トム・ジョンストンの
パワーが炸裂する
ドゥービーブラザーズの
『キャプテン・アンド・ミー』
ウエストコーストロックについて
その起源はと言えば、主にバーズ一派(フライング・ブリトー・ブラザーズ、ディラード&クラーク、ディラーズなどを含む)のサウンドと、CSN&Yを模したコーラスを組み合わせたものである。ウエストコーストロックのスタイルを作り上げたのは、多くのアーティストの試行錯誤によるものだが、ウエストコーストロックの完成形のひとつとしては、ドゥービーブラザーズの「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」とイーグルスのデビュー曲「テイク・イット・イージー」(‘72)の2曲が挙げられる。日本でウエストコーストロックという呼称が定着したのは、この2曲の存在が大きい。もちろん、リンダ・ロンシュタットやジャクソン・ブラウンの諸作もウエストコーストロックであることは確かであるが、この2曲のインパクトはあまりにもすごかった。この2曲がリリースされた前後の70年代初頭から数年、アメリカや日本では自然志向が強まったこともあって、アメリカのロック界ではウエストコーストロックが主流となり、ピュア・プレイリー・リーグ、フールズ・ゴールド、J.Dサウザー、マイケル・ディナー、ファイアーフォール、ファンキー・キングス、ポコ、ロギンス&メッシーナなど、優れたアーティストが次々に登場する。
70年代中頃になると、レコード会社が巨大化していくのに伴って、ローカルな音楽であるウエストコーストロックを全世界で売るためにテコ入れが始まる。その過渡期にリリースされたのがイーグルスの『呪われた夜』(‘75)、『ホテル・カリフォルニア』(’76)やドゥービーブラザーズの『テイキン・イット・ザ・ストリート』(’76)といった作品である。ジャクソン・ブラウンはAOR寄りに向かい、リンダ・ロンシュタットはニューウェイブ的なサウンドで勝負するなど、徐々に軽やかでナチュラルなウエストコーストロックのテイストは失われていく。その過程が最もよく分かるのがドゥービーブラザーズだと思う。