井上道義(指揮)が語るショスタコー
ヴィチの本質「彼は作品に『心の自由
』『愛の自由』を忍ばせたのです。命
をかけて!」

井上道義が2019年10月のNHK交響楽団第1921回Aプログラムで、約3年ぶりに定期公演の指揮台に戻ってくる。メインは前回も好評だったショスタコーヴィチの交響曲から、今回は《第11番》。梅雨の高温多湿の昼下がり、東京都内の自宅で、N響との共演、ショスタコーヴィチに寄せる思い、さらには人生観まで、「今」をたっぷり語った。
――「ショスタコーヴィチは僕自身だ!」と言い切るほど、傾倒する理由は何ですか?
それは自分には絶対にできない生き方を作曲家としてつらぬいた同時代の人で、憧れの対象ですから。「一生をあのように思うままに生きることができたら!」と感情移入してしまうのです。
今の日本でも「空気を読め」「言ってはいけない」「忖度しろ」などなど、心の自由は危機にさらされています。児童虐待、家庭内暴力その他、環境がどんなに崩れていたとしても一人一人の心の自由だけは誰でも持てる!なかなか複雑な家庭に育った僕は、ショスタコーヴィチの指揮を通じ、人にとって最も大切なのは自由な心だと表現しています。逆に言えば、僕にはそれができるから、ショスタコーヴィチの演奏が成功するのかな。多くのロシア人指揮者でも、『ここまでの域にはなかなか達していない!』と自負します。遠い国に生まれ、生来持っていなくても、ロシア人やイタリア人が持っているものまで『絶対にほしい』と思う欲望が、極端に強い人間だったのが幸い?したかな。
私の父母の時代は戦争の時代でした。東京の日比谷公会堂では終戦も近い1945年、空襲警報の合間を縫い、ベートーヴェンの《第9》交響曲やストラヴィンスキーの《火の鳥》が演奏されていました。私は戦後(1946年)の生まれですが、日比谷の《第9》に接した成城学園の先輩は「危険でも聴きに行った。そこ以外、人間らしいものは何もなかったから」と。東京のごく一部のできごとで、地方や出征した兵士には関係のない話とはいえ、その時点でもクラシック音楽も外国のもの他人のものではなく、日本人が命がけで聴くものだったのです。最近は世界中が英語で結ばれ、命や体を張って聴いて書くという批評家やジャーナリストもいなくなりましたが、ショスタコーヴィチはああいう時代、牢獄のような社会の中で心の自由、愛の自由をさりげなく、楽曲の中に忍ばせていました。命をかけて!
今は世界中に情報が行き渡り、楽員もパート譜ではなくスコア(総譜)をダウンロード、DTM音源とはいえ、初演作品すら音が簡単に入手できる時代、指揮者と楽員の持てる材料は同じになりました。私の恩師であるセルジュ・チェリビダッケの時代は指揮者が楽員のミスを激しく指摘しましたが、今や情報の共有が行き届き、指揮者の優位性は消えたのです。全員が同じ地平に立つ時代が訪れた今、「音楽は苦しさを目標とするものではなく、厳しさの中にも歓びを目指すもの」であり、さらに言えば「音楽が一番必要としているのが人と人との間の平和だ」と確信しています。
――前回のN響定期への出演はなんと「N響初演」となった《交響曲第12番》でした。今回は《第11番》ですが、このプログラミングには特別の意図がありますか?
本当は《第11番》と《第12番》を1回の演奏会で指揮したかったのですが、 前回は《12番》だけとなったから、今回は残りの《11番》をやろうということです。
かつて《第5番》が「革命」と間違って呼ばれていましたが、ショスタコーヴィチにとって真に革命の音楽は《11番》と《12番》です。《12番》は長い間、作品のもつ真の意味を理解しない指揮や批評のおかげで駄作とさえ言われ続け、演奏機会に恵まれず、どこのオーケストラからもプログラムに取り上げることを敬遠され続けた過去があり、38年ぶりの定期登場でN響と私とがもう一度向き合うには、ふさわしかったのかもしれません。
誤解を恐れずに言えば、《11番》は逆に、全15曲の交響曲の中で最も映画の背景が思い浮かぶ作品です。ショスタコーヴィチの交響曲を初めて聴くなら、《11番》から聴くのがいいと思うくらいわかりやすく、シベリウスにも近い広大な世界が広がります。フィンランドもロシアも、「長く暗い冬の国」とネガティブに思われがちですが、北海道でも同じように冬空の透き通った空気感は、たまらなく魅力的。10月の観光シーズン、北海道に行くよりはN響で《11番》を聴く方が忘れられない心の旅になるかも!
――組み合わせる作品はN響の首席ティンパニ奏者、植松透と久保昌一をソリストに起用したフィリップ・グラスの《2人のティンパニストと管弦楽のための協奏的幻想曲》。ひと昔前の東西冷戦時代の旧ソ連のライバル、アメリカ合衆国の作曲家です。米ロ友好の象徴という意図で組み合わせたのでしょうか?
ちがいます! 昔のようにN響もドイツ音楽ばかりではなくなり、メンバーもすっかり若返った今、NHKホールの能力を生かしきる、最適の作品だと思ったからです。僕は昔から、世の中に良いホールと悪いホールがあるという考えにはくみしません。その作品に合うホール、合わないホールがあるだけです。2人のティンパニ奏者が活躍する協奏曲を、NHKホールより小ぶりの、響きのたっぷりしたホールで演奏したら、どうなるか想像は簡単でしょう?
――前回の定期以降、N響楽員の若返りについてしばしば話題にされています。
N響といわず日本のオーケストラ全体、どこに行っても、とても若い人たちばかりです。先日、リッカルド・ムーティさんとお話しする機会がありました。彼がウィーン・フィルを指揮するとき「昔は楽員に対しプロフェッソーリ(教授たち)と呼びかけていたけど、今や全員バンビーニ(子どもたち)になってしまった」と、同じような感慨をお持ちでした。N響の定期公演では38年間指揮しなかったのですが、その他の公演ではしばしば共演していました。しかし、改めて正面から向き合うと、僕より年長の楽員さんはいなくなり、女性がとても増えたことに気がつきました。アメリカのオーケストラではアジア系の楽員、特に女性が急増しています。かつてサンクトペテルブルク交響楽団へ定期的に客演していた時代、ロシアのオーケストラには定年がなく、80歳の第1ヴァイオリン奏者や75歳のコントラファゴット奏者が活躍していて「ああ、僕もまだ若い」などと思ったものですが、齋藤秀雄さん(享年72)や渡邉暁雄さん(同71)が亡くなった年齢を超えてしまった今は、最年長の部類に入っています。僕が戦後社会の中でアメリカ占領軍などの外国文化、宗教、食べ物、体格などに対して楽員さんたちと共有していた屈折した思いも、今は重要視されなくなったかな。そういった意味でもオーケストラは社会の縮図ですね。
例えば、ヨーロッパでも、昔はイタリア語ができないと、イタリアのオーケストラや劇場で指揮するチャンスはありませんでした。今はロシアなど一部の例外を除き、すべて英語でこと足ります。昔はロンドンでの美食は恐ろしく困難でしたが、今はそこそこ美味しいものが食べられます。一事が万事、情報が行き届き、簡単にほしいものが手に入る時代です。楽譜からしか情報が得られなかったころに比べ、音楽を究める作業も簡単になり過ぎた気がします。オーケストラに目を向けても、ドイツ流儀でアカデミックな東京藝術大学音楽学部出身者中心の老舗N響に対抗して、「そうじゃないオーケストラを作ろう」と米国流を意識した楽団が誕生したころに比べ、すべての団体が“何でもできるオーケストラ”になってしまいました。すべての水準が上がり、個性も平準化した結果、逆に「指揮者がダメだったら、違いがわからない」という厳しい時代になったのではないかな。金棒に必要なのは鬼なのだけど。
聞き手・構成:池田卓

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