンスがどこに向かっていくのかに興味をお持ちでした。
(左)一柳 慧(c)Koh Okabe/(右)遠藤康行
――振付を遠藤康行さんに依頼したのはなぜですか?
演劇もそうですがダンスにも地層のような積み重ねがあります。新しい作家が生まれてきても、アンチテーゼも含めて先達からの影響を受けているという意味では蓄積の一つだと思います。コンテンポラリーダンスもクラシックバレエやモダンバレエなどいろいろな蓄積があったうえで新しい振付家の振付がある。蓄積がどのようにできて今の地表があるのだろうか、この先どのような地層が積み重ねられるのだろうかと思っている時に遠藤さんの作品を拝見させていただきました。遠藤さんは神奈川県民ホールが共同主催している「横浜バレエフェスティバル」(2015年~)の芸術監督をされているので、何か共有できることがあるのではないかと考えました。
――遠藤さん、小池ミモザさんに対する印象を教えてください。
シンプルに言いますと、海外のチームで活躍しているサッカー選手が、いろいろなものにもまれて強くなってくるのと同じ印象を持ちました。ヨーロッパで活躍され、精神面でも表現面でも「筋肉がついている」という感じです。遠藤さんに関してはJAPON dance project 2018✕新国立劇場バレエ団『Summer/Night/Dream』を拝見し、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」をどのように演出されるのかなと思っていましたが「こうくるのか、なるほど」と感心しましたし、新国立劇場バレエ団の人たちも触発されているなとも思いました。ミモザさんの踊りを初めて見た時は「日本人のダンサーにこんな方がいるんだ!」というインパクトがありました。身長も高いですしダイナミック。あのダイナミックさは一番の武器ではないでしょうか。彼女のおおらかさが表現にも出ていると思いますし凄くチャーミングですよね。
小池ミモザ
――2部構成で第1部は「身体の記憶」と題されています。
「これからダンスはどうなっていくんだろう」「我々の体の記憶というのはどういうものなのか」ということを考えました。今は遠藤さんが稽古で踊りの要素を一つひとつ生み出している段階で、それを僕がどのように組み立てようかと考えているところです。ダンスの歴史でいえば、バレエのポジションはどのように生まれたのか、コンテンポラリーダンスは何を崩そうとしたのか、崩した結果何を得たのか。そういった部分が作品のなかに見えてきて「この先僕らはどこへ向かおうとしているのか」が垣間見えたらいいなと思います。
白井 晃 (撮影:高橋森彦)
「劇場とは何か?」という根源的な問い
――第2部「最後の物たちの国で」はアメリカの作家ポール・オースターの小説が原作です。白井さんはオースターの小説を何度か演劇の舞台で演出されていますね。ダンス作品の創作に際し「最後の物たちの国で」を取り上げたのはなぜですか?
アブストラクトなものとは別にストーリー性のあるものを創りたいと思いました。オースターの作品が好きですが「最後の物たちの国へ」を取り上げたのは「我々はすべての物を失ったときになにが残るんだろうか」という大きなテーマがあるからです。ダンス作品ですが演劇的要素を交えながらやることができないかと。一柳先生の「交響曲第8番」をどうこの作品にあてていくか。先生はどのように料理しても構わないとおっしゃられます。途中で中断するのか、ノイズを混ぜ込むのか分からないですが、そのような感じでこの作品を構築していきます。
――台詞は入るのですか?
ダンサーがしゃべるかどうかは分かりませんが、稽古のなかで台詞を割り振るかもしれません。シノプシスがあり、遠藤さんにイメージを伝え、それをダンスにしていく。そこにちょっと言葉を挟むと面白ければ入れるかもしれません。それから原作は主人公のアンナが自分の恋人に宛てた手紙の形式をとっているのですが、その手紙を一人の男が読む形式で展開していくこともできるかもしれません。
アンサンブルダンサーたちの稽古風景
――舞台上に客席を組んでの上演となるのは白井さんの発案ですか?
はい。大きな何もない空間ってかっこいいと思いませんか? 袖から入り巨大な空間から客席をみるのは素敵です。劇場というとプロセニアムのある空間を想定してしまうかもしれませんが、それは19世紀に確立された形式で、昔はもっとオープンなものでした。もう一度「劇場ってなんだろう?」とお客様に見てもらうのも面白いと考えました。今は劇場に足を運ばなくてもいろいろなものが見られる時代で、劇場の意味がどんどん変容せざるを得なくなってきています。でも変容していくと同時に、だからこそプリミティヴな形式、演じ手と見る側がいて共存しなければ成立しない非常に非効率的な表現形態である舞台芸術が、その特性ゆえに絶対に残ると思っています。
話は飛びますが、9・11の時、ニューヨーカーに「この町が崩れても最後まで残ることは何だと思いますか?」という質問をすると「演劇」「劇場」という答えが一番多かったそうです。大きな勇気をもらいました。僕はそれを、人はお腹を満たしてくれるものと同じように、精神を豊かにしてくれるものがなければ生きられないということの答えだと拡大解釈しています。「わざわざ決められた時間に足を運んで、皆で集まる劇場って何だろう」「あなたたちは、いつもあそこに座っているんですよ」ということを舞台上から客席を見ていただき、精神上の糧にしてもらいたいですね。
――遠藤さん、小池さんの他、鳥居かほりさん、高岸直樹さん、引間文佳さんら出演者は多彩です。
鳥居さんは出発点がバレエだと存じ上げなかったのですが、熟練を重ね舞台表現を愛されていて魅力的です。高岸さんは大ベテランで遠藤さんからのご推薦もあって、ご一緒したいと思いました。引間さんは自分の作品やKAATの公演にも出てもらっています。新体操から出発しているのですが極めて高い身体性を持っています。
白井 晃 (撮影:高橋森彦)
神奈川から発信する、複合体の芸術表現
――あらためてお伺いしますが、1980年代からダンス公演をたくさんご覧になられているそうですね。どのような振付家の作品に注目されましたか?
最初に衝撃を受けたのはマギー・マランの『May B』でした。演劇性豊かな作品で、見終わってしばしどうしていいのか分からないくらいに客席で呆然とした覚えがあります。ピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイス、イリ・キリアン、アンジュラン・プレルジョカージョ、ヤン・ファーブルの作品も見ていました。ローラン・プティも大好きですしモーリス・ベジャールの作品も見ていましたが、同時代性でいえば彼らに猛烈な衝撃を受けましたね。
――ご自身の創作にダンスが影響を及ぼしている点はありますか?
アンダーグラウンドの芝居を見て育ったので、唐十郎さんが特権的肉体論を唱えたように身体があって表現があることが原体験です。会話術だけの芝居には全然興味がなく、唐さんや寺山修司さんの芝居を見に行くと、役者が襲ってくるんじゃないだろうかというような、まさに場を共有している感覚があって驚きだったんですね。ピナやマラン、フォーサイスのダンサーたちの肉体を見て、そのエネルギーに感動しました。これをもう一回演劇に戻せないかと。たとえばアブストラクトなダンス公演だったとしても、それはあえて感情を遮断している。それを僕らが持ち帰った時に、芝居だと感情や物語性があるんだけれど、いったん離して、アブストラクトなものに変えてしまった時にどうなるのかというようなことをやってきました。
白井 晃 (撮影:高橋森彦)
――最後に公演に向けての抱負をお話しください。
今の段階(2018年1月下旬)では、遠藤さんに作品を創るための要素を出していただいていて、それを本稽古でどう組み込もうかと青写真を描いています。皆さんと一緒に創っていくのが楽しみですが、どうなるんだろうかと。自信満々で創ったことなんて一回もありません。粘土の塊があるとしたら、初めは中に何があるんだろうとグチャグチャやっているうちに形になっていく。その作業がとても面白くて好きなので楽しみです。
ダンスを好きな方は白井が演出するのだから「なんか怪しいな、変なことをするんじゃないか」と思われるかもしれませんが(笑)、皆様に驚き楽しんでいただきたい。神奈川芸術文化財団が打ち出す、これからの表現のあり方を示したいんです。音楽、バレエ、演劇と部門が分かれて考えられがちですが、僕は音楽もダンスも好きなので芸術監督プロジェクトはそれらの複合体でありたい。神奈川をそういうことをやっているちょっと不思議なエリアにしたいですね。KAATと神奈川県民ホールは少ししか離れていませんし、これからも積極的に連動できれば面白いなと思います。
取材・文・撮影:高橋森彦

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