哀感が染み渡る
エリック・アンダースンの
傑作中の傑作『ブルー・リバー』
エリック・アンダースンの音楽
エリック・アンダースンもまたガスリーに影響を受けたひとりで、10代からギターを弾き、ガスリーに憧れてアメリカ中を放浪する。大学はドロップアウトすることになるが、そこで学んだ文学が後々彼のソングライティングに生きることになる。サンフランシスコで歌っているところをトム・パクストンに認められ、フォークリバイバルのメッカとも言えるグリニッチ・ビレッジに移り住む。1964年、多くのフォークリバイバリストたちを擁したヴァンガードレコードのオーディションを著名なガーズ・フォークシティで受けて認められ、65年に『トゥデイ・イズ・ザ・ハイウェイ』で念願のデビューを果たす。
その頃のフォークシーンはディランに代表されるように、少しのオリジナルのほか古いトラッドやプロテストソングを歌ったり、公民権運動や反戦運動などの政治活動に参加したりするのが一般的であった。ディランが音楽的に変わるのは、ビートルズやデイブ・クラーク・ファイヴをはじめとするブリティッシュ・インベイジョンを体験してからのことだ。フォークはアコースティックでないといけないという時代に、ディランは『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(’65)でロックへと転向し新たな段階に向かうことになるのだが、そのきっかけを作ったのがブリティッシュ・インベイジョンと、もうひとつの理由としてエリック・アンダースンからの影響かもしれないと僕は考えている。エリックはデビューアルバムの一部の曲ですでに私小説的かつ文学的な歌詞世界を生み出しており、意味深なラブソング「Come to My Bedside」は、さまざまなアーティストにカバーされているだけにディランにも影響を与えたと思われる。この曲は日本の関西フォークのシンガーたちにも大いに支持され、中川五郎、高石ともや、岡林信康らがカバーしている。
この後も彼は「Thirsty Boots」「Violets of Dawn」など、多くのアーティストにカバーされる曲を書き続け、ヴァンガードレコードから6枚、ワーナーブラザーズから2枚のアルバムをリリース、エリックはフォーク界の寵児として活躍する。そして70年にカナダで行なわれた『フェスティバル・エクスプレス』にグレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリン、ザ・バンドなどのロックグループとともに参加し、この経験が一世一代のSSW系名盤を生むきっかけとなるのである。
本作『ブルー・リバー』について
収録曲は全部で9曲(CDはボーナストラックが2曲あり全11曲)。バックメンは豪華であるが、誰もがエリックの歌と楽曲を生かすために必要最小限の音しか出していないのが本作の最大の特徴となっている。アルバム全編に流れる哀感と静謐さは、エリックの手になる楽曲とぴったりマッチしていて、心地良い孤独感が味わえる。大自然、川のせせらぎ、雪がしんしんと降る静かな冬の朝など、本作を聴いている自分のその時々の感覚によって違うが、さまざまなシチュエーションが頭の中に沸き上がってくる感触は、このアルバムが持つ不思議な磁力だと思う。
収められた曲はどれも素晴らしいが、特にタイトルトラックの美しさは格別で、ジョニ・ミッチェルによるカウンターボーカル、ケヴィン・ケリーのアコーディオン、そしてピアノとバックボーカルは絶品と言うしかない。カバー曲は「モア・オーフン・ザン・ノット」のみで、デビッド・ウィフェン作。
本作でエリックは、フォークシンガーというレッテルを脱ぎ捨て、SSW系アーティスト(今でいうアメリカーナ)として新たな境地を作り上げている。チャートでは振るわなかったが、本作を永遠のパートナーとして愛聴する人は決して少なくないだろう。かく言う僕もSSW系では、ロッド・テイラーのデビュー作、ガイ・クラークの『オールド No.1』、ドニー・フリッツの『プローン・トゥ・リーン』、ボビー・チャールズのベアズヴィル盤と並んで、本作がオールタイムフェイバリットの一枚である。蛇足だが、デビッド・ブルーの傑作『ストーリーズ』(’72)は、本作とは一卵性双生児のような関係にある。
TEXT:河崎直人