ストレートなハードロックで
勝負したカクタスの
傑作デビュー盤『カクタス』
ヴァニラ・ファッジとカクタス
ヴァニラ・ファッジはキーボード&リードボーカルのマーク・スタインとベースのボガートが中心となって67年に結成された。ギターはビンス・マーテル、ドラムはアピスが担当、70年の解散(後に何度か再結成し、現在も定期的にコンサートを行なっている)までに5枚のオリジナルアルバムをリリースしている。67年にリリースされた「キープ・ミー・ハンギング・オン」の大ヒット(全米2位)や、サイケデリックロックを交えたハードロックの原型を創り上げたことで、ロックファンにはよく知られた名グループだ。「キープ・ミー・ハンギング・オン」を含む67年のデビューアルバム『ヴァニラ・ファッジ』(全米6位)はカバー曲中心の作品であったが、クラシックを基調としたスタインのオルガンとアピスの重厚なドラムプレイで、後進のハードロックグループに大きな影響を与えた。中でもディープ・パープルへの影響は大きく、リッチー・ブラックモアはインタビューで「当時はヴァニラ・ファッジのクローンになりたかった」と語っているほどである。
ヴァニラ・ファッジの後、ボガートとアピスが中心になって70年初頭に結成されたカクタスは日本では過小評価が甚だしいグループである。ヒット曲がないせいか、音楽雑誌に取り上げられることはほとんどなかったものの、アメリカのグループらしい乾いた音で奇を衒うことのないブギやハードなロックンロールを得意とした。デビューアルバムから3作目の『リストリクションズ』(’71)までメンバーは変わらなかったが、71年末に前述した人間関係のトラブルからジム・マッカーティが脱退、その後マッカーティと同郷のラスティ・デイも脱退を余儀なくされる。ライヴとスタジオ録音を片面ずつ収録した4作目の『汗と情熱(原題:'Ot 'n' Sweaty)』(‘72)でグループは空中分解し、アピスとボガートはベックと念願のB.B&Aを結成する。
『汗と情熱』録音時に迎えた新メンバー(ギターのワーナー・フリッチングス、キーボードのデュアン・ヒッチングス、ボーカルのピーター・フレンチ)の力量は相当なもので、このメンバーでグループが続いていたら相当の人気グループになっていたのではないか…と悔やまれる。特にフリッチングスのギターは職人的な腕前で、カクタス解散後に加入したピアース・アロウ(CD化希望!)でも素晴らしいギタープレイを披露している。ヒッチングスはカクタスの名前を引き継ぎ、ニュー・カクタス・バンドを結成、1枚アルバムをリリースするもののまったくセールスが振るわず、すぐに解散している。しかし、このグループもスワンプロック寄りの泥臭いサウンドが身上の素晴らしいグループであった。このグループにはブルース・イメージやアイアン・バタフライで活躍した名ギタリスト、マイク・ピネラが参加していたことを追記しておく。