大ヒット曲「真夜中のオアシス」を
収録した
マリア・マルダーの初ソロ作
『オールド・タイム・レイディ』
フォーク・リバイバルで人気を集めた
ジャグバンド
ジャグバンドは1900年代初頭にブルースやラグタイムと融合したアメリカ南部の黒人を中心に広がった音楽で、19世紀後半に存在したミンストレル・ショー、20世紀になってその後を引き継いだヴォードヴィル(お笑いや手品、見世物など、大衆が集う演芸場のこと。フランスのバーレスクやイギリスのバラエティーと似ている)や、メディシン・ショー(巡回薬局というか、薬を売るために音楽やお笑いを見せるショーのこと。日本でも昔は飴を売るために小学校の校門前におじさんが来て、紙芝居を見せていたのはみなさんご存知だろう…あ、僕とは時代が違うか)などで演じられた大道芸的な存在である。
その演奏は、ギター、バンジョー、マンドリンなどの通常音楽で使われる楽器と、ウォッシュボード(洗濯板)、カズー、ウォッシュタブベース(金だらいを裏返して木の棒に針金を張った一弦ベース)、ジャグ(大きい瓶で、息を吹き込んでベース音を出す)、スプーン、ノコギリなどの見た目にも楽しげな道具を使うのが特徴である。特にフィンガーピックを付けて演奏する(掻き鳴らす?)ウォッシュボードは、ジャグバンド独特のグルーブ感を生み出す重要なアイテムだ。
ジャグバンド(スキッフル)出身の
ロックアーティスト
ジム・クウェスキン・ジャグ・バンド
当時、東海岸(ボストン界隈)ではジム・クウェスキン・ジャグ・バンドに大きな人気が集まっており、イーヴン・ダズン・ジャグ・バンドも2匹目のどじょうを狙い、64年にエレクトラレコードからデビューすることになるのだが、残念ながらさほど売れなかった。他にもアーティー・トラウムのトゥルー・エンデヴァー・ジャグ・バンドやデイブ・ヴァン・ロンクのラグタイム・ジャグ・ストンパーズなどが活動してはいたが、クウェスキンの人気には及ばず、どのグループも短命であった。というか、多くのアーティストがジャグバンドのグループは通過点としてみていたというほうが確かであろう。
ほどなくしてイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドは解散するのだが、彼女のヴォーカルとフィドルの腕前、そしてルーツ音楽への深い造詣を買われ、ジム・クウェスキン・ジャグ・バンドに参加することになった。クウェスキンのグループには、ビル・キース、ジェフ・マルダー、フリッツ・リッチモンドら、さまざまなルーツ音楽に精通した優れた人材が揃っており、彼女のルーツ音楽への探求心はますます深くなっていく。結局、クウェスキン・ジャグ・バンドで3枚のアルバムに参加、中でもリプリーズレコードからリリースされた『ガーデン・オブ・ジョイ』(‘67)は高い評価を得た。