スキッド・ロウのS・セイボ「デフ・
レパードからとても大切なことを学ん
だ」

スキッド・ロウのデイヴ・スネイク・セイボ(G)は、バンド初期──1stアルバム『Skid Row』をレコーディングしていた頃、デフ・レパードのメンバーに会い、その人柄、言動からとても大切なことを学んだそうだ。
セイボは『Metal Hammer』のインタビューで、こう話した。「彼らはボン・ジョヴィと友達で、ジョン(・ボン・ジョヴィ)とリッチー(・サンボラ)がデフ・レパードのメンバーに“いま、このグループ(スキッド・ロウ)と一緒にやってて、彼ら、そこでレコーディングしてるんだ。機会があったら、よろしく”とか言ったんだと思う。彼らは俺らのために、いろんなことをセットアップしてくれた。俺は、今でもそれを忘れたことはない。俺らみんな、そうだと思う」

「彼らは、どれほど成功しようが、それは全てファンのおかげで、成功におぼれず、人に優しくあるべきだってことを示してくれた。ボン・ジョヴィはそのお手本だ。でも、彼らはもともと友達だったからね。僕はジョンと幼なじみだった。だから、ちょっと違うかもしれない。俺が前からリスペクトしてた他のバンドで言えば……、俺はLAにいるとき、(デフ・レパードの1stアルバム)『On Through The Night』を買ったんだ。バック・カバーに若いメンバーの写真があったからだ。“オー・マイ・ゴッド このアルバムは買わないと。彼らは同世代だ”って思ったんだよ。インスパイアされた」

「<Hysteria>ツアーのときだったと思う。彼ら、俺らのスタジオに挨拶に来てくれたんだ。メンバー全員が素晴らしかったよ。フィル・コリンは俺をヘリコプターに乗せてくれた」「彼らは市内に何日かいて、街を離れるとき、山ほどのシャンパンを買って来て、俺らの幸運を願ってくれた。俺らは素晴らしい教えを受けた。これには永遠に感謝する。デフ・レパードがロックの殿堂入りするって聞いたとき、俺は、“あなた達ほどこの栄誉に相応しい人たちはいない。俺は1988年の夏を決して忘れることはないだろう。あなた達が、1stアルバムを制作中の無名のどうしようもない連中──俺らにどれほど優しく、気を遣い、丁寧に応対、歓迎してくれたことか、忘れはしない”ってメールを送ったんだ。彼らはそれを俺らに伝授してくれた。俺らも、他の人たちへ伝授してこられたと思う。素晴らしい体験だった」

スキッド・ロウが1stアルバムを制作中の1988年、デフ・レパードはすでに4枚のスタジオ・アルバムをリリースしており、「Photograph」「Animal」「Pour Some Sugar On Me」「Hysteria」が大ヒットし、4thアルバム『Hysteria』(1987年)が全英・全米で1位を獲得したビッグ・バンドだった。

Ako Suzuki

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