【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#120
シンガーソングライター・岡林信康の
言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

歌というのは、上手ければいいというも
のではない

より

今回の名言は、2007年10月20日、比谷野外音楽堂にて<狂い咲きコンサート>(1971年)以来、36年ぶりとなったライブの動画からの抜粋である。岡林は、1971年の<狂い咲きコンサート>の後、突如、山村生活に入り演歌に目覚めた。そして、1975年には、美空ひばりに楽曲を提供し、親交を深めることとなったのである。このライブの14曲目の、岡林自作の演歌「春を運ぶな雪の海」を歌う前に、美空ひばりに触れ、「歌の上手さというか表現力、完璧ですね」と褒め称えた上で、「しかしですな!」と声を上げて今回の名言につなげている。そして、この言葉のタネが明かされる。岡林は、「実は、一番それを知っていたのは彼女なんです」と語る。美空は「プロは、上手くて当たり前、上手いと感じさせてしまっているようではプロとして未熟。上手ければいいってもんじゃない」と話していたという。岡林は、「下手で悩むのが凡人の世界。上手すぎて悩むのが美空ひばりの世界。上手い下手が通用しない、アジで勝負するのが、神様、岡林信康の世界」と締め、会場を笑いで包んだ。歌以外の世界にも通じる、奥深い話である。

岡林信康(おかばやしのぶやす)
1946年7月22日生まれ、滋賀県近江八幡市出身。1968年、「山谷ブルース」(ビクターレコード)でシングルデビュー。当初は、「くそくらえ節」でデビューが決まっていたが、タイトルが「ほんじゃまおじゃまします」に変えられた上に、いきなり発禁となり「山谷ブルース」が事実上のデビュー曲となっている。そういったことも、岡林のカリスマ性に拍車をかけ「フォークの神様」、「反戦フォークの旗手」と呼ばれるようになる。しかし、そのレッテルから逃れるために蒸発。その後、1970年に、はっぴいえんどを従えてロッカーとしてカムバックする。1971年、第3回<中津川フォークジャンボリー>を最後に再び音楽活動を休止し農耕生活に入る。1973年にソニーに移籍し、音楽活動を再開。1975年、美空ひばりが岡林作品である「月の夜汽車」や「風の流れに」を歌い話題となる。80〜90年代は、日本の民謡や盆踊りに受け継がれた日本のリズムをベースとしたエンヤトットミュージックを展開。韓国の打楽器グループであるサムルノリや山下洋輔とジョイントを行うなど新しい分野にも挑戦し勢力的に活動を続けている。2019年11月10日、千葉・多古町コミュニティプラザ文化ホールにて<岡林信康 コンサート 2019>を開催。

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