中車のたぬき、玉三郎の保名、梅枝&
児太郎の阿古屋『十二月大歌舞伎』昼
の部レポート

12月2日(月)、歌舞伎座で『十二月大歌舞伎』が開幕した。昼の部の演目は、プログラムがAとBで、2パターン用意されている。Aプロでは、市川中車の『たぬき』、中村梅枝と中村児太郎が共演する『村松風二人汐汲』。そして坂東玉三郎が阿古屋役を勤める『壇浦兜軍記』が上演される。
Bプロでは『たぬき』、玉三郎の『保名』、梅枝と児太郎が交代で阿古屋を勤める『壇浦兜軍記』が上演される。ここではBプログラムの内、梅枝の初日にあたる4日と、児太郎の2日目にあたる7日をレポートする。
人情と喜劇だけではない、中車の『たぬき』
暗くなった場内に聞こえてきたのは、お経を読む声。幕が開くとそこは深川の火葬場だった。最初の演目は、小説家の大佛次郎による新作歌舞伎『たぬき』。初演は昭和28年7月の新橋演舞場で、今回中車が演じる主人公の柏屋金兵衛を、二世松緑が勤めた。
舞台は、コレラが流行した江戸の町。
金兵衛の葬儀で、おじの備後屋宗右衛門(家橘)と、クールな態度の妻おせき(門之助)が、弔問客を迎えている。生前の金兵衛は、吉原でだいぶ散財をしていたらしい。上客の死をいたみ、芸者のお駒(笑也)と太鼓持の蝶作(彦三郎)も訪れるが、おせきは二人の弔問にも冷たい反応をみせる。
月も上がり、皆が引き上げたところで、ようやく中車演じる金兵衛が姿をみせた。酔いつぶれて寝ていたところを、死んだと判断されていたのだ。金兵衛が、火葬直前の早桶(棺桶)の中で目を覚まし、土の上に転がり出てくると、お葬式ムードだった観客に、ワッと笑いが起きた。
経帷子に身を包み、額には、死者のトレードマークの三角の白い布。不謹慎ながらも、その出で立ちが、何を言ってもオモシロ可笑しい。火葬場の親父・多吉(市蔵)との、やりとりで、ようやく事態を飲み込んだ金兵衛は、家族の元へは帰らず、妾のお染(児太郎)の家へいくことを思いつく。
「二度目の命、そっくりやり直そう」
多吉とともに、お染を訪ねる金兵衛。そこで彼女には、間夫(坂東亀蔵)がいることが分かり……。
『たぬき』(左から)太鼓持蝶作=坂東彦三郎、柏屋金兵衛=市川中車
金兵衛と多吉との、ゆったりとした掛け合いは、おおらかで深い味わいものがあった。お染、お駒、蝶作たちは、間合いやリアクションで何度も爆笑をおこした。成長した息子が登場する場面では切なさが、芝居茶屋のシーンには客席の芝居好きをニヤリとさせるエッセンスが詰まっていた。
これらの要素の軸となのが、金兵衛という人物だった。
"最初の命"では、放蕩三昧の末に、葬儀で妻に涙ひとつ流してもらえないダメ男だった。しかし楽観主義で、明るく幸せそうに見えた。"二度目の命"の金兵衛は、吉原通いから足を洗い、ゼロから商いをはじめ成功させているらしい。勤勉ではあるが、幸せそうかを尋ねられると、一瞬戸惑ってしまう影を感じさせた。中車は、金兵衛という人物の輪郭をぼかすことなく、内面の変化をじっくりと体現していた。
観客は、皮肉な展開を「ひどいものだ」と散々笑ったのち、いつしか金兵衛と視線を重ね、周りの人々の表裏の顔を冷静に見はじめてしまう。人情喜劇と思いきや、ふとわが身をふり返るのが怖くなるような、一筋縄ではいかない人間ドラマだった。
玉三郎と清元が創出する、幻想の菜の花畑『保名』
玉三郎は、平成5年に歌舞伎座、平成7年に日生劇場で勤めて以来、自身3度目の保名。恋人の榊の前を失った悲しみで、気をちがえてしまった安倍保名が、彼女を探し、彷徨う様を描いた舞踊だ。
太鼓の音につづき、柝を合図に暗転すると、清元の演奏がはじまった。音もなく幕はあき、夜明けのようにゆっくりと、滑らかな階調で舞台上の大きな桜の木が照らし出された。暗闇にやっと目が慣れてきたころ、その向こうに、どこまでも菜の花畑が広がっていることに気づかされる。
玉三郎が事前取材で語った通り、「物語の前後が切れていても心情で完結」する。曲調が変わったところで、保名が花道から登場し、本舞台へ。
『保名』保名=坂東玉三郎
幻をみるような美しい姿。心がここにないことを、一瞬で伝える玉三郎に、観客の視線が集まる。見慣れた女形の時よりもスッと背が高く感じられ、女形とは異なる美しさと色気を纏っていた。恋人を連れ添い、時に抱き寄せるようにして、形見の小袖を手に、さまよう保名。後半にさしかかったところで、保名が形見に袖を通すと、音楽が止み、静寂の場内に、長い袴がすれる音だけが生々しく響いていた。
その後、小鼓が加わると曲調も変わり、23分の上演時間はあっという間。しかし、悲しみの余韻が胸に、美しい景色が瞼の裏に、いつまでも残る一幕だった。
梅枝と児太郎、2年目の『阿古屋』
昼の部の三演目は、「琴責め」の呼び名で知られる『壇ノ浦兜軍記 阿古屋』(以下、『阿古屋』)。1997年以降21年間、当代では玉三郎ただ一人が演じてきた、女形の大役「遊君阿古屋」を、2018年12月、梅枝と児太郎も加えたトリプルキャストで上演し、大きな話題となった。それから1年。2019年12月の今公演で、再び三人が『阿古屋』に挑む。
場面は、源平の時代も終わりを迎えるころの、京都・堀川御所の問注所だ。源氏方の重忠(彦三郎)は、頼朝の命で、平家の残党・景清の行方を探している。そこで、景清の恋人であった、遊君阿古屋(梅枝/児太郎)を呼び出し詮議をしようというところだ。重忠とともに、詮議に立ち会うのが岩永左衛門(九團次)。
『壇浦兜軍記 阿古屋』(左より)遊君阿古屋=中村梅枝、秩父庄司重忠=坂東彦三郎、岩永左衛門=市川九團次
花道から豪華な衣裳で登場する。阿古屋が一歩進むたびに、煌びやかな簪が揺れ、輝きを放っていた。花魁道中ならば、傘持ちの男衆がいるが、阿古屋の前後には捕手たち。その違いもまた面白い。七三で顔をあげる阿古屋に、両日とも、歌舞伎座を揺らすほどの大きな拍手がおくられた。そして、それぞれの屋号が大向こうからかけられていた。
重忠は、阿古屋に景清の居場所を尋ねるが、阿古屋は「知らない」と答える。そこで重忠は阿古屋の心の内を推し量る拷問として箏、三味線、胡弓を演奏させることにするのだった……。
彦三郎は、重忠役を昨年12月に初役で勤めて以来、今回ですでに3度目。背景にある、白✕紺の襖のイメージをそのまま纏ったかのような、キリっと曇りのない佇まいに品があり、ハッとするような力強い声には温かみも感じさせた。
それと対をなすのが、赤ッ面の悪役である岩永。演じるのは、九團次だ。文楽人形のような、人形振りと呼ばれる演出が特徴で、ビジュアルから言動まで、どこをとってもキャラクターがたっている。
阿古屋に、水責めの拷問を提案するも、重忠に却下され悔しがったり、楽器の演奏による拷問と聞いて驚いたり。エキセントリックなキャラクターでありながら、詮議の場とは思えない華やかな状況に、観客目線でツッコミを入れているようにも思われた。岩永は、阿古屋の演奏にうっとりするうちにウトウトしたり、火鉢の箸で胡弓をマネたりと愛嬌たっぷり。優美な時間に、笑いの要素を挟み込み、観客を楽しませていた。
梅枝の阿古屋、児太郎の阿古屋
そして阿古屋の梅枝と児太郎。
阿古屋を演じる俳優は、舞台上で、3つの楽器を生演奏しなくてはならない。これは大変な重圧であり、阿古屋が難しいと言われる理由の一つでもある。それに加えて昨年は、ふり返ってみると観る側が、大変に緊張していたように思い出される。今年の客席は、緊張感よりも高揚感が勝っていた。
2人とも、玉三郎の教えのもとで初役を演じ、2人とも今回が2度目。孔雀のまな板帯が目を引く拵えは、玉三郎、梅枝、児太郎がそれぞれに、楽器も含めて一式揃えたのだそう。
役も、衣裳も、教えも同じでありながら、当然、異なる個性もある。
梅枝は、歌麿の錦絵から抜け出してきたような、古風な美しさ。たおやかで品格があり、同時に憂いがあった。景清を思い、自身の身の処遇を案ずれば、当然の感情だ。眩しいほど美しい中にも、同情せずにいられない阿古屋だった。
児太郎の凛とした美しさは、遊君としてのプライドを感じさせる。景清を思い、物憂げな表情の中にも、重忠たちへの反骨の気持ちだろうか。「そんな事怖がつて、苦界が片時なろうかいな」の啖呵にスカッとする強さがあり、握りこぶしで応援したい気持ちに駆られた。
『壇浦兜軍記 阿古屋』(左から)榛沢六郎=坂東功一、遊君阿古屋=中村児太郎
階段に身を投げるシーンでも、二人のテンポの違いが感じられ、三曲の音色にも違いは出る。叶うならば、もう数回ずつ、何度でも全パターンを観て、比べてみたい気持ちになった。現在、梅枝は32歳、児太郎は25歳。古典を守り、玉三郎の阿古屋を継承していく、今年の二人を見逃さないでほしい。
『十二月大歌舞伎』は、12月26日までの開催。いずれの阿古屋も、日常を忘れるほどに優美な時間を演出してくれることは間違いないだろう。

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