【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#113
ドラマー・村上“ポンタ”秀一の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

たとえばいいとこあるとするじゃない?
したら、それを再現しようとするのよ
。すっとすごい束縛されんのよ

より

この対談を読むと、女性ドラマーGraceにとって、村上 “ポンタ” 秀一は「ドラムの魅力を一番最初に教えてくれたヒト」であり、敬愛し続けている人物であることがわかる。記事の中では、ドラム演奏における呼吸法から様々なアーティストとの思い出や私生活まで、村上の知られざる一面が引き出されている。今回の名言は、Graceの「映像とかは? あとでチェックしたりとかはあるの?」という質問に対する答えである。村上は、「観賞用に見るってことはまずない」と明かし、今回の名言につながる。「それをね、1回味わったときにね、これは絶対やめようと思った。何やってんだろう俺、みたいな。3ヶ月も4ヶ月も前のこと、できなかったからって『あれ、ちょっと今日はプレイが違った』って、何言ってんだ、いまはお前はお前じゃんいまのお前じゃないかみたいなことを」と語っている。つまり、日々、アップデートしているということなのだ。まさに、セッションミュージシャンらしい言葉である。

村上 “ポンタ” 秀一(むらかみ ぽんた しゅういち)
1951年1月1日生まれ、兵庫県西宮市出身。セッションドラマー、スタジオ・ミュージシャン。1972年、フォークグループ・赤い鳥のドラマーのオーディションに挑戦して合格し、プロデビュー。1973年、赤い鳥を脱退。エントランスを結成し、五輪真弓のバックバンドを務める。エントランス解散の後に、スタジオ・ミュージシャンとして本格的に活動を始める。アニメソング、歌謡曲、演歌など幅広いジャンルのレコーディングに参加。「氷の世界」(井上陽水)、「年下の男の子」(キャンディーズ)、「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」(ささきいさお)など多くの名曲に参加している。1975年、クロスオーバーブームの先駆けとなったセッションバンド・バンブーに参加。同年、セッションバンド・カミーノを結成。1986年、渡辺香津美の全米ツアーに参加。1987年、国際交流基金によるアフリカツアーに参加。同年、ハードロックバンドのザ・メーカーズを結成。1998年、活動25周年記念アルバム『Welcome To My Life』を発売。2003年、活動30周年記念アルバム『My Preasure』を発売。現在までに、レコーディングに参加した曲は14,000曲以上。今もなお、トップドラマーとして精力的に活動を続けている。

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