【明田川進の「音物語」】第32回 岩
田光央さんとの対談(前編)台本にな
かった「AKIRA」金田のセリフ

 「音物語」では今回から全6回にわたって、明田川さんと縁のある方との対談をお届けします。最初に登場いただくのは、本コラムでもたびたび話題にあがる大友克洋監督の「AKIRA」(1988)で金田役を演じられた岩田光央さん。前編では、オーディションや収録の思い出、明田川さんが気になっていた「AKIRA」での岩田さんの芝居について話が弾みました。
――おふたりがお会いするのは、どのくらいぶりですか。
岩田:ものすごく久しぶりですよね。
明田川:久しぶりだね。
岩田:息子の仁さん(※音響監督の明田川仁氏)とは、よくご一緒させていただいていますが、明田川さんと作品でご一緒したのは「ミルモ」(※「わがまま☆フェアリー ミルモでポン!」シリーズ/2002-05年)までさかのぼるかもしれません。今のマジックカプセルは、だいぶ仁さんのほうに移行なさっていますので。
明田川:だいぶではなくて、全部移行していますよ(笑)。
岩田:そうなんですね(笑)。現場でお会いすることがなかなかできなくなりましたが、お変わりなくお元気そうでうれしいです。
――「AKIRA」と岩田さんの思い出について触れた回(https://anime.eiga.com/news/column/aketagawa_oto/108998/ )に、岩田さんはツイッターで反応してくださいました。記事をご覧になったときの感想をうかがわせてください。
岩田:いやあ、本当にうれしかったですし、ありがたかったです。読みながら、「ありがたい……」と自然に頭が下がるような気持ちになりました。「AKIRA」は僕にとっても名刺代わりの作品ですし、あのとき明田川さんに音響監督をしていただけたことはとても大きかったです。当時は20歳そこそこでしたから。
明田川:当時の岩田さんは、生(なま)の芝居をやろうという意識が強かった気がしましたね。
岩田:当時は劇団こまどりにいて、ドラマや映画、CMなどの仕事があるなか、洋画の吹き替えやアニメーションは、あくまでそのなかのひとつという心構えでやらせていただいていました。もちろん現場に入れば声優なんですけども、自分のなかで声の仕事をどう線引きするべきか、まだ見えていなかった頃だったと思います。
明田川:岩田さんには、それまでの声優さんたちとはちょっと違った勢いがあったんですよ。当時から「いいなあ」と思いながら見ていました。声がちょっとしゃがれていて、なおかつ主役もできるような人はなかなかいないんですよね。最近、音をつくりなおしているから「AKIRA」をずっと見てるんですけど、やっぱり岩田さんにやってもらってよかったなと思ったの。
岩田:ああー、それはうれしいですねえ。
明田川:岩田さん、佐々木望さん(鉄雄役)、草尾毅さん(甲斐役)、この3人のバランスが本当に抜群なんですよね。
岩田:ありがとうございます! 僕が鉄雄役の人とはじめて会ったのは、たしか3次の最終オーディションのときだったと思います。ブースには僕と望君だけがいて、初めて声をだしあったとき、彼はすごく上手くて、「なんて“鉄雄な人”なんだろう」と強烈なインパクトがありました。声としゃべり方が、本当に鉄雄なんですよ。ただ、望君は「いや、僕はまだはじめたばかりで、上手いなんて言われると恥ずかしい」みたいなことをおっしゃっていて、そのことにも正直ビックリしました。
 草尾さんとは収録のスタジオでお会いしました。話してみたら草尾さんは僕の2つ上でしたが、同郷だったことが分かったんですよ。中学まで一緒で、僕の兄とは同級生でした。
明田川:それは知らなかった。
岩田:草尾さんも駆け出しの頃で、自分がこの先どうなるか分からないような不安を抱きながら参加なさっていたと思います。そんなふうに、それぞれの役と心の状態がぴったりあう感じだったのかなと、今思い返すとそんな気がします。草尾さんも、ほんとに役にピッタリでしたものね。
――「3次の最終オーディション」と言われましたが、そんなにやられていたのですね。
明田川:3次どころか、その前からもっとやっていたと思います。「AKIRA」のキャストは既成の役者さんや声優さんでないところでやりたいとの大友さんの希望があって、なるべく新しいかたちでキャラクターに合う人に出会うため、さまざまなかたちでオーディションを繰り返していたはずです。作中にでてくる超能力をもつ子どもたちを演じた子も、声の仕事ははじめてだったはずですから。
岩田:そんなにオーディションをやっていたとは知りませんでした。僕はもうオーディションの話がきただけで、とにかくうれしくて。「ヤンマガ」(「週刊ヤングマガジン)で「AKIRA」をリアルタイムに読んでいて、「気分はもう戦争」「童夢」など大友さんの作品は大好きでしたから。ひょっとしたらオーディションで大友さんに会えるかも(笑)、ぐらいの気持ちで受けたのを覚えています。
役が決まったあとに驚いたのは、収録の前に「資料です」と分厚い絵コンテと台本がドーンときたことです。「すごい!」と思いながら読んで、収録に臨みました。
明田川:今日、岩田さんに聞こうと思っていたのだけど、「AKIRA」でオートバイに充電をするシーンがあるじゃない。あそこのアドリブっぽい笑いやセリフ、台本に書いてあったっけ?
岩田:(小声で)書いてないです。
明田川:やっぱり、そうなんだ。あそこよかったよね。僕は岩田さんがアドリブでやったのかどうか覚えていなかったから、今日聞こうと思っていたんです。
岩田:ケイ役の(小山)茉美さんとやりとりするところなど、アドリブでやっているところが何カ所かありました。途中で(収録を)止めずに、けっこう流してくださっていたので、止まらないうちは芝居をしていたほうがいいのかなと思ったんですよね。まあ使われないだろうなと思いながら、一応芝居を続けていたんです。
明田川:僕は役者ではないから本当のところは分からないけれど、岩田さんが声の仕事をしはじめた頃に、絵にあわせずに自分の間合いや感性で芝居できるプレスコ収録の「AKIRA」にあたったのは、非常にラッキーだったと思いますよ。
岩田:ほんとにそう思います。自分の間(ま)で、のびのびと芝居をやらせてもらえました。だから、さっき言っていただいたところなどは、完成した映像を見てビックリしたんですよ。「あ、絵がついてる!」って。「あのセリフ採用されたんだ」みたいなところが、けっこうありました。
 当時、僕は小劇場で舞台をはじめていて(※劇団タイゾー倶楽部。のちに「遊牧民-NOMADE-」と改名)、そこではやっぱり「止まらないうちは、ずっとやらなきゃダメだろう」と言われていたんですよ。その癖もあったのかやり続けていたら、結果として採用されたのはうれしかったですね。
明田川:その話を聞いて納得しました。「AKIRA」の他のところでは、ああいう芝居をやっている役者さんはいないし、かといって大友さんはあのようなセリフは書かれないだろうなあと思っていましたから。
――岩田さんから見た、当時の明田川さんの印象はいかがでしたか。
岩田:「AKIRA」の収録では、基本的に大友さんが演出的なことをなさっていました。明田川さんはそれをフォローするというか、収録現場を円滑に進めるポジションでいてくださって、常にニコニコされていたのが印象的です。
明田川:それしかないんです(笑)。
岩田:大友さんは、眉間にシワを寄せた感じで表情がほとんど変わらないんですよね。今考えると、雰囲気づくりを漫画家の方に求めるほうに無理があると思うんですけども、常に何かを考えてらっしゃるような印象でした。そうして淡々と「ここはこういうシーンで、こういうふうにやってほしいんです」と丁寧に説明してくださって、こちらは必死に演じているなか、横で明田川さんはニコニコしながらそれを見ているんです。
 で、たまに大友さんが「ここは、どう伝えたらいいのかな」と言葉を選んでいるようなときにスッと「ここはこういうことだと思いますよ。そうですよね?」と、ちゃんと大友さんに確認しながら僕らに伝えてくれたのをすごく覚えています。「助かるなあ」なんて言い方をすると失礼になっちゃいますけど、ほんとにそう思いましたし、ありがたかったです。そんなふうに、とにかく円滑に場を進めていただいていた思い出があって、明田川さんがいてくれるだけで安心できました。
明田川:今ちょうど、芸能山城組の山城(祥二)先生と4K用の音をつくりなおしているところですが、本当にすごいですよ(※「AKIRA」4Kリマスターセットが2020年4月24日発売)。LDをだすときに音楽を総入れ替えして、その後ブルーレイのときにもダビングし直していますが、今回の4Kでは楽器を変えて、しかも音楽もちょっと直したいと山城先生が言われ、ようやく音のバランスができあがってきました。しかるべき環境で聴いたら、今までの「AKIRA」とはまったく違って聴こえて驚くはずです。
岩田:そんなに違うんですか! 超楽しみになってきました。余談ですが今ちょうどハイレゾにはまっていまして、ハイレゾで聴くと聴きなれた曲でも「こんなところに音があったんだ」と再発見できるんですよね。ぜひ、今度の「AKIRA」の音楽もハイレゾでだしていただきたいです。
――今となっては「AKIRA」は歴史的な作品ですが、収録当時、原作漫画も大好きだった岩田さんにとって、すごい作品に参加したという実感はあったのでしょうか。
岩田:残念ながら、20歳そこそこの当時の僕にとっては、とにかく仕事をやりきったという達成感のほうが大きかったですかね。あとは、アフレコではなくプレスコでやったことで「ちょっと特別な作品なんだろうな」ぐらいの実感があったぐらいでした。それが日本から世界にまで広がっていき、ハリウッド映画にも影響を与えるような1本になり、今はおかげさまでアニメーション自体が「カルチャー」になって、非常にありがたいなと思っています。
 当時まだアニメは「サブカルチャー」だったと僕は思っていて、そのなかで唯一「AKIRA」だけが「カルチャー」になっていった実感がありました。というのも、僕の行きつけの美容室の人が――美容師さんって格好よくて先端のものに敏感な職業ですよね――「AKIRA」のTシャツを着ていたんですよ。それを見て、ワァッと思いました(笑)。話を聞いたら、サイバーパンクの世界観が最高に好きで、もう何回も見ていると。あと、ラジオCMの現場で声をあてさせてもらったとき、担当の広告代理店のクリエイティブの方が仕事の終わったあとに「AKIRA」のDVDをすっとだして、「これにサインをいただけますか」と言われまして。
明田川:なるほど(笑)。
岩田:こんなこともあったんですよ。妻とハワイに行ったときに、ツアーガイドがイギリス人の方で、「君は日本人か」と聞かれて「イエス」と答えたら、「『AKIRA』を知っているか」「見たことがあるか」と言ってきて……。
一同:(笑)。
岩田:「……イエス」と答えたら「すごいだろ!」と熱っぽく語られて、さすがに出ていますとはちょっと言えないなあ、ということもありました(笑)。そんなふうに、周りから「AKIRA」という作品のすごさを教わることが多かったです。ある取材の風景で、泉谷しげるさんのご自宅の本棚に「AKIRA」が飾ってあるのを見たのも印象的で、クリエイターの人たちが、ある種のステータスとして自分の部屋に置くぐらいの作品なんですよね。それぐらい影響力のある作品に参加していたんだと、あとから気がつきました。
協力:マジックカプセル、青二プロダクション
司会・構成:五所光太郎(アニメハック編集部)
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