【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#116
シンガーソングライター・三上寛の言

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

わたしが世界に行ってわかったのは、要
するに「世界には二種類しかいない」っ
てことで、カタギかやくざか、プロかア
マチアか、ふたつしかない

より

まず、このインタビューの『もうひとりの、“日本のパンク”のゴッドファーザー』というタイトルに注目して欲しい。三上寛といえば、フォークシンガーというイメージが強いが、“日本のパンク”と謳われているのである。パンクの定義は定かではないが、それがアナーキーということならば、三上はパンクな存在に違いない。過激な歌詞と怒声のような歌いっぷりがそれを物語っている。「三上さんにとって寺山修司さんからの影響とは、どういうものだったんでしょう?」という質問に対して、「それはやっぱり家を出たことですね。それは昔で言うなら出家ですよね。そこでカタギじゃなくなるわけですから。やくざものになるわけですからね」と答えている。そして、今回の名言につながるわけだが、それを若者に対するメッセージに代えている。「情報だけじゃなくてある種のやる気、一歩踏み出す感じを持ってほしい。我々のときはそういうものがありましたからね。『一歩前へ』とか『やっちゃえ』とかね」と。それが、ヤクザでプロの三上からの提言なのである。三上の世界観からしてパンクと言えよう。

三上寛(みかみかん)
1950年3月20日生まれ、青森県北津軽郡中泊町出身。フォークシンガー、ブルースシンガー、俳優、詩人。1967年、ガリ版刷りで自費出版した詩集『白い彫刻』が寺山修司の眼にとまり称賛される。1970年、田原総一朗の制作によるドキュメンタリー『ドギつく生きよう宣言〜もう一人の永山則夫・三上寛〜』が放送される。1971年、シングル「馬鹿ぶし」でデビュー。同年、『第3回全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)』に出演し、自作の歌詞による「夢は夜ひらく」のカバー、よど号ハイジャック事件を題材にした「飛行機ぶんどって」などを披露し話題を呼ぶ。同年、1stアルバム『三上寛の世界 』を発表。1974年、寺山修司監督による『田園に死す』で俳優デビュー。以降、映画『戦場のメリークリスマス』(1983年)やNHK連続テレビ小説『おしん』(1983年)など、俳優としても多くの作品で活躍し続けている。『上京入門』(1987年/KKロングセラーズ)、『三上寛怨歌に生きる』(2000年/彩流社)など、著書も多数。2019年9月28日、西荻窪のアケタの店にて、『酒とジャズを愛する貧乏人 ハッピー山ちゃん 追悼ライブ』に出演予定。現在もなお、多くのライブ活動を続けている。

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