暗黒大陸じゃがたらの
『南蛮渡来』は、他の誰でもない、
江戸アケミだけが示した
江戸アケミのロックンロール

アフロビートを導入した先鋭

今回、『南蛮渡来』を聴いて真っ先に感じたのは、これはアルバムというスタイルでなければ制作できなかった作品ではなかろうかということ。本作未体験の人は“何、当たり前のことをしたり顔で…”と呆れておられるかもしれないが、もう少しお付き合い願えれば幸いである。

『南蛮渡来』は全8曲で収録時間は約40分。当時はLP盤でアルバムをリリースするのが極めて普通のことだったので総体の尺はこれくらいが当然として、注目してほしいのは収録曲のタイムである。M1「でも・デモ・DEMO」6分30秒。M7「FADE OUT」6分59秒。M8「クニナマシェ」9分14秒。3分程度のものもそれ以下の長さの楽曲も収録されているのだが、長尺の楽曲が目立つ。M8「クニナマシェ」は昨今の楽曲に比べても長めだと感じるほどである。まぁ、長いだけなら1970年代にもプログレがあったので、タイムそのものはどうこう言うこともないのだが、『南蛮渡来』はその音楽性がファンクを中心としたものであって、それである種、必然的に長尺となっていると想像できる──そこがポイントだと思う。本作以前に彼らは“財団法人じゃがたら”名義でシングル「LAST TANGO IN JUKU」を発表しているが、『南蛮渡来』収録曲のようなものを表現するにはシングルでは事足りなかったであろうし、時代がアルバム寄りになってきたことは今になって思えば幸いだったようにも思う。

ファンクという音楽ジャンルをひと口で語るのはなかなか難しいが、ダンサブルなリズムと象徴的なメロディーのリピートで構成されたもので、演奏のグルーブ=ノリに主眼を置いた音楽…との説明でそう大きく間違ってはなかろう。日本では歌謡曲や演歌は素より、現在のJ-POPにしても歌の主旋律を楽曲の中心と捉えることがほとんどだと思う。A→B→サビという日本独自の曲構成は今も邦楽シーンの主流だ。もともとのファンクはそうした日本で一般的に好まれている音楽とはベクトルが異なる。それぞれをグルーブ中心の音楽とメロディー中心の音楽と割り切って考えたら、完全に真逆と言えるかもしれない。ファンクものちにファンクロックへと派生し、世界的なロックバンドがそのビートを自らのサウンドに取り込むことも何ら珍しくなくなったし、日本においてもファンクとJ-POPとの融合は今や普通のことに感じるだろうから、令和2年ともなれば“ファンクのどこが革新的だったの?”と思われるかもしれない。

だが、『南蛮渡来』で暗黒大陸じゃがたらが示したのは、ファンクはファンクでも、アフリカンなリズムを取り込んだファンク=アフロビートであり、より土着的な音楽ジャンルへの傾倒がはっきりと聴き取れるのである。これは相当に先鋭的であったと言える。前述した1980年代前半の名盤もどれも素晴らしい作品であることは間違いないけれども、ほとんどのインスパイア元は欧米のロック、ポップスであった。『南蛮渡来』はそれらとは土台がまったく異なると言っていい。突然、思いも寄らなかった遥か斜め上から降って来たようなアルバムではないかと今となっても思ってしまう。発表されたのが1982年であることを考えると、大袈裟に言えば、これは発明、発見を超越して、魔法や錬金術によって生まれたような作品と形容したいほどである。

OKMusic編集部

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