長塚圭史演出×白石加代子主演 秋元
松代の名作戯曲『常陸坊海尊』の全キ
ャストが決定 中村ゆり、平埜生成、
尾上寛之ら
昨年11月に上演し、好評を博した『セールスマンの死』など、KAAT で様々な作品を手掛けてきた劇作家・演出家の長塚圭史が本年4月に芸術参与に就任し、白井は、「長塚さんに芸術参与として私のサポートをしていただくと同時に、21年度の新監督就任への準備期間にしたい」「二人で二輪駆動で 2 年間走って、アクセルを踏んだ状態でバトンタッチしたい」。長塚は、「これから 2 年間、僕と白井さんで複眼的にこの劇場を見つめ、劇場の演劇的なインフラを整えていく力になっていきたい」と抱負を述べた。
『浮標』『冒した者』など三好十郎作品に新たな命を吹き込み、高く評価された長塚が、三好十郎の門下生として三好十郎戯曲研究会でデビュー作「軽蔑」を発表し、三好を父と敬愛した秋元作品に取り組む。長塚は、「これは現在の私たちの社会に痛烈に響く現代劇です。そして私たちの踏みしめるこの大地に流れる血脈を知ることの出来る覚醒劇でもあります」とコメントを寄せている。
おばばの美しい孫娘で、その魔性で男を翻弄する雪乃には、話題のドラマ・映画に数多く出演し、独自の存在感を放つ中村ゆり。
東京からの疎開児童で、おばばと雪乃とともに生活し、最後に自らが海尊となり、罪を償う懺悔の旅に発つ安田啓太を演じるのは、井上ひさし作『わたしはだれでしょう』で読売演劇大賞男優賞・上半期ベスト5に選出され、近年は映像にも活躍の場を広げる平埜生成。啓太とともに疎開し、後にサラリーマンとなって啓太を訪ねる伊藤豊には、多種多様な役柄を演じわけ、様々な演出家からの信頼も厚い実力派俳優・尾上寛之。
さらに、本作のタイトルでもある伝説の人物・常陸坊海尊は、劇中、三人の異なる海尊として登場する。第一の海尊と第三の海尊には、串田和美率いる自由劇場の看板俳優として活躍し、劇団解散後は様々な舞台で独特の存在感を放つ大森博史と真那胡敬二、第二の海尊には、コンテンポラリーダンスのダンサー・振付家として国内外で活動し、白井晃・劇団イキウメなどにも振付を提供する平原慎太郎。平原は今回俳優として出演するほか、ムーブメントも担当する。
歌舞伎『勧進帳』にも登場する常陸坊海尊。『平家物語』を受けて室町時代に書かれた軍記物『義経記』において、主君義経を裏切った卑怯な逃亡者、罪深い裏切り者として汚名を残した常陸坊海尊(義経が自決した衣川の戦いの前夜に逃走)は、義経の死後、自らの罪を懺悔して東北各地を流浪し、義経の武勇を語り歩く琵琶法師となって生き延びたとする仙人伝説が生まれた(400 年以上生き延びたとする説や、戯曲『常陸坊海尊』では「さすらい歩いて七百五十年」と書かれている等、諸説あり)。敵前逃亡をして主君義経や仲間を裏切った背信という罪を犯した海尊だが、秋元は「罪障消滅を願う人間の心は(略)自分が全部(罪を)背負っていく。ですからあなた方庶民の人たちは、むだに苦しんだり、自分を責めたり、後悔したり、涙を流したりしないで、もっと日常の生活を楽しみなさい。あなた方の犯した罪障は、私が背負ってしまったから、あなた方はすでに清浄無垢なのだ。わたしにまかせて安心しなさいと海尊に最後に言わせたかったんです。そういう海尊を存在させ永久に生まれ変わらせたのが、民衆だと言おうとした」(月刊誌「短歌」78年9月号)海尊の背負う罪は、西欧流の罰せられる罪というより、庶民を救済する願いとして成立していく。
<STORY>
東京から疎開に来た啓太と豊は、ある日雪乃という美しい少女に出会う。常陸坊海尊の妻と名乗るおばばと暮らしている雪乃に二人は海尊のミイラを見せられる。烈しくなる戦争で両親を失った少年たちは雪乃に魅かれていくが、啓太は母恋しさで次第におばばに母親の姿を重ねていく。
東京に戻って成人した豊は、十六年後、岬に近い格式の高い神社を訪ねる。そこには巫女をつとめる雪乃と戦後おばばたちと共に消息を絶った啓太の姿があった。
再会をなつかしむ豊は、雪乃の妖しい美しさに魂を抜かれてぬけがらとなった啓太に衝撃を受け、あざわらうかのように子守歌をうたう雪乃に魅入られていく自分の平凡な人生の、基盤がくずれていく恐怖に自失する。
取り残された啓太は、生きながら死に腐れていく自分の運命を嘆き、現れた第三の海尊に救いを求めるが、やがて自分自身が海尊となり、自らの罪を懺悔するため琵琶を抱いてさまよっていく。
しかも長塚さんは安易な道がお嫌い。(笑)
「常陸坊海尊」はさらに巨大な森です。
何度かご一緒したわたしに分かることは、一筋縄ではいかないこの作品が長塚圭史さんを探しあて、身を
委ねたのだと思います。
わたしもしっかりついていき、一緒に探検を楽しみたいと思っています。
実はまだ企画の概要を聞いて戯曲を受け取り、軽くそれを読んだだけで、何ら具体的なディレクションを受けたわけでもない。なのに私の中で壮大な妄想が膨らんで、巨大な怪物が生まれようとしている。私はまだ指一本動かしていないし、鼻唄の一節さえ諳んじていないのだが、この怪物がさぞかし良い仕事をしてくれるだろうという期待しかない。
で、ふと物語の中の身体を考えた時に「永遠を生きる身体」とはどういったものかと立ち止まりました。
皮膚の動き、呼気の状態、体重を感じさせないだろう所作など、全てが現実のそれとは逸しているのではないか。
さらにそれを取り巻く環境とはー。自然も人も今より生きていた時代のお話と察します。
その「生きる肉体」にしっかりフォーカスを当てて長塚氏の世界観と物語を彩る一部になればという風に思います。
妖にこそ肉体が付随するという事を信じて。
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