大阪交響楽団と大阪フィルによるブル
ックナー交響曲第3番の競演!

現在、オーケストラのレパートリーとして欠かす事の出来ないのが、後期ロマン派の作曲家ブルックナーの交響曲である。
少し前までは、冗長で退屈、マニアックな男性しか聴かないなどと揶揄されていたが、2019年11月に来日した、世界で人気を二分するオーケストラ、ウィーンフィルとベルリンフィルのプログラムには、揃ってブルックナーの交響曲第8番が並んでいた。
国内で、ブルックナーの交響曲にいち早く目を付け、レパートリーとして演奏してきたのが、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を長年務めた朝比奈隆だ。
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立名誉指揮者 朝比奈隆 (c)飯島隆
記録を調べると、1951年には既に定期演奏会でブルックナーの「テ・デウム」を取り上げ、1954年の定期演奏会では2月に交響曲第9番、12月に交響曲第4番を取り上げている。
実際にレパートリーとして繰り返し演奏するようになるのは1970年代に入ってからだが、それにしても時代を先取っていたと言える。
朝比奈のブルックナーはやがてブランドとなり、レコードも数多く出版され、チケットも飛ぶように売れた。
人気の凄さを象徴する光景がある。聴衆の拍手喝采が鳴り止まず、オーケストラが去ったステージに何度も呼び戻される朝比奈隆。四方を見渡し、お辞儀をする彼を万雷の拍手が包み込む。客層は…圧倒的に男性が多かった。
鳴り止まぬ拍手喝采に応え、オーケストラのいないステージに再登場する朝比奈隆 (c)飯島隆
確かに時に、音の大伽藍とも評されるブルックナーの壮大な音楽は、男性好みなのかもしれない。
数々の伝説を残しながら朝比奈隆は生涯、実に196回もブルックナーの交響曲を演奏している。
朝比奈隆亡き後も、ブルックナーの交響曲は大阪フィルのお家芸として特別なものとされ、第2代音楽監督 大植英次の監督最後の特別演奏会でも、第3代音楽監督 尾高忠明の監督就任定期演奏会でも、スケールの大きな交響曲第8番が演奏された。
朝比奈隆が2001年に亡くなった後は、関西でもブルックナーを取り上げるオーケストラが増えて来た。
2005年に交響曲第3番でブルックナーの交響曲ツィクルスをスタートした児玉宏と大阪交響楽団は、2009年に交響曲6番で文化庁芸術祭大賞を受賞するなど人気となり、2015年には番号付きの全交響曲の演奏を終了し、朝比奈隆亡き後、最初のツィクルス完遂と話題になった。
当時の音楽監督 児玉宏の指揮で、ブルックナー交響曲全曲演奏を完遂した大阪交響楽団 (c)飯島隆
また来年、交響曲0番、00番で交響曲ツィクルス完遂となる飯守泰次郎と関西フィルや、2003年以降、交響曲第7番まで取り上げた小泉和裕と日本センチュリー交響楽団など、大阪の各楽団ともにブルックナーを頻繁に取り上げている。現在の日本センチュリー交響楽団 首席指揮者 飯森範親も、進んでブルックナーを取り上げている。
ブルックナーという作曲家、敬虔なカトリック信者のようだが、気が弱く、自分に自信が持てない性格によるものなのか、演奏してもらう為なら何でもするという、したたかな信念によるものなのか、一つの作品を書き換える事で有名だ。もちろん、自身の音楽的欲求による書き換えもあるとは思うが、いずれにしても異稿・異版の多さが、ブルックナーの交響曲の最大の特徴の一つだ。
とりわけ複雑で、稿や版によって全く違った趣を持った問題作が、交響曲第3番だ。
この交響曲の執筆中にブルックナーは、敬愛するワーグナーに会いに祝祭劇場建設中のバイロイトを訪ね、完成した交響曲第2番と作成中の交響曲第3番を見せて、どちらかを献呈したいと申し出る。ワーグナーは3番を大層気に入り、献呈が決まり、曲はその年1873年に完成。この交響曲は「ワーグナー交響曲」と銘打たれた。
この時に完成したのが第1稿だが、全楽章2052小節と、彼の全交響曲中最大規模。ワーグナーの楽劇のモチーフや、同じ調性を持つベートーヴェン「第九」の影響を受けた交響曲だが、如何せん、これは長すぎた。結果、ウィーンフィルから上演を断られた。そして、1876年から77年にかけて書き換えられたものが第2稿となり、こちらはブルックナー自身の手で演奏されたが、結果は散々だったようだ。
その後、充実期の1889年に、弟子たちの勧めもあり交響曲第8番の改訂を中断して書き換えられたのが第3稿。65歳になり、オーケストレーションに円熟味を増し、演奏時間もスッキリと短縮した事で、今日ではこの第3稿の人気が高いようだ。このベースとなる3つの稿に加え、国際ブルックナー協会がロベルト・ハース校訂による全集を出版。その後ハースを引き継ぐ形で登場するレオポルト・ノヴァークの校訂による新全集も出版された。ブルックナーの交響曲は多種多様なカタチで存在している。
特に交響曲第3番は、長大な曲が改訂により短縮されていったことでもわかる通り、稿、版によって大きな違いがあり、指揮者はどれを選ぶのか、その理由にも注目が集まっている。
そんな、普段演奏される機会の少ない交響曲第3番が、2020年1月に大阪フィルと大阪交響楽団の定期演奏会で演奏される。しかも驚いた事に、同じ日にだ。
大阪フィルの定期演奏会は2日開催なので後半の日程が被る事になるが、調整すれば両方の演奏を聴き比べ出来ると云う訳だ。
大阪交響楽団は本名徹次の指揮でノヴァーク版第2稿を取り上げ(1月17日 於:ザ・シンフォニーホール)、大阪フィルは音楽監督 尾高忠明の指揮で、第3稿を取り上げる(1月16日、17日 於:フェスティバルホール)。
これは非常に珍しいケースなので、それぞれのオーケストラを指揮するマエストロに、いくつか質問を投げかけてみた。
―― 今回、ブルックナーの交響曲第3番を取り上げられたのは何故でしょうか?
尾高忠明:40年ぐらい前から取り上げたかった交響曲ですが、複数の版が存在し、そのどれを取り上げるべきか試行錯誤をしていてこんなに時間がたってしまいました。
大阪フィルハーモニー交響楽団 音楽監督 尾高忠明 (c)飯島隆
本名徹次:大阪交響楽団のオリジナルの編成を考え、そして個人的に想い出のある交響曲を選曲しました。
ベトナム国立交響楽団 音楽監督・首席指揮者 本名徹次 写真提供:KAJIMOTO
―― 交響曲第3番は異稿・異版の多い問題作と言われていますが、今回この稿、版を選ばれた理由をお聞かせください。
尾高:それぞれの版がそれぞれに良い面があり、甲乙はつけられませんが、自分としてはブルックナーが老境に入り、神に近づいて来た頃に校訂した第三稿をまず取り上げたいと思いました。いずれ別の稿や、それ以前の交響曲も取り上げたいと思っています。
※ 尾高忠明がこれまでに指揮したのは、第4番、5番、7番、8番、9番。
今回は晩年に書き直した第3稿を取り上げます (c)飯島隆
本名:よく演奏される1889年第3稿も考えましたが、やはり個人的に思い入れのあるこの1877年に書き直したノヴァーク版第2稿にしました。以前、名古屋フィルとも同じ版でやっています。ウィーン在住のある時期、ウィーン学友協会の資料室にこもってシューベルトの直筆譜を勉強していたのですが、ブルックナーが1877年に書き直した交響曲第3番第2稿の直筆のパート譜を見て感銘を受けたのです。機会が有れば他の版も指揮してみたいとも考えています。また、交響曲第4番の場合は、自分の版を作って演奏したこともあります。一方で、聴衆の皆さんは版のことをどう考えているのかも興味のあるところです。聴き比べて行くと、自然に自分が好きな版が決まってくるのでしょうか。
※ 本名徹次がこれまでに指揮したのは、第1番、3番、4番、5番。
以前名古屋フィルでもやったノヴァーク版第2稿を取り上げます 写真提供:KAJIMOTO
―― オーケストラのサイズや、ホールの特性を考慮した上で、今回の3番の聴きどころをお聞かせください。
尾高:フェスティバルホールは素晴らしいホールで、どのような種類の音楽を演奏しても素敵な空間になります。ですが、自分のもっとも愛するブルックナーの響きが、そこに多少のワグネリアンの香りも含みつつ、ホール全体に浸透していってくれることを想像すると、中之島がサンクトフローリアンになるようで今からワクワクします。
フェスティバルホールに鳴り響く大フィルサウンドにご期待ください! (c)飯島隆
本名:大阪のザ・シンフォニーホールは、ブルックナーには最適のホールですので、安心して選曲しました。交響曲3番の出だしのトランペットが奏でる「レーラーラレー」は、ベートーヴェンの第9交響曲の主題とよく関連性を指摘されますが、まさにその通りだと思います。ニ短調という調性まで一緒で、ブルックナーもベートーヴェンの第9交響曲を意識していたのがよくわかります。
ザ・シンフォニーホールはブルックナーに最適。大阪交響楽団にご期待ください! (c)飯島隆
―― 交響曲第3番は演奏機会の少ない曲ですが、同じ日に同じ曲を演奏する定期演奏会が重なったことを踏まえつつ、「SPICE」読者の皆さまに向けたメッセージをお願いします。
尾高:他のブルックナーの交響曲でも、版の違いはありますが、それほど大差があるものは少ないと思います。ところが、この3番に関しては大変な違いがあります。第1稿などは、大変長くなります。同じ日に第3番がかち合ってしまい、お客様には大変申し訳なく思いますし、私自身も本名さんと大阪交響楽団の演奏を聴きに行けないのはとても残念です。しかし、両方の演奏会を相次いで聴ける方は、ぜひその違いからブルックナーの心理変化などを楽しんで頂けたらと思います。本名さん、大阪交響楽団の皆様、トイトイトイ! 私たちもベストを尽くします。
版の違いからブルックナーの心理変化をお楽しみください! (c)Martin Richardson
本名:第3番は素晴らしい交響曲です。特に第2楽章はブルックナーならではの独特の世界に誘われる事でしょう。僕の大好きな大阪交響楽団とのブルックナーを「日本のブルックナーの聖地」とも言える大阪で演奏します。ご期待ください。尾高先生&大フィルとの聴き比べも、面白いかもしれません! ベトナム交響楽団とはこれまでマーラー全交響曲やR.シュトラウスシリーズ(全曲ではありません)をやりました。ブルックナーとショスタコーヴィチを数年後に本腰を入れ始めたいと考えております。
両楽団の聴き比べをお楽しみください! 写真提供:KAJIMOTO
お忙しい中、快く質問に応えて頂いた両マエストロには、この場を借りて感謝したい。
個人的な事で恐縮だが、ブルックナーの交響曲第3番と言うと、やはり朝比奈隆の事を思いだす。2001年の11月定期演奏会で予定されていたプログラムが、まさにブルックナーの交響曲第3番だったのだが、体調不良を理由に外山雄三に指揮者が変わり、プログラムもシューベルトのグレイト・シンフォニーに変更された。私もその会場に居た。
朝比奈隆は、病院のベッドにまで第3番のスコアを持って来させていたそうだ。
人生最後のブルックナー演奏となった、交響曲第9番のカーテンコール(01.9.24 シンフォニーH) (c)飯島隆
その後、年末の「第9シンフォニーの夕べ」も若杉弘に指揮者変更となり、12月29日の「第9」終了後まもなく、朝比奈隆は亡くなった。棺にはブルックナー第3番のスコアが入れられたと聞く。
曲目変更により演奏されなかったブルックナー交響曲第3番はその後、朝比奈隆の追悼公演として若杉弘の指揮で、東京と大阪で演奏された。
日本におけるブルックナー演奏の歴史を作った朝比奈隆の交響曲第3番に纏わるエピソードを抜きに、今回の第3番の競演の話は語れない。
ちなみに、大阪フィルは今回のプログラムを、東京サントリーホールでも演奏する。尾高忠明と大阪フィルの奏でる現在のブルックナーサウンドを、東京のファンはどう受け止めるのだろうか。
今回のプログラムは東京サントリーホールでも演奏される (c)飯島隆
この機会に、両マエストロと両オーケストラによるブルックナー交響曲第3番の競演を、響きの違う2つ、いや3つのホールで楽しんで欲しい。
聴き比べの楽しさこそが、クラシック音楽鑑賞の醍醐味!演奏機会の少ない交響曲第3番だけに、この機会を逃す手は無いと思うのだ。
日本におけるブルックナー演奏の歴史を作った朝比奈隆 (c)飯島隆
取材・文=磯島浩彰

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