【インタビュー】島キクジロウ、パン
クロッカーがなぜ弁護士に?「相手が
国だろうが大企業だろうが戦える」

現在、56歳。パンクロッカーにして、弁護士というふたつの顔を持つ異色のアーティストが島キクジロウだ。ロックミュージシャンを志して1985年よりthe JUMPSを始動。翌年にはTHE BLUE HEARTSやLÄ-PPISCH等とオムニバスアルバム『JUST A BEAT SHOW 1986.3.8 YANEURA』を発表した。しかし、41歳のときに弁護士を目指して司法試験に合格、ロック弁護士の道へ。自らを“ROCK'N'LAWYER”と名乗る島キクジロウが、憲法をビートに乗せたシリーズ曲を含むアルバム『KNOW YOUR RIGHTS』を9月4日にリリース、現在全国ツアー中だ。
小学生のときから反戦フォークに興味を持ち、高校生でパンクの洗礼を受け、クラッシュにやられてバンド人生を突っ走ってきた。弁護士事務所開設後は、原発メーカー訴訟にて、約4000人の原告団 団長を務めた。島は、なぜ40歳を過ぎて弁護士になろうと思ったのか? “ロック弁護士”の名にふさわしい異色な人生とそのアティチュードに迫る。

   ◆   ◆   ◆

■弁護士って自由な存在
■何者にも囚われずやっていける

──島さんは1985年にロックバンドthe JUMPSを結成。現在は新しい人権“ノー・ニュークス権”を提唱し、これを国民に広げるために元ZELDAの小澤亜子さん等と島キクジロウ& NO NUKES RIGHTSとして活躍される弁護士でありパンクロッカーでもある。まず、バンド活動をする過程で、弁護士を目指した経緯からお聞きしたいのですが?

島:16歳からバンドを始めてバンド一辺倒だったんですね。きっかけはクラッシュ。影響を受けて“よし! これで行こう”と。

──リアルタイムでパンクロックの洗礼を受けたんですよね?

島:そうです。それからパンクムーヴメントにどっぷり。それまでは岡林信康とか吉田拓郎とか反戦フォークが好きで聴いてたんですけど、そういう音楽とビートルズとかの洋楽が結びつかなかった。でも、クラッシュを聴いたことで社会で起きていることを歌うことと8ビートが結びついて、“俺の人生、これだな”みたいな。で、大学入学(1986年に早稲田大学政経学部卒業)を口実に東京に出てきてバンドを組んで、1986年にthe JUMPSでTHE BLUE HEARTSとかと一緒にオムニバスアルバム(『JUST A BEAT SHOW 1986 YANEURA』 / THE BLUE HEARTS, LA-PPISCH, THE LONDON TIMES)を出したり。非常に順調で“このままビッグになるぞ!”って思ってたんだけど、ライブハウスの枠を超えられないまま、ずーっとバンドをやっていたんですね。
▲BEAT SHOW CLUB BAND / シングル「夜汽車 / JUST A BEAT SHOW のテーマ」/ メンバー:島掬次郎、甲本ヒロト、マグミ、片岡健一、ドリアン助川 - メディアレモラス

──転機が訪れたのは?

島:41歳の誕生日の朝に、“16歳からちょうど25年間バンドやってきたな”って考えていたら、“まだ現役でやっていける時間が、あと25年はある”って気づいたんですよ。41歳っていったら音楽業界ではベテランだし、狭い世界の中じゃ大御所みたいな扱いをされる年齢だけど、考えてみたら“人生もうひとつぶんぐらいの時間があるな”って。

──第二の人生というか、まだまだやれることがあると?

島:もちろんバンド生活は楽しいんだけど、“ロックで社会変革がしたい”っていう当初の目的からすると、このままでは一歩も進めないなと。もうひとつの人生があるとすれば、自分の能力をフル回転させたら、もっと違うことができるかもしれないと思って、一回止まってもいいから考えようと。で、布団から出て、とにかく一旦白紙にしてみようって。その数日後、司法試験に“環境法”っていう科目が新たにできたって新聞で見たんですよね。

──環境法にピンときたんですか?

島:もともと僕の中のテーマが環境問題だったんです。自然環境を守るという趣旨の環境問題というより、物質的な欲望を満たすという価値観では、この先の未来はないなと思っていたんですね。

──何歳ぐらいのときに、そんなことを思っていたんですか?

島:中学1年のときに有吉佐和子さんの小説『複合汚染』を読んだことが大きいんだけど、音楽であったり映画であったり食事であったり自然であったり、そういうものに豊かさを見出していく社会になっていかなければ先はないなと思っていたので、環境問題を切り口に価値観の転換をはかりたいと。自分はそういう意味での環境オタクだったから、法律という切り口から関わっていくのも面白いなって。市民運動によって社会を変えていくのも大切だけど、弁護士になれば相手が国だろうが大企業であろうが戦えるわけじゃないですか。“これはロックだな”と思って。

──戦いたかったわけですね。

島:そうそう。もっと直接、対峙したかったんですよね。で、“ROCK'N'LAWYER”なんてキャッチーなフレーズも思いついちゃったりして。
──“ロック弁護士”を名乗る日本人もそうそういないし。

島:そうですね。調べれば調べるほど弁護士って自由な存在だしね。

──そうなんですか?

島:何者にも囚われずやっていける立ち位置なんですよ。で、思いたった1年後にロースクールに入ることにしたんです。

──クラッシュ以前に聴かれていたフォークも、社会的メッセージ性が強いアーティストですよね。

島:小学校4〜5年ぐらいから聴いてたんだけど、社会に対して尖った表現をする人に対して“カッコいい”って漠然と思ってたんですよね。

──クラスの友達に、そういう感覚で音楽を聴いている人はいました?

島:いや、親戚の年上の従兄弟とか友達のお兄ちゃんとかね。音楽以外だと、絵画はピカソの『ゲルニカ』だったり、ダリだったり、表現を通して社会に批判的なメッセージを伝えるみたいな作品に惹かれてたから。

──なるほど。少年期からロック弁護士になる素養はあったんですね。

島:うん、もともと、そういう性質だったんでしょう。

──パンクのなかでも、ラモーンズとかセックス・ピストルズより、クラッシュに惹かれた理由も社会的なメッセージにありますか?

島:もちろん最初はピストルズもカッコいいなと思いましたよ。だけど、決定的に違うのはジョニー・ロットンはシド・ヴィシャスが死んで“PUNK IS DEAD”って発言を残してるわけ。でも、クラッシュのジョー・ストラマーは音楽的にどんどん進化していって、ファンから「こんなのパンクじゃない」って唾吐かれても、あくまでも「パンクっていうのは姿勢、態度なんだ」って言って、アルバム『ロンドン・コーリング』でいろんな音楽を取り入れた。最初はルックスから入ったんだけど、その姿勢に“一生、ジョー・ストラマーについていこう”って。

──島さんはジョー・ストラマーのどんな考え方に共鳴したんですか?

島:やっぱり愛があるし、立ち向かっていく姿勢があらゆるメッセージの中に含まれているし、ソロになってからも苦悩しながら音楽を作って、自分でビラ撒いたりしていたとか、ひとつひとつのことにグッときてましたね。
■音楽は練習しても前に進んでるのかわからない
■だけど、勉強は頑張れば100%前に進むから

──当時のイギリスには貧富の差があって簡単に上にいけない社会構造だった。そういう部分もパンクが生まれた背景のひとつにあったようですが、島さんはそういうことも踏まえた上でクラッシュにのめり込んだのでしょうか?

島:そうでもないですけどね。音楽とファッションと直感。好きなアーティストに関してはインタビューを読んで、カッコいいなって。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズも知的なことをサラッと言うじゃないですか? ジョン・レノンもそうですけど、ロックの反抗的な部分とちょっとした知性とユーモアにグッときてましたね。
──アメリカよりイギリスのロックですか?

島:圧倒的にそうですね。アメリカも中には好きなアーティストがいるぐらいで。子供のときは意識して分けて聴いてないからあとで気づくんだけど。わかりやすい例だとラモーンズはそんなに好きになれない。テレヴィジョンとかイギー・ポップはいいんだけどね。

──ニューウェーブ感というか? モッズを描いた映画『さらば青春の光』にグッときた世代ですよね?

島:もろに。後にロンドンでも見る機会があったんですけど、やっぱり全然興奮が違いましたね。The WHOの映画『ザ・キッズ・アー・オールライト』もロンドンで見ました。

──島さん自身の今日のファッションもモッズ系スーツでUKを感じさせます。そんなロック一筋の人生を歩んできて、司法試験受けるために猛勉強されたわけですね?

島:やるって決めたら時間もないし、早くスタートラインに立ちたいから日本でいちばん勉強する受験生になろうって。睡眠時間2時間でがんばるとかじゃなくて6時間睡眠は死守して毎日勉強する。電車に乗るときも絶対にひとりで20分の移動中に判例を何個覚えるとか。音楽って死ぬほど練習しても前に進んでるのか後ろに下がってるのかわからないけど、勉強は頑張れば100%前に進むから。こんなに楽なことない。ストレスゼロですよ。

──勉強ができる人は寝ているってよく言いますけど、脳が働かなくなって効率が落ちるから?

島:そう。眠いのに勉強したって意味ない。脳みそが元気じゃないとね。僕はね、中学のときから記憶力が悪かったんですよ。だから同じことを何度も繰り返して、常識を上げていくっていうやり方をするしかなかった。ほかの人が「この問題、3回もやったよ」っていうところを僕は最低7回はやる。「この科目はこの参考書」って決めたら、その本だけ勉強する。ほかの本に変えても基本的に情報は変わらないし、何度も読めばだんだん頭に入ってくるじゃない?

──学生時代から勉強が苦にならないタイプだったんですか?

島:僕は中高一貫校だったんですよ。中学のときは東大確実って言われてたんだけど、高校でバンド始めてアッという間に250番ぐらい成績が下がって(笑)。高校3年の学祭が終わってから頑張って成績戻しましたけどね。ただ、僕の場合はさっきも言ったように東京に行くことが目的だったから、大学は入れればどこでもいいかなって。
──なるほど。司法試験の勉強をしているうちに、“これ面白い”みたいな発見もありましたか?

島:もちろん。いちばんは憲法です。最初は普通の人より知識がなかったんだけど、最初の授業で“憲法LOVE”になっちゃって(笑)。最高なのは憲法13条。「すべて国民は個人として尊重される」っていう。個の尊厳なんですけど、個人は集団の中で犠牲になる必要もないし、埋没もしない。国民ひとりひとりの存在に意味がある。いま出ている改憲案には「すべて国民は人として尊重される」って書いてあるんですよ。そんなの当たり前なんだから憲法に書く必要ないですよね。大事なのは人という種類じゃなくて、個人。僕、小学校のときから岡林信康の「私たちの望むものは」っていう曲の“私たちが望むものは社会のための私ではなく 私たちのための社会なのだ”っていう歌詞が大好きだったんですよ。勉強してて、“これ憲法に書いてあったんだ”って衝撃を受けたし、そういうふうに憲法ってひとりひとりの人間に対する愛に溢れてるんですよね。

──感覚として“これ、知ってた!”という。

島:憲法のスピリット自体はわかったみたいな。そこから勉強とするというよりは、憲法に関係する本を新書を含めて楽しんで読むっていう方法に切り替えたんですね。“こういう方法もあるんだ”、“憲法を使うとこういうことができるんだ”とか。たとえば憲法訴訟の事例集を読んで“こういう可能性があるんだ”とか。あとは“行政法”っていう科目があって、ほとんどの受験生が苦手なんだけど、行政を相手にどういう訴訟の仕方ができるのか?っていう内容で、それこそ自分がやりたかったことと近くて、受験勉強は楽しかった。

──弁護士になられた年齢は?

島:48歳。42歳で司法試験の学校に入学して、3年間勉強して、1回試験に落ちたんですけど、2回目で合格して。そのあと高知で1年間修習して、2010年の12月に弁護士登録。年明けて1月には日本の電力会社にCO2を減らすよう呼びかけていく“シロクマ弁護団”に誘われて入ったんだけど、その2ヶ月後に福島で原発事故が起こって、当然のようにそっちに飛び込んでいった。いざ始めてみるとエネルギー問題って、「この電気の作り方は危ないからやめようよ」っていう話じゃなくて社会構造や経済構造そのものなんだってことがわかって。これはライフワークにするのにふさわしいなと思って、ずっと取り組んでるんですけどね。
■“ノーニュークス権”をもっと広めるには
■ロックンロールの力を借りるしかない

──最初からバンド活動も並行してやっていこうと?

島:いや、思ってないです。弁護士でハデにやって社会をひっくり返してやろうと思ってたので。ただ原発事故が起きて集会が開かれたときに、「ちょっと歌ってよ」って声かけてもらったので、最初は弾き語りでやっていたんだけど、ひとりじゃ寂しいし、迫力もないから昔の仲間に声をかけたんですよね。「パーカッションやってよ」とか。そのうちにサックス、ギターってやるたびに人数が増えて、だんだん原発をテーマにした曲も増えて、なんとなく固定のメンバーになってバンドになっていったっていう。
──自然な流れで、また音楽やることになったんですね。

島:そうそう。そうこうするうちに原発メーカー訴訟を依頼されたんですね。東京電力に対していろんな要求するけど、原子炉を作った会社を訴えられないのか?って市民団体から相談されて。

──そうだったんですね?

島:法律上は免責になっているんですよ。つまり、すべて電力会社が責任を負う。原子炉の製造業者は二重三重に保護されているので、「この法律は憲法に矛盾しているし、おかしいからやりましょう」と。でも、この条文は輸出国が責任を負わない仕組みで、世界共通でもある。条文をなくすために、どうしたらいいのかを考えた結果が“原子力の恐怖から免れて生きる権利”。

──バンド名に冠されたNO NUKES RIGHTSですね。

島:事故が起こるかもしれない不安や恐怖から逃れて生きたいっていう気持ちは、単なるわがままやポリシーではなく、いまや全人類の権利なんだよっていうことを裁判で主張しようと思ったわけ。で、“ノーニュークス権”っていう言葉を考えたんですよね。そういう活動をしていくうちに、これをもっと広めるにはロックンロールの力を借りるしかないと思って、いま僕がやっているバンドの名前を島キクジロウ&NO NUKES RIGHTSにしたんです。

──被災地の方たちと直接、触れ合って実感したことも曲になったりしたんですか?

島:それもあるよね。そういう人たちが防護服を着て自分の家に入って、「帰れないのはわかってるんですよね」って言いながら一生懸命、部屋の掃除をしたりとか、どういう想いで避難生活をしていたのかを目の当たりにしたから。
▲アルバム『KNOW YOUR RIGHTS』

──そういうメッセージが込められたアルバム『KNOW YOUR RIGHTS』ですが、サウンドは多彩です。8ビートはもちろん、ラテンやスカなどさまざまなリズムが取り入れられているし、楽曲自体メロディアスだし、ダンス憲法シリーズの曲が収録されていたり。決して“パンク”のひと言で形容できるアルバムではないという。

島:そこはクラッシュもそうだからね。メッセージがあってもポップじゃないとダメ。

──楽器の音色も豊かです。とりわけ、ラテンや沖縄音楽だったりの要素を採り入れているのは?

島:ジョー・ストラマーもソロになって、ワールドミュージックにどんどん傾倒していきましたからね。のちのバンドであるザ・メスカレロスではアイリッシュ音楽を取り入れたりとかさ。そういうふうに音楽を追求していく姿勢に影響を受けているっていうのもあるし、やっぱりひとつの枠の中でやるのは面白くないから。

──1曲目の「Dance to the 9」は憲法9条が歌詞に盛り込まれていて、2曲目のホーンを取り入れたロックンロール「Dance to the 13」では憲法13条について歌っていますが、ビートに乗せてメッセージするのは、みんなにもっと憲法について知ってほしいから?

島:そう。まず中身を知ろうよっていう。僕個人としては、憲法について議論したりするキッカケを作れたらいいなって思っているし。“憲法、変えるな”っていうことじゃなくて、憲法のことを踊りながら話せばいいじゃんっていう。

──「Fuckin’Wonderful World」という曲が個人的に好きだったんですけど、パーカッシヴでキレイなメロディの曲に、“北極の氷が溶け出し 南の島はもうすぐ海に沈むだろう”っていうフレーズが出てきて、ドキッとさせられました。さりげなく盛り込まれてるから聴きやすいんですよね。
島:たとえば、海外では学生が毎週金曜日に地球温暖化対策を訴えるデモ『Fridays For Future(FFF / 未来のための金曜日)』をやったりしてるじゃないですか? 日本でもそういう社会参加が自然な状況になればいいなって。

──特別なことじゃなくなるといいですよね。強いメッセージ性とポップ感を融合させるって、簡単なことではないと思うんです。楽曲制作にあたって、意識しているところもありますか?

島:曲作りは、テーマが最初に決まって、そこから「こんなリズムの曲にしよう」って作っていくことが多いんですよ。ギターと2人で作ることもあるんだけど、彼も歌詞にこだわるから、“曲の土台はあっても、この先は歌詞がないと作れない”ってなることもあるし。ただ基本的には僕らのバンドって、メンバーはフレキシブルなんですよ。ツアーも1人で行くこともあれば、ジャンベと2人で行くこともある。時と場合で変わっていく。だから、根本にあるのは弾き語りで自分1人でも歌える曲。そこから足し算していくっていう考え方ですね。
■いい歌をうたって
■いい裁判するためにやってる

──では、いまの音楽シーンについては、どう見ていらっしゃいます?

島:「コイツら、しっかりしてるな」って思った若い連中が、気づいたら若者じゃなくなってた(笑)。BRAHMANのTOSHI-LOWやASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤くんとは以前から一緒に話する機会があって、「オマエらみたいな若い連中が引っぱっていかなきゃいけないんだよ」って言ったら、「俺たち、もう40歳ですよ」って言われたり(笑)。

──とはいえ、世代を超えた繋がりですね。

島:原発のことを発信している連中とは繫がりがありますね。BRAHMANは前から好きだったからイベントに出てもらったりしてるし、ハイスタ(Hi-STANDARD)の連中とかELLEGARDEN細美武士佐藤タイジもそう。

──みなさん、震災復興やエネルギー問題に対して目を背けない方々です。

島:あとは、同世代だと甲本ヒロトはTHE BLUE HEARTS時代から話も合うし、お互いクラッシュが大好きだから、今も飲んだら5時間くらいクラッシュの話してるとかね。ヒロトはTHE HIGH-LOWS以降、社会的メッセージを発信しないじゃないですか。たまにそういう話もするんだけど「当たり前に考えてることなら、当たり前に歌うのって普通じゃん」って僕が言うと、「俺にとってロックンロールは手段じゃなくて目的だから。いいロックンロールをやりたくて、そのために生命賭けてるんだ」って。実際、ザ・クロマニヨンズのライブ見たら文句つけようがないぐらい最高だしね。
──ちなみに、島キクジロウ&NO NUKES RIGHTSは現在、全国ツアー中で各地を細かく廻られていますが、どうやって弁護士の仕事と両立されているんですか?

島:いや、はっきり言って死にそうですけどね(笑)。ただ、PC持っていけば東京を離れてもある程度の仕事はできるし、部下の弁護士もいるからそんな弊害なくやれてます。ライブをやってないと自分がいまどこにいて、どこに向かってるのかわからなくなるんですよ。常に成長したいと思ってるから。毎朝、筋トレして走ってるんだけど、それはいい歌をうたって、いい裁判するためにやってる。

──最後に島さんにとってロックとは?

島:月並みだけど、愛のあるもの。ジョン・レノン曰く、チャック・ベリーってロックンロールで最初に社会的な歌詞を書いた人なんだけど、そのジョンは労働者階級に向けて発信した曲を歌った。ローリング・ストーンズもストリートで闘う人たちに目を向け、生まれの卑しい人々に乾杯した。視点に愛があるってことだよね。

取材・文◎山本弘子
■アルバム『KNOW YOUR RIGHTS』

2019年9月4日発売 SDR-3004
Swingin' Dog Records
01. Dance to the 9
02. Dance to the 13
03. No Nuke Justice (Dance to the 14)
04. Dance to the 21
05. Fuckin’Wonderful World
06. アル・バンナの夢
07. Knockin’on the Next Door
08. ジュゴンの丘より
09. おそうじオジサン
10. Sunday
11. まだ見ぬ自由へ (Dance to the 97) - prologue -


■<島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS 2ndAlbum『KNOW YOUR RIGHTS』Tour>

08月23日(金) 札幌 Bar STINGRAY
08月24日(土) “とまロック” 北海道岩内町 岩内港 旧フエリー埠頭 緑地公園
08月25日(日) 小樽 cru-z
09月07日(土) 高松 スタジオ・ナッシュビル
09月08日(日) 徳島 ホットロッド
09月21日(土) 高知 リバー
09月22日(日) 松山 星空ジェット
09月23日(月) 神戸 ハッピーローラ
09月29日(日) 藤枝 ココペリ
09月30日(月) 名古屋 K.D ハポン
10月11日(金) 渋谷 GLAD ※レコ発ワンマン
10月13日(日) 梅田 ハードレイン
10月14日(月) 岡山 BUDDHA
11月08日(金) 郡山 フォーク酒場6575
11月09日(土) 仙台 Bar TAKE
11月23日(土) 京都 音まかす
11月24日(日) 津 タワーズ

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