すべてを捨てて出て行った女が、15年
ぶりに語る衝撃の告白!~『人形の家
Part2』の楽しみ方、教えます

「私、あなたとはもう一緒に暮らせません!」
 そう言い残し、夫と子供たちをおいて家を出て行った一人の女。それから15年。この間、家族との一切の関わりを断ってどこかで生きていた女が、帰ってくる!? テレビのバラエティ番組ならば、「すべてを捨てて出て行った女。困惑する夫、怒る娘。戻って来た女が15年ぶりに語る、衝撃の告白とは!?」な~んて文句が躍る番組欄を想像してしまうところ。イプセンの名作『人形の家』の“後日談”である『人形の家 Part2』がまずは味わわせてくれるのは、まさしくそんな、気まずいドキドキ。出て行かれた夫に娘、そして乳母のこの間の気持ちは? そして何より、出て行った女自身の思いは? いったい、両者、どんな顔してご対面? …そう考えると、世界演劇史上に輝くこの名作戯曲とその続編の世界が、ぐっと身近に感じられてきませんか?
 ノルウェー出身の劇作家ヘンリック・イプセンの手による『人形の家』が世界初演されたのは、今からちょうど140年前の1879年。「女が、夫と子供たちをおいて、家を出て行く」という結末が大きな衝撃を与え、舞台芸術界を超えて社会的に広く論争を巻き起こし、世界各国で次々と上演されてイプセンに一躍名声をもたらした。劇中にも描かれているように、なんせ当時、女は男の従属物とされており、ノルウェーでは夫の同意なしに借金もできなかった。作品自体、イプセンと交流のあった若い女性文筆家が夫との間に実際に経験した絶望的な出来事をベースにして書かれたもの。
 この作品が日本で初めて上演されたのは、世紀を越えて1911年(明治44年)のこと。試演を経て、その年に竣工したばかりの、日本初の西洋式劇場である初代帝国劇場にて11~12月に上演。日本におけるシェイクスピア紹介の先駆者である坪内逍遥が会長を務める演劇団体「文芸協会」による公演で、翻訳・演出は島村抱月、日本の女優のパイオニアである松井須磨子がヒロイン・ノラを演じ、大当たりを取った。2024年に新しい一万円札の顔となる、日本を代表する実業家・渋沢栄一の息子秀雄(後の東宝取締役会長)は当時20歳の学生だったが、この結末に「これこそ近代劇、近代文学」と感涙、しかしながら、隣で観ていた彼の母は「こまったお嫁さんだね」と対照的な反応を見せた…というエピソードが残っている。ちなみに、1911年といえば、「元始女性は太陽であった」の辞で名高い、平塚らいてう主宰の雑誌「青踏」が創刊された年。女優という女性の新たな生き方に邁進する松井須磨子、そして女性問題に活発に取り組む雑誌「青踏」の同人らは“新しい女”と呼ばれ、憧れの的となる一方で、揶揄され、糾弾された。終幕、結婚制度から“出て行く”ことで女性としての自立を目指すノラは、“新しい女”たちの象徴ともいえるヒロインだったのである。
 そんな、フェミニズムの先駆的作品ともされる『人形の家』の“15年後”を描く『人形の家 Part2』は、2017年に初演され、ブロードウェイでも上演された、アメリカ人劇作家ルーカス・ナスによる作品である。一読して、快哉。「面白すぎる!」――ノラのその後を、こんなにも痛快に想像、創造するとは! 乳母アンネ・マリーへのノラの問いかけのセリフ、「私がどうしてると思った?」はそのまま、『人形の家』の“出て行く”結末からそれぞれが何を想像したか、観客への問いかけともなっている。少しだけ種明かしすると。ノラは何と、『人形の家』の告白手記バージョン(『婦人公論』あたりに載っていそうである)を書いて女性作家(まさに、原作のモデルと同じ職業)として成功し、お金も恋人も手に入れている。そんな彼女が、困った事態に遭遇し、どうしても夫との対話が必要になって、帰ってくる。そして、乳母、夫、娘、最後にまた夫とのやりとりが二人芝居の形で進行し、それぞれの空白の15年が明らかにされていくというスリリングな趣向。『人形の家』の仕掛けも巧みに援用されていて、“後日談”という形を取りながら優れた『人形の家』論ともなっており、この歴史的名作が今もなお世界に投げかける大きな問いをすくい取っているのが実に味わい深いところである。
 女が、出て行く。発表当時あまりにセンセーショナルだったその結末故に、フェミニズム的観点において語られることの多い『人形の家』。だが、「自分を教育しなくちゃ」「あたしは、何よりもまず人間よ、あなたと同じくらいにね」「社会とあたしのどちらが正しいか、確かめてみなくちゃね」といった、しびれるようなセリフがちりばめられた戯曲を読んでいると、人と人とが真に対等な立場で関係を結び、社会に在って共に生きていくことの難しさ、そして、その果てに見えるかすかな希望が、140年前に実にあざやかに描き出されていることに心動かされる。そして、ルーカス・ナスの『人形の家 Part2』は、21世紀を生きる人間として、そんなイプセンの問いかけに見事に応えるものである。15年後に帰ってきたノラは、家にとどまるのか、それとも――? ノラ役に永作博美を得て、栗山民也が構築する日本版の舞台に大いに期待したい。
【動画】『人形の家 Part2』PV

 なお、9月にはイプセンの『人形の家』が俳優座劇場で“音楽劇”として上演される。演出は西川信廣、作曲・音楽は上田亨、作詞は宮原芽映。2017年に初演され、高い評価を得ての再演だ。ノラ(ノーラ)を演じるのは土居裕子。『人形の家 Part2』の前日譚(?!)として鑑賞すれば、作品への理解をより深められるかもしれない。
*本稿における『人形の家』のセリフは原千代海訳の岩波文庫版に拠るもの。
文=藤本真由(舞台評論家)

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