【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#125
歌手・小林旭の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

歌のおかげで、今日、こうして皆さんに
会えた

より

“芸は身を助く”という諺を芸能人に当てはめるのは相応しくないかもしれないが、今回の名言の裏にあるエピソードを知れば頷けると思う。この記事は、2012年に行われた某ホテル・グループ創立10周年パーティーの、麻布自動車元会長・渡辺喜太郎による回顧録である。このパーティーに小林旭が出演していた。かつて小林は、ゴルフ場開発事業などに失敗し、50億とも言われる巨額の負債を背負うが、「昔の名前で出ています」(1975年)などのミラクルヒットで見事に復活している。記事によると渡辺は、その頃の小林と親しくしていた人物のようである。「オレも日活で俳優として売れていたけど、もしかしたら俳優だけでは食えないと思って歌も覚えた」と、そのパーティで歌の合間に語り、今回の名言へ繋げている。歌で、どん底から起死回生してみせた男の言葉は重みが違う。

小林旭(こばやしあきら)
1938年11月3日生まれ、東京都世田谷区出身。歌手、映画俳優。1955年、子役を経て第3期日活ニューフェイスに合格。1956年、映画『飢える魂』でスクリーンデビュー。1959年、映画『ギターを持った渡り鳥』に始まる渡り鳥シリーズ『銀座旋風児(マイトガイ)』など、その他130本以上の映画を主演。日活退社後は、フリーとして映画『仁義なき戦い』(1973年)や東宝映画『青春の門』(1975年)などで演技派俳優としての地位を築く。1957年、「女を忘れろ」で歌手としてレコードデビュー。「ダイナマイトが150屯」(1958年)や「ズンドコ節」(1960年)、「自動車ショー歌」(1964年)など、次々とヒットを飛ばす。1975年にリリースした「昔の名前で出ています」は、累計売上200万枚を超える大ヒットを記録。2007年、20年ぶりの座長公演 『無法松の一生』を開催。現在もなお、日本一ステージに立つ男として活躍中。

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