伊藤健太郎が全身全霊で挑む主演舞台
『春のめざめ』囲み取材&公開ゲネプ
ロレポート

KAAT神奈川芸術劇場にて2019年4月13日(土)より、白井晃演出の舞台『春のめざめ』が開幕する。初日に先立ち行われた囲み取材と公開ゲネプロの様子をお伝えする。
1891年にドイツの劇作家フランク・ヴェデキントによって書かれた本作は、思春期の少年たちの性への目覚め、生きる事への葛藤、それに対する大人たちの抑圧などが描かれ、そのセンセーショナルな内容から上演禁止の処分を受けていた作品だ。白井演出により2017年にKAATで上演されて大きな話題を呼び、待望の再演となった今回は主人公のメルヒオール役に舞台初主演となる伊藤健太郎、ヒロインのヴェントラ役にオーディションで選出された岡本夏美、メルヒオールの友人・モーリッツ役に初演で同役を好演した栗原類、と期待の若手俳優が配役された。
『春のめざめ』囲み取材 写真左から白井晃、岡本夏美、伊藤健太郎、栗原類
囲み取材には、伊藤、岡本、栗原、そして演出の白井が登壇した。
初日を目前に控えた心境を聞かれた伊藤は「初日が開いてどうなるか正直想像がつかない」としながらも「僕は舞台出演はまだ今回が2回目と経験が少ないので、声の出し方や体の動かし方を一から白井さんに教えてもらって約一か月間稽古をしてきた。自分が今出せる力を全部出し切りたい」と意気込みを語った。またこの作品については「思春期の男の子の考えとか、当時の自分と照らし合わせてメルヒオールに共感できる部分が多いので、そこをどう伝えられるのか」と、気持ちがわかる部分が多いとしながらも、それを演じる難しさを吐露した。
岡本は「稽古で白井さんから『ヴェントラを生きろ』という言葉をもらった。それを胸に、本番もヴェントラとして生きられるようにしっかり舞台に立ちたい」と力強く語った。
栗原は「初演から約2年が経ち、役者が変われば空気も変わるので、僕も一から新鮮な気持ちで稽古してきた。本番を迎えるにあたり、僕ら自身がこの芝居を楽しむということを大事にしたい」と初演から引き続きの出演者として心境を語った。
この作品を再演しようと思った理由を聞かれた白井は「130年も前に書かれた作品だが、今を生きる子どもたちの社会との対峙の仕方や性の悩みなど、何も変わっていないと感じさせてくれた素晴らしい戯曲であることが一つ。もう一つは、日本の芸能界を牽引していく立場にある彼らに演劇の面白さと厳しさを知って欲しいと思った」とその思いを熱弁した。また、メインキャストの3人について問われると「類くんは役にすごく集中して、役を生きることに生きがいを感じている。健太郎くんは勘やセンスがすごくある。夏美くんは負けず嫌いでとにかく根性のある人」とそれぞれを評した。
『春のめざめ』囲み取材 写真左から岡本夏美、伊藤健太郎、栗原類
自分を座長だと実感することはあったか、という質問に、伊藤は苦笑しながら「ないです、本当に自分のことでいっぱいいっぱいなので」と首を振ったが、栗原に「僕らはずっと座長って呼んでるよ」と言われると「ありがとうございます、すみません」と頭を下げた。岡本は伊藤について「熱くて優しいんです。みんながついていきたくなるような座長」とコメントした。
最後に伊藤が「僕たちにしか作れない『春のめざめ』をお見せできるように全身全霊で頑張りますのでぜひ楽しみにして欲しい」と述べ、囲み取材を締めくくった。
続いて、公開ゲネプロが行われた。

『春のめざめ』公開ゲネプロ

ドイツの中等教育機関・ギムナジウムで学ぶ優等生のメルヒオール(伊藤)は、友人のモーリッツ(栗原)に「子供の作り方」を図解で説明すると約束する。劣等生のモーリッツは学校での過度な競争に耐えられず、将来を悲観して自殺してしまう。一方、メルヒオールは幼馴染のヴェントラ(岡本)と半ば強姦のような形で関係を持ってしまう。自殺したモーリッツの遺品からメルヒオールが書いたメモが見つかり、モーリッツの自殺の原因と見なされたメルヒオールは親によって感化院に送られてしまう。さらにヴェントラが妊娠していることも発覚。それを知った親たちが取った行動とは……。

『春のめざめ』公開ゲネプロ

14歳の少年少女たちが抱く、性への興味やどうしようもない衝動、それに対する戸惑い、苦悩、暴走、と思春期の揺れ動く心が鮮烈に描かれる。それと同時に、そんな子どもと向き合う親や教師といった大人たちの姿も描かれている。既に大人になってしまった者にとっては、メルヒオールの両親(那須佐代子、大鷹明良)やヴェントラの母(あめくみちこ)たちの取る行動が胸に刺さる。もし自分がその立場に置かれたら、子どもたちに対してどう接すればいいのだろうか? 子どもを教育し、導くのが大人の務めであるが、子どもを抑圧したり支配することとは違う。この作品に子どもの苦悩が浮かび上がるとき、同時に大人も試されているのだ。
『春のめざめ』公開ゲネプロ
伊藤は、メルヒオールを優等生ではあるがあくまで「どこにでもいる少年」として舞台上に立ち上げる。メルヒオールは結果的に事件を起こしてしまうのだが、決して彼は特別な少年ではない。つまり、誰だってメルヒオールに成り得るということを表現している。ヴェントラも、モーリッツも同様だ。彼らはごく普通のありふれた少年少女で、ほんの少しのずれや、たった一歩の踏み間違いで、大きく運命が変わっていってしまう。この戯曲が時代を超え国を超え、多くの人を魅了し続けているのはそうした普遍性をはらんでいるからだろう。
『春のめざめ』公開ゲネプロ
舞台上はアクリル板の高い壁に囲まれており、少年少女たちはその中から抜け出そうと必死に手を伸ばすが、壁の上までは手が届かない。大人の世界に手が届きそうで届かないもどかしさや閉塞感が表れており印象的だ。降谷建志による音楽と平原慎太郎による振付が、鋭く尖った思春期独特の傷つきやすさと、「子ども」だと思っていたのにいつの間にか「大人」に肉薄している、心と体の成長の乖離を強く印象付ける。

『春のめざめ』公開ゲネプロ

伊藤は今作への出演についてのインタビューで「思春期の子たちに何も刺さらない作品にしたい」とその意気込みを語っていた。彼が演じるメルヒオールと同世代の観客は、この作品をどのように受け取るのだろうか。思春期からだいぶ遠くまで来てしまった大人には想像することしかできないが、忘れかけた昔を振り返ることで彼らの気持ちを理解できるのではないか、と淡い期待を抱く。それも大人の勝手な思い込みかもしれないが、高い壁の上から見下ろすのではなく、子どもたちと同じ目線に少しでも近づきたい、と思わせてくれる作品だ。
取材・文・撮影=久田絢子

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