初期〈少年王者舘〉を支えたメンバー
5人の“いま、ここ”を伝えるアンソ
ロジー公演が名古屋で

1982年、当時21歳の天野天街が中心となり名古屋で結成された〈少年王者舘〉(結成時は劇團少年王者、’ 85年に改名)。今ではほとんどの作品の脚本・演出を天野が手掛けているが、旗揚げ当初は長谷川久、永澤コヲジ(現・永澤こうじ)、すうどんなど複数の団員が劇作や演出を担当。若さゆえの冒険心や好奇心から生み出される自由闊達な表現活動を展開していく中で、ダンスや音楽、美術などそれぞれ得意分野を見出し、才能を開花させていくメンバーを数多く輩出してきた。
その劇団初期、1980年代から90年代前半にかけて同時期に在籍していた永澤こうじ(’ 82年入団)、ZUN(少年王者舘での名義は月宵水、’ 83年入団)、石丸だいこ(’ 84年入団)、マリリンマリィ(’ 85年入団)、珠水(’ 88年入団)の5人が出演する『ココニール ~Je suis la~』が、2019年11月9日(土)・10日(日)の2日間に渡って、名古屋の「円頓寺Les Piliers」にて上演される。
ちなみに、現在も〈少年王者舘〉に所属しているのは、役者として出演するだけでなく長年に渡って劇中音楽の作曲も担当している珠水と、約20年の退団期間を経て2018年に復帰した月宵水の2名。珠水は、今公演で楽曲制作だけでなく、初めて音響担当の役割も担うという。
そんな今回の公演の発端になったのは、2018年12月に同劇場で行われた、マリリンマリィ(以下マリリン)のソロアクト『白紙の上のマリリン』だ。もともとダンサーとして北海道から上京し活動していたマリリンは、東京で王者舘メンバーと出会って以来、数年に渡って王者舘で役者として活躍。退団以降は25年もの間、表現活動から遠ざかっていたが、2016年2月~3月に王者舘のOB・OGが多数ゲスト出演した公演『思い出し未来』へ参加したのを機に、一念発起して活動を再開、自作自演のパフォーマンスを2018年6月に東京、同年12月に名古屋で行ったのだ。
ソロアクト『白紙の上のマリリン』より 2018年12月/円頓寺Les Pliliers  撮影:羽鳥直志
この時上演を行った「円頓寺Les Pliliers」から「来年もここでやりませんか?」という依頼を受け、今回は前述の4人を誘って公演を行うことに。10代後半~20代だった彼女たちが過ごした王者舘の初期や、表現活動に対するそれぞれの思い、そして今回行うパフォーマンスについて、マリリンマリィ、ZUN、石丸だいこ、珠水の4人に話を聞いた。
『ココニール 〜Je suis la〜』チラシ表
── 〈少年王者舘〉には、皆さんだいたい同じ時期に入られたわけですよね。
マリリン 早い順でいうと、誰なのかな?
ZUN 永澤君、私(ZUN)、だいちゃん(石丸だいこ)、マリリン(マリリンマリィ)、珠ちゃん(珠水)。
マリリン ZUNちゃんが入った時は、18だっけ?
ZUN 19歳で『魚ノ少年』(1984年、作・演出:永澤コヲジ)。
マリリン 永澤君の作品でデビューしたの?
ZUN そう、私は天野さんの作品が最初じゃないんですよ。
石丸 私が一番最初に観たのは、ピンちゃん(長谷川久)の『アーマルの花咲くむこう山』(1983年、作・演出:長谷川久)。その後『魚ノ少年』を観て、初めて出たのは『自由ノ人形』(1984年、作・演出:天野天街)。
── 皆さん、作品を観て入団したという感じですか?
石丸 友達が出てたので観て。
ZUN 私は一作も観てないんですよ。友達が当時、「名古屋プレイガイドジャーナル」でバイトしてたんですけど、王者舘にいた蒲生あつ子さんから、「今度、飲み会があるから行こうよ」とその友達が誘われて、一人で行くのが嫌だから私を誘ったんです。行ったら、劇団員みんなで旅行に行った時のアホなフィルムを流してて。ピンちゃんがお尻の穴にタバコを刺して、すごいすました顔をしてた(笑)。
マリリン その当時から映像を撮ってたんだね。
ZUN そう、当時からそういう変態な映像を撮ってて、面白いなぁと思って。それで、「今度公演をやるから、よかったら出てよ」って言われて、「あ、出たいです」って、私だけが入った。友達はもう、ハナからアウェイ! って感じで(笑)。
── 役者の経験があったわけでもなく?
ZUN 役者もやったことなかったけど、戸川純が好きだったので役者への憧れは高校時代からあったんです。それで初めて出たら、その当時の王者舘は“大変態祭”みたいな感じで(笑)。
── その頃はまだ、男性メンバーの方が多かったんですよね。
ZUN 多かったし、いかに変態な芸を本番まで内緒にしていて披露するか、っていうのがステイタスだから。
マリリン 基本、変態なんだ。
ZUN そう。メイクも変にすればするほど、「くっそー、負けないぞ!」みたいになって(笑)。
珠水 なんか、これを先にやられたから、明日はこっちをやる、みたいな。
ZUN その時は、カメ君(杉浦胎兒)がまだ痩せてて美少年の枠だったんだよね。カメ君は変態メイクをしたいんだけど「今回はやめて」と言われて、「つまらん」って。それでピンちゃんの衣装は、コートにパンティー。
一同 (笑)
ZUN それで愛知医大生だったから、自分のおしっこを採って、血も抜いておしっこに混ぜて飲む、っていう。
マリリン それが『魚ノ少年』?
── どういう芝居なんですかね(笑)。
ZUN それが芝居にどう関係あるんですか? っていうことを急にやりだすっていう(笑)。バル(バルボア)は、今でこそ言っちゃうけど、商店街に吊るしてある七夕の飾りを夜中に引っこ抜いてきて衣装にして。そうすると、すうどんが「負けないぞー!」ってなって、洗濯物を干すピンチハンガーを頭にかぶって出て行くっていう。女の子が誘拐されて、それを猟奇殺人してしまったのではないか、という少年の役がカメ君だったり、結構重いテーマの芝居だったんだけど。
── お客さんには伝わりませんよね(笑)。
ZUN そう、花火大会のスターマインみたいな感じで(笑)。ラストシーンになればなるほど変態度が上がって、結構シリアスな芝居なのに、ほとんど全裸の人がビヨーンってぶら下がりながら「ワッハッハ」って出てくる(笑)。
マリリン それ誰?
ZUN ピンちゃん。
マリリン ピンちゃんが変態の極みだったんだよね。すごく真面目な変態。
珠水 『御姉妹』(1988年、作・演出:天野天街)とかで衣装担当をやらせてもらってたけど、みんなすごかったよね、あのこだわり方。男性陣の。あと、蚊取り線香食べてたよね。
石丸 蚊取り線香食べて、具合悪くなって途中から作り物になった。
ZUN バカか、っていう(笑)。猫ちゃん(よろずや猫)が当時、「辻調理師専門学校」のエリート生だったから、蚊取り線香そっくりのクッキーを焼いて。どんだけこだわりやねん(笑)。
石丸 蚊取り線香は食べたら危ない、っていうことを誰一人思わなかったんだね。
ZUN 〈東京黄昏団(とうきょうくれないだん)〉(マリリン、大宙星子を中心として1987年に旗揚げしたダンスレビューユニット)の時も、「家庭の匂いを消すんでシュー」みたいなシーンがあって、本物の消臭スプレーをお客様に吹きかけまくっていたという(笑)。
珠水 煙はバルサンだったよね。
マリリン スモークマシンの代わりにバルサンだっけ。
ZUN アホの極みですわ(笑)。
石丸 だいたい蚊取り線香もあれだけ焚くって。
珠水 尋常じゃない。煙で目が痛くて、いい顔もセリフも台無しだもんね。
ZUN 天野さんがニセモノを使うのが嫌だから。
マリリン 花道にビー玉を大量に流したりとかね。
ZUN コロッケやらご飯やら全部本物を使うから、「美味しいよ!」っていうけど、なんかもう地獄…みたいな(笑)。
マリリン 当時はホントに若気の至りのバカしてて(笑)。でも純粋にそれが楽しいから集まってきた人たちばかりで、表現もしたいけど、それ以上にすごく面白かった。
ZUN そういう人たちばっかりでそれが普通だったからわからなかったけど、外に出るとおかしいんだな、っていう(笑)。私、映画館でもぎりのバイトをやってたんですけど、着てる服といったら王者舘カラーだから、軍服とか学生服とか(笑)。靴も下駄や雪駄だったり。それで中学生の団体が来た時、引率の先生に「君はどこのクラスかな?」って言われて。学生服着てるから。眼鏡も当時、レンズが割れたらみんなセロテープで貼るとか普通にやってたから、私もそれで(笑)。
石丸 私、変だったかどうかも、今よくわかんない。
珠水 でも居心地が良かった。
ZUN 居心地は良かったし、なんだろう、あうんの呼吸で出来るっていうか。
── 当時はいろいろな人たちが「あんなことやろう、こんなことやろう」という感じで公演をしていたんですよね。
ZUN そうですね。永澤君が書いたり、すうどんが書いたり。あとバルもそうだし、ピンちゃんも。台本を書く人=演出みたいな感じで回ってた。練習も、なんか楽しかったよね。
珠水 めっちゃ楽しかった。
マリリン すうどんがさ、変な身体の動かし方とか変な声の出し方とかやって(笑)。
石丸 ZUNちゃんがブチ切れた時だ。
ZUN なんか、「お尻の穴をパクパクさせて喋りましょう」みたいな。
マリリン アッハッハッハ。
ZUN 私が「そんなもん、嫌だわー‼︎ アホなことやらせんなー!」って言って癇癪が起きて、ウワーッて泣いて怒ってね(笑)。
石丸 そんなんでしたね。
ZUN あと、短い脚本を書いて、登場人物を誰と誰と誰って決めて。効果音を流してもいいし、無しでも良くて、寸劇みたいなのを瞬時にやる、っていうのがあって。それも楽しかったよね。
珠水 5分とかで1本のお話になって。
ZUN 芝居の稽古の時に、なんかそういう遊びをやってた。
石丸 ゼスチャーゲームみたいな。
珠水 そういうことをやるから、新しく入った人とか、今まで見えてなかった面白さみたいなものを、天野さんがそこから拾って創ってた。
ZUN きっちり身体鍛える時もあったしね。
珠水 体操とか発声とかはちゃんとやってたよね。
マリリン 発声は結構やってたよね。
ZUN ものすごいやってた。永澤くんが(田中泯の)「身体気象」のレクチャーを受けて、みんなにそれを伝えたり、あとは〈南河内万歳一座〉と仲良しで、あそこってプロレス同好会だから、その肉体訓練とかやったりして、最高にしんどくて嫌だった。でも、職場の人とかに「ZUNちゃんて元気だよね」って今でもよく言われるんですよ。たぶんあれがあったからだと思う。
マリリン 肉体の基礎が。
石丸 身体を動かすのとかは今でも苦にならない。動くことの面白さとか。
マリリン そうだね。私はダンスから王者舘に入ったけど、動きは激しかったです、かなり。身体の使い方が過酷だったよね、いろいろ。
── マリリンさんは、もともと北海道でダンスをやっていらしたんですよね?
マリリン そうなんです。北海道の小樽で北方舞踏派と繋がりのある…私が入った時は北方舞踏派が東京に行ったあと、独立した小島一郎さんがやっていた稽古場に私が入ったんですけど。そこから1年ぐらいして東京に出て、やっぱり北方舞踏派出身のジョルジュ高橋さんというダンサーが、レビューショウ集団パラダイスダンサーズをやっていて、そこに入れてもらったんです。そこが「七ツ寺共同スタジオ」と繋がりがあった関係で、天野さんとかZUNちゃんとか、すうどんとかが来て。
ZUN うん、出たね出たね。
マリリン たしか、名古屋の「大須大道町人祭」にパラダイスダンサーズが参加して、練り歩いた覚えがあるんだよね。それで「七ツ寺共同スタジオ」でちょっとショウをやって、それが一番最初だったと思う。それから、シアターニューモダンアートレビュー公演『人工少年博覧会ーイナガキタルホ 少年愛の美学ー』(1985年、作・演出:天野天街、振付:ジョルジュ高橋/新宿シアターニューモダンアート)に出て、そこからの繋がりですね。
── そこから王者舘に入ろうと思われたのは?
マリリン パラダイスダンサーズが解散しちゃったのと、もともと北海道で高校演劇をやったり短大でも劇研に入っていたので演劇も面白いなと。舞踏をやりたい思いもあったんですけど、結構迷ったんです。当時、土方巽さんがまだ生きていらしたから、そこの研究生になろうかな、王者舘に行こうかな、流山児(祥)さんもパラダイスダンサーズの演出に来てたから、いろいろ迷ったんですけど。なんだろう、私も地方からやって来たから東京の人たちとはそんなに気持ちがほぐれなくて、なんか名古屋からやって来たみんなはすごく気持ちがほぐれたので、心休まる感じで名古屋へ(笑)。
珠水 田舎ものじゃけん。東京は生き馬の目を抜く都会じゃけん。
マリリン 私は当時、浮いてたんですよ。そんなに踊りの経験もないし。だけどわりと面白がってもらえたので、こんな私でいいなら、って。みんな「おいでおいで」ってすっごく優しくしてくれて、当時は東京から高速バスで名古屋まで行ってたからバスの見送りとかもしてくれて。とにかくね、すごく良い思い出しかなかった、初期の頃は(笑)。星子さんとか、マスミちゃんというもう一人ダンサーの人と3人で、『北斗ー銀』(1995年、作・演出:天野天街)に出たんですよね、お子様隊で。それでひと夏大須にいて、すごく面白かった。
── 珠水さんが王者舘に入った経緯というのは?
珠水 高校の時に「名物屋」(名古屋・大須の古着屋)でバイトしてて、雑貨が好きなZUNちゃんがひょっこり来たんですよ。その時に話して仲良くなって、「公演のチラシを貼ってください」って言われたから、「じゃあ、店長に聞いて貼っときます」って。それで次に来た時に、「公演を観に来てください」って言われたから観に行っちゃって、そこから。
石丸 最初はさ、全然話もしないし、おとなし~く(笑)。
マリリン 白いエプロンして、レースの付いた可愛いメイドっぽい。
珠水 逃げてたの、怖くて。人が怖くて逃げてた。シャって。
石丸 怖かっただろうなぁ。
珠水 すごい怖かった。だって、お母さんにずっと言われてたもん、中学校になるまで「「七ツ寺共同スタジオ」は男の人と女の人が変なことをする場所だから…」って。
マリリン 変なことをする場所!(笑)。
石丸 そうなんだよな~、確かにそうだ(笑)。
珠水 「通学の時に前を通っちゃいけません」ってずっと言われて育ったから。
石丸 わけわからん人たちが出入りする。
珠水 そうそうそう。
── だいこさんは、高校の卒業証書を持って入団したとか。
石丸 たしかに卒業証書を持ってたけど、別にそういうわけでもない(笑)。話として、っていうぐらいです。
ZUN なんかスッと入ってきた感じだよね。
── 役者として入って、踊りを創るようになっていった経緯というのは?
石丸 もともと王者舘の芝居の中に踊りがあって、みんなで創ってたの。王者舘の時に私だけで創ったっていうのは、そんなにないと思う。
ZUN なんかチームに分かれて創ってたよね。
石丸 誰が創るっていうよりも、みんなで創っていってそれを繋げるっていう。
ZUN 踊りの基礎がないから「肥だめかついで」とか、そういう風に(笑)。
マリリン そうそう、振りから入っていったよね。
ZUN ブツブツ言いながら覚えて、そういうのを見て天野さんが、「じゃあ次、こういう重なるダンス創って」って、だいちゃんに頼むようになって。
石丸 振付っていう感じは、自分では全然思ってない。あんまり記憶になくて、みんなでって感じ。
珠水 奥ゆかしいなぁ。
石丸 覚えてないだけなんかな。
珠水 石丸さんの振りを基本にして、わしらが出したアイデアを。
ZUN 創ってきてくれた、というのもあったかな。
マリリン 私は退団したあとだけど、『高丘親王航海記』(1992年、原作:澁澤龍彦、脚本・演出:天野天街)のメイキング映像があったじゃない。それで石丸が自分ちのアパートで一生懸命振りを鏡に写して。
石丸 思い出した! 『高丘…』の時はたしかに創ってた。
── ダンスについて誰かに師事したわけでもなく、王者舘の中で独学で才能を開花させていかれたわけですが、踊りを極めていかれたというのは?
石丸 なんでだろう? まずひとつ思うのは、マレーシアの人たちと一緒に芝居をした時に(2001年2月、日本・マレーシア現代演劇共同制作『あいだの島』、作:ジョー・クカサス、カム・ラスラン、演出:ジョー・クカサス/世田谷パブリックシアター、7月にはマレーシアでも上演)、マレーシア人の子と休憩時間に即興で踊りながら遊ぶのがすごい楽しかった、っていうのがあって、あと、「振付やってくれるかな」と言われたのがじっちゃん(寺十吾)。いろんなところでやってたから忘れてるだけで、その前にもあったかもしれないけど、ちゃんと依頼されたのはじっちゃんだったと思う。
マリリン メリーさんのとか。
石丸 そう。一番は、横浜未来演劇人シアター野外ダンス公演『ハマのメリー伝説 市電うどん』(2007年11月、総合演出:寺十吾、振付:石丸だいこ/横浜みなとみらいテント劇場、翌2008年にも特盛版として上演)なんだけど、その時にもうやりたい放題、振付をした。もう振付いっぱいやったわーって感じ、プハーっていう(笑)。それからは、振付を創ったはいいけど自分で覚えられないし、なんかね、即興の方が楽しいな、という風になって、今みたいにライブとかで即興でやるようになったかなぁ。
だから、その時その時で「あ、これやりたいな」っていうことをやってきただけですね、考えずに。「こういうことがしたい」とか思わなかったし、王者舘に出る時も別に、「芝居がしたい」とか「何かを伝えたい」とかじゃなくて、王者舘が面白かったから。やってるのが楽しいし気持ち良かったから、気持ちいいうちはやるっていう。だから今も、楽しいからやりたいことをやってる。そして、“ココニイル”ですわ(笑)。
一同 まとめる~(笑)。
── なるほど!
石丸 だから今度やるのも、今やりたいって思うこと。初めはいろいろ、ちょっと姑息に、「ああしようかしら」とか、「こんな私もどう?」って思ったりもしたんだけど、そうじゃなくて、今やりたいことをやろうかなって。
── そういう思いは、5人とも共通なんですね。
マリリン そうですね。私は活動していない時期がすごく長かったから、「マリリンマリィ」というのをすごく自分から離したかったんだけど、それを去年、もう一回近づけた時に、「マリリンマリィさんをそんなに嫌わないで」と思ったり、そんなに嫌な人生じゃなかったなって(笑)。
── 「マリリンマリィ」という存在を、なぜ離したかったんですか?
マリリン やっぱり名前と、ショウダンスをやってきたということですね。当時は二十歳そこそこで色気も何もなかったし、男の人と付き合ったこともなかったけど、最前線に立って身体表現しなくちゃいけないというのが、私は田舎者だったから何か悪いことをしてる、という気持ちがすごくあった、ずっと。
── ショウダンスに関しては、積極的にという感じではなかったんですね。
マリリン それをやることで自分が肉体表現者になれる、と思って。ダンサーって、やっぱり肉体を晒さなくちゃいけないとか、そうしなくちゃいけないっていうのがあって。だけども、心は全然ついていってなかった。それで普通の生活を25年して、そこからまた表現の世界に戻ってきた時に、当時の自分じゃなくて今の自分になってみると、「マリリンマリィ」は本当に娘みたいなもんだし、やってきたこともそんなに酷いことじゃなくて、まぁいいことだったね、っていうか。だから今は、若い人たちのショウに行って脱いでいく姿とか見ると、「女の人の身体って綺麗だな」と思うようになったんですよ。それまでは見たくなかった。マリリンモンローとか可愛いんだけども、なんか可哀想、という感じがして。その変化が大きいですね。
── それはやはり、表現することから離れて時間を置いたから、ということでしょうか。
マリリン そうですね。それが大きいと思う。歳を取って、いろんなことがあって、若い時の大変なことと今の大変なことってやっぱり違って、だんだんいろんなことが見えてくるじゃないですか。そういう中で、言葉にするのはすごく難しいんだけど、自分がやってきたことを自分の中で向き合って、それは否定することじゃない、ということをちゃんとしたいな、っていう感じかな。
── それで昨年、久しぶりに表現活動をしてみようと思われたきっかけというのは?
マリリン やっぱり、節目節目でどうやって生きていこうかと考える中で、気を紛らわすことが欲しかったんですね。舞台ってものすごく気が紛れるというか、そのことを家でじーっと考えて創っていく感じでしょ。お金も全然使わないし、節制もするからそんなに食費もかからないし、なんかエコだし(笑)。それで、結構苦しいこともいっぱいあるけども、面白いな、っていう風に感じることが出来たんですよ。お客さんにはね、見てもらう、という意味ではまだまだ本当に足りないのかもしれないけど。
石丸 何も聞いてないからさ、マリリンのそういう話も。
マリリン あ、そっか。昔からはいろいろ衰えてるし、二十数年ぶりに今の自分を出すというのはやっぱりすごく勇気がいったけど、でも舞踏ってそういう衰えたものを見せる、という表現でもあるから、ちゃんと露わにすることを逆に面白いと思った方がいい、っていうことかな。
『八月の甲斐性』より 2019年8月/東京・ひかりのうま   (撮影:サカイユウゴ)
── 復帰公演はソロアクトでしたが、誰かと一緒ではなく、一人でやろうというのも決めて。
マリリン 一人でやれなかったら続かないな、と思って。やっぱり劇団とか人と一緒にやっていく上で、いいこともあるけど続けていくと大変なこともあるじゃないですか。基本的に、自分が何をしたいのか? と思った時に、一人でやれないんだったら、やらなくてもいいんじゃないの? もっと他に楽しいことを探せばいいじゃん、って。一人でもやれるから人と一緒にやれるんじゃないかなと思って、今年はみんなと。それぞれいろいろなところでやってきたし、こんな風に集まれるのは信頼できる関係があるから、というのがすごく大きいですね。みんなやっぱり、どこかで今の自分というものをどうしようか、と思ってることもあるかもしれないけど、心の奥の底辺では肯定感というか、そういうものをちゃんとそれぞれの中に見出している私たちなんだな、という感じがします。大変なことはいろいろあるんだけど、でも大丈夫! っていう。そういう信頼関係、あるよね?
一同 うん!
珠水 私も音響をやるのはこれが初めてだけど、この人たちなら間違えて変な曲流してもなんとかしてくれるっていう。
ZUN そうそう。なんでもするよっていう。
石丸 やりたいことがやれるようになったんだと思う。どう見せたい、とかそういうんじゃなくて。
ZUN 考えなくても、やりたいことはもう決まってるっていうか。自分の中では、〈少年王者舘〉と〈垂直分布〉(今年、『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で第161回直木三十五賞を受賞した小説家の大島真寿美が、1985年~92年まで主宰していた劇団)での経験が大きくて。舞台に立った時に、「この感覚! この人に会いたかった!」って、自分なんですけど、演じている自分と演じていない自分の交わったところのなんともいえないゼロ地点というか、そこの間合いに現れる一瞬の、最高の自分というか、それが中心軸にいる自分だと思うんですけど、そういう自分に会えたんですね。
でも若い時っていうのはやっぱり、そういうところがわからないんで、「待って~、あ、消えちゃった!」っていう感じで、よし、じゃあプロローグでは会えなかったら次、一幕はどうですか、「会えなかった~」とか、ひとつの芝居の中でも会える日、会えない日とか、本当に一瞬一瞬そういう感じがあった。〈少年王者舘〉でも〈垂直分布〉でもそれが楽しみで、自分の中心にいる自分、というものを体感したくてやっていたんです。マリリンと同じで、表現というものからだいぶ遠ざかっていて、『思い出し未来』で石丸さんとゲスト出演した時にまたそれに会えて、「あ、これだ!」っていう、なんとも言えない至福感を感じて、王者舘に復帰させてもらったんです。
でも今は、日常の中でそれこそ「青い鳥」の意味とか、幸せっていうのは本当にここにあるよ、っていうことがわかって。奇しくも『思い出し未来』で、「青い鳥はどこにでもいるぜよ」っていうセリフを言わせてもらったんですけど、それがもう日常生活の中で体感できてしまうし、自分の中心軸がどういうものかっていうのを歳を重ねて実感できるようになったので、その軸がブレなくなったのね。それを王者舘の舞台の上でも確かめようとすると、他にいろいろ引っ張られる部分があったり、軸がブレやすい部分があったりしたんです。そうした時に、マリリンがスコーンと自分ひとりで立っているのをレピリエで見て、「面白いね」と言ったら「一緒にやろうよ」と言ってくれて。
それで、タイトルは何にしようか、と思った時に、奇しくもだいちゃんが「『ココニール』がいい」と言って。おぉ、それだ! 自分がやりたかった、やろうと思ってたいたこととすごくシンクロして、それとまぁ「パリ祭」(劇場のある円頓寺商店街で毎秋開催されているイベント)の時期だから、パリっぽい語感にして、副題を~Je suis la(私はここにいます)~って。
珠水 だから~Je suis la~付けたの?
ZUN そう。
石丸 『ココニイル』だとそのままだから、『ココニール』がいいな、って。思いついた時は、「これだ! だいこ偉い!」って(笑)。
ZUN だから今回、小ちゃい公演だけど本当に濃縮した、ブレない自分軸みたいなものでみんなが舞台に立って、表現出来ると思います。やっぱりそれは、いろいろなところを回って、歳を重ねて、ここに居る、っていう自分になれたからこそ表現出来るものじゃないかなって思う。
石丸 やっぱり王者舘って大きかったね(笑)。
ZUN 大きかったね(笑)。
石丸 ほんとに一瞬と永遠が一緒になる感じとかがすごくわかるし、そこに居たから、その時は。
ZUN そう、その感覚を本当に全身全霊で演じさせてもらったっていうか。
石丸 それを知ってるっていうのは、何十年経っても、やっぱりどこかにずっとあるから。
ZUN そう。ずっとどこかに残ってる、匂いとか。
マリリン そうだね。私たちはそれを舞台で体感できる、っていうところがすごい共通点。
ZUN それが観てるお客さんにもサブリミナル効果になって、グッと腑に落ちる人は入っちゃうって感じじゃないかなと思う。だから、どんな身体になってもできる表現のところに私たちはいるな、っていう風に思います。
石丸 寝たきりになっても別に出来ると思ってるから。
ZUN そういう稀有な劇団というか、仲間たちとそれを表現出来てきたことは素晴らしいことだと思う。
珠水 私も一年に4~5回入院したりするけど、やれることをやればいいんだ、と思ってやってるもん。その代わりみんなには、「具合悪くなりますよ」とか「お願いします」とか甘えるけど、やれることはやる。
マリリン なんか一番気持ちのいいことを知っちゃっていると、大変なことがあってもたいていは乗り越えられるというか。本当に舞台があって立ってればみんな出来る、というか、他に何もいらずに普通に立ってるだけで出来る人たち、っていう共通点はあるよね。
珠水 安心感がものすごい。
ZUN みんなが好きなことをどんどんやっていけばいいと思う。
マリリン そうそう。自作自演ということで今回思ったのは、みんないろいろなものを持ってるわけだから、演出家がいて、何かセッティングされた中で表現するのもとっても面白いんだけれどもね、そういうことを私たちもやってきたし。でもこの歳になって、それだけじゃなく、お互いやりたいことを膨らまして。だから敢えての、本当に好きなことだけ。今の自分は何が好き、っていうのをみんなで教え合おうよ、みたいな。
── 今回の公演については、マリリンさんが皆さんに声を掛けて…という感じなんですよね。
マリリン そうですね。去年、永澤くんが本番を観に来られなくてリハを見に来た時に、私が復帰公演をするなんて、という感じで意外だったんじゃないですかね。永澤くんも舞台に出たり、演劇活動に復帰し始めた頃で、「一緒に何かやろうね」って言ってたんだけど、何をやったらいいかな? と思ってる時にZUNちゃんから電話が掛かってきて、「こういうのがあるんだけど、一緒にやらない?」と言ったら、「じゃあ石丸誘って、珠ちゃん誘って」という感じで。制作は前回と同じく姫子(’ 87年入団、役者として王者舘に所属していた)に頼んで、「今年もお願い」って。私は東京在住だから、姫子にはとてもご迷惑を掛けてすいません、一生懸命やってくれて本当に感謝してます、と書いておいてください(笑)。
── チラシには詳しい内容が記載されていませんが、マリリンさんが全体を統括するということではなくて、5人それぞれが表現する、ということなんですね。
マリリン 1人だいたい15分~20分くらいの持ち時間で、それぞれが自分たちのやりたいものをやる、という感じで、カーテンコールだけみんなで一緒に立ちます。永澤君は、いつどこで出てきても不思議ではない、っていう感じで。
ZUN 流れにまかせる感じです。
マリリン 盛りだくさんのよりどりみどりで。だから結構いろんなものが飛び出してくると思います。

後日、黒一点として出演する永澤こうじに話を聞くと、「ショートコントみたいことを、2つか3つくらいやる予定。あとは、他のメンバーの出番の時にちょこちょこ絡んだりするかも」とのこと。
37年前の旗揚げ当初から異彩を放ってきた特異な劇団で、濃密な一時代を共に過ごしてきた5人の“いま、ここ”を、30名も入ればいっぱいのアットホームな空間で目撃してみては?
取材・文=望月勝美

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