グループ分裂直前の作品にも
かかわらず
傑作となったCCRの『ペンデュラム』

修行中のゴリウォッグス時代

1964年、新興ジャズレーベルのファンタジーと契約し、グループ名をゴリウォッグスに変えシングルを数枚リリースするものの売れなかった。売れなかったのは、彼らの所属していたレーベルがジャズ専門であったことが大きい。他のシスコのグループはポピュラー音楽専門のレーベルだったので、レーベル自体が売り方を心得ていたし、曲のアレンジにしてもプロデューサーが時流に合った指導をしていたわけだが、ファンタジーはそのへんのノウハウがまだなく、宣伝力もプロデュース力も弱かった。ただ、ジョン・フォガティはグループの運営と自分のヴォーカルには自信を持っていたので、徐々にリーダーとしての頭角を現すことになる。まだグループの音楽性はR&Bやロカビリーであったが、ビートルズやストーンズらに触発されジョンはソングライティングとヴォーカルの腕を磨いていく。

CCRのデビュー

1968年、彼らはゴリウォッグスからクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルに改名、ジェファーソン・エアプレインやクイックシルバー・メッセンジャー・サービスら他のシスコのグループと同じようにサイケデリックなネーミングとした。デビューアルバムの『スージーQ(原題:Creedence Clearwater Revival)』(‘68)はサイケデリックな部分のあるロカビリー・R&Bグループといった風情であるが、すでにジョン・フォガティの黒っぽくシャウトするヴォーカルは完成されており、他の西海岸のグループを圧倒していた。カントリーソウルの有名アーティスト、デイル・ホーキンスの「スージーQ」のカバーが全米チャート11位となり、彼らの名前は全米で広く知られるようになる。

年3枚という驚異的なペースでの
アルバムリリース

翌69年はCCRの破竹の活躍が始まる年である。まずは1月に2ndアルバム『バイユー・カントリー』をリリース、このアルバムに収録されたジョン・フォガティのオリジナル「プラウド・メアリー」が全米2位、全英8位と大ヒット、アルバムもその追い風を受けて7位まで上昇する。アルバムはロックンロールとR&Bスタイルが中心ではあるが、「プラウド・メアリー」は明らかにカントリーソウルのテイストを持っており、南部っぽくはあるがCCR独自のダウントゥアースなロックに仕上がっている。ご存知の通り、この曲は今では白人黒人を問わず取り上げるアメリカンポップスのスタンダードだ。

そして、同年8月には3rdアルバム『グリーン・リヴァー』がリリースされ、シングルカットされた「グリーン・リヴァー」(全米2位、全英19位)と「バッド・ムーン・ライジング」(全米2位、全英1位)が世界的に大ヒットする。また「ロート・ア・ソング・フォー・エブリワン」と「ロディ」の名曲2曲は彼らにとって最初のカントリーロック作品である。ジャケットはこれまでのサイケデリックなイメージを払拭し、収録されたアーシーなサウンド(R&B、ロカビリー&カントリーロック)をそのまま表したかのようである。3作目にして、満足できる自分たちの音楽を創造した瞬間であろう。アルバムは初の全米1位を獲得している。

同年11月には4thアルバム『ウィリー&ザ・プアボーイズ』をリリース、この作品からもジョン・フォガティ作「ダウン・オン・ザ・コーナー」(全米3位)が大ヒット、他にもジャグバンド風のインスト「プアボーイ・シャッフル」やレッドベリーのカバーも収録するなど、名曲揃いのアルバムとなった。ブリティッシュロックの香りがする名曲「エフィジィ」はジョンの新たな試みである。

OKMusic編集部

全ての音楽情報がここに、ファンから評論家まで、誰もが「アーティスト」、「音楽」がもつ可能性を最大限に発信できる音楽情報メディアです。

新着