2019.9.8 卒業発表後のラストライブ直後の記念写真inタイ

2019.9.8 卒業発表後のラストライブ直後の記念写真inタイ

【緊急】南にこ、「アイドル」卒業し
ます!!!!:南にこのタイからアイドル
革命!22

タイ・日本混合グループ『Siam☆Dream』で活躍していた異色アイドルの月イチコラム連載
南にこのタイからアイドル革命!
第22回 【緊急】南にこ、「アイドル」卒業します!!!! こんにちは&サワディーカー! 南にこです!
 この9月8日、私はタイ・バンコクで、タイの大学構内で開催されたコスプレイベントのステージに立っていましまた。
 そのステージで、私は、こんな言葉を放ちました。
「私・南にこは、6年6カ月続けてきた、アイドルを、このステージを最後に、卒業いたします! 今まで本当に本当に本当にありがとうございました!」
2年前からドクターストップがかかっていました「Siam☆Dreamを卒業します」という発表自体が、ほんの数日前のSNS上でのものでしたので、ファンのみんな、応援してくださる方々を大変驚かせることになってしまいました。そのことに関しては申し訳なく思っています。
 ただ、私がSiam☆Dreamを脱退すること、それに伴いアイドルユニット活動全般から身を引く理由は、何かトラブルや事件があったためでは決してありません。
 初めて打ち明けることですが、実は私はおよそ2年前から、形成外科の担当医さんからドクターストップを通告されていました。
「これ以上、激しい運動――ダンスなどを継続すると、日常生活もおくれなくなるほどの状態になりかねません」
 それは、私がかなり重度の腰の病気――「椎間板ヘルニア」を患っていたからでした。
 「椎間板ヘルニア」は私にとって時限爆弾のようなものでした。いつ動けなくなるかわからない恐怖がありました。でも逆に、私の夢にもまた時間制限がありました。〝女の子がアイドルユニットとして、ライブアイドルとして輝ける時期にもタイムリミットがある〟って私は強く思っていました。
 だからこそ私は、お医者さんからドクターストップを告げられた後、さらに逆行するようにアイドル活動を激しくして、『アスタリスク』『SEVEN4』『Siam☆Dream』と3つのアイドルユニットを、日本とタイとを掛け持ちする形で進行させていきました。
 ただ、3つのユニット全てを100%の状態でやり切るのは、やはりどう考えても無茶で、命とりでした。3つを掛け持ちすることはどう考えても無理でした。
「地下アイドル」はまた、「ライブアイドル」とも呼ばれます。地下アイドルの「地下」自体、ライブハウスが地下1階や2階に多いことが語源とも言われているくらい、地下アイドル活動ってライブが主体なんです。イベントなどの場合はステージ時間が15分~30分で3曲~5曲くらいですが、グループやユニットによってはかなり激しいダンスをしますし、ステージが連日続くこともあります。また例え15分間のステージだとしても、その15分間をやり切るためにはその何十倍、何百倍ものレッスン/練習時間が必要なんです。そう、アイドルって本当に「超肉体労働」というか、スポーツ選手に近いくらい、肉体を使う仕事なんだって個人的に痛感する日々でした。
 そうして、そんな3つのユニットを掛け持ちして、極限に近いくらいカラダを酷使……といってよければ酷使…する毎日の中、私の腰の症状は悪化し、カラダは悲鳴をあげていきました。
 考えて考えて、悩んで悩んだあげく、私は所属するユニットをひとつに絞ることに決めて、最終的にSiam☆Dreamを選びました。そう、Siam☆Dreamの可能性に賭けたんです。私がタイへ活動拠点を移したことの背景には、実はこういう事実があったのでした。
倒れるまでやるのか、それとも…… Siam☆Dreamとしての活動をタイで開始してからは、少しづつですが、私の腰の病気も緩和されてはきていました。ユニットが3つからひとつになったことで運動量が軽減されたこともありますし、また当初のSiam☆Dreamの楽曲が王道アイドル系の振り付けで、激しいダンス楽曲でなかったことも幸いしていたのかもしれないです。
 ただ、Siam☆Dreamがどんどんメジャーになっていくというか、正直〝売れて〟くるなかで、タイと日本の飛行機での往復も、ステージの数も一気に多くなってていきました。さらに楽曲も増えて、それに伴ってダンスもフォーメーションもどんどん激しく複雑に進化していき、そのことに不安を覚えつつもありました。自分の夢がどんどん実現化していくことの喜びと、その夢に自分のカラダがついていけないんじゃないかという不安、このふたつが常に自分自身の中で激しく葛藤していたのです。
 8月3日、日本でT.I.F=『TOKYO IDOL FESTIVAL 』に初出場させていただきました。
 これはそれこそ、Siam☆Dreamの第一期のピークともいえるステージだったと思います。私自身、このステージをやり終えた直後、物凄い達成感を感じました。ただいつもなら良いステージ、満足いくライブのあとはニコニコ笑顔になるのですが、このときは笑顔すら忘れてしまうというか、本当に、ただただ、「ああ、やりきったな、やりきったんだな、私たち……」という感じ、真っ白に燃え尽きた感じでした。
 ただ、T.I.Fの達成感にひたる間もなく、Siam☆Dreamの活動は次へと前進します。
 具体的にいうと、新たなSiam☆Dreamの楽曲作りです。それはこれまでの王道アイドル系から、今タイでも、そして世界レベルで大人気のK-POPスタイルの激しいダンスを伴う楽曲でした。
 実際、私はそれまでの楽曲ですら、腰の症状悪化が原因で、レッスンを消化できないことが度々ありました。
 Siam☆Dreamは7人編成で、ユニットアイドルはフォーメーションが命です。一人でもそれを乱すメンバーがいると全て台無しになります。ダンスレッスンに自分のカラダがついていかないことの悔しさ、そのことでメンバーやスタッフさんたちに迷惑をかけてしまうことの情けなさに、私は身を切られる、切り刻まれるような苦しさを常に感じる毎日でした。同時に純粋に肉体的にも激しい苦しみが襲ってきてもいました。ただ真っすぐに立っているだけのことが痛くてできない、座っても痛みは治まらない、という状態でした。痛みって恐ろしいもので、精神的にもどんどん追い詰められていくんです。
 メンバーのみんなは私の腰の病気をわかってくれているので、ずっと「がんばろ!」「無理しないで!」と言ってくれていました。でもアイドルってユニットって本当に「一大プロジェクト」で、ステージに立つ私たちの後ろには何十人、何百人のスタッフさんたちの努力があります。さらに私たちの目の前には何百人・何千人・何万人の応援してくださるファンの方たちがいます。
 自分自身が限界まで頑張るということ。倒れるまで突き進むこと。それは美しい生き様かもしれません。でもそういうやり方がどれだけ他者に迷惑をかけてしまうのか。私は『Asterisk』でリーダーを務めた経験もあるので、それを痛いくらいわかっていました。
 だからこそ私は、大きな大きな決断をしなくてはいけませんでした。
 それは、Siam☆Dreamを卒業することでした。
 そして、長く続けてきたアイドル活動に終止符を打つことでした。
(次回に続きます)(月1回月曜連載)

写真:2019.9.8 卒業発表後のラストライブ直後の記念写真inタイ
★Siam☆Dream『Espresso/エスプレッソ』 (タイ語ver.)【MV Official】
https://www.youtube.com/watch?v=W29VBgE_IEo
★南にこソロアルバム『Colorful』告知 https://twitter.com/lavproduction/status/1087245156615577600
★Siam☆Dreamデビューステージ動画
https://www.youtube.com/watch?v=PyN8P-OSM2Y
★Siam☆Dream デビュー曲『Hi-touch (ハイタッチ)』PV
https://www.youtube.com/watch?v=Ll7AJKFI6fE
★Siam☆Dreamツイッター
https://twitter.com/siamdream_idol?lang=ja
★南にこツイッター
https://twitter.com/minami_nico28
★あいどるかふぇ『2ねん8くみ』千葉校ツイッター
https://twitter.com/chiba_nippachi
★あいどるかふぇ『2ねん8くみ』仙台本店ツイッター
https://twitter.com/idolcafe2_8
★2ねん8くみ千葉校 HP
http://2nen8kumi-chiba.com/
★2ねん8くみ仙台校 HP
http://www.2-8cafe.com/
【南にこ:プロフィール】
2015年、『あいどるかふぇ 2ねん8くみ千葉校』に入店。その後、『千葉校』から発展した選抜ユニット『Asterisk』リーダーとなり、アイドルグループ『SEVEN4』メンバーも兼任する。さらに日本&タイ混合アイドル『Siam☆Dream「サイアム☆ドリーム」』に抜擢され、タイ・デビューも果たす。
現在はアイドルを卒業し新人声優として活動中。
記事バックナンバー:https://wp.me/p95UoP-bo
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