コクーン初登場の鄭義信が描く『泣く
ロミオと怒るジュリエット』~「3日
間の熱情、愛のやりとりを関西の戦後
の混乱期に置き換えた」ピュアで美し
い物語

社会の底辺で力強く生きる人びとの姿を、笑いと猥雑さと繊細な美しさが渾然一体となって世界の中で、生き生きと描き出す劇作・演出家の鄭義信。近年は『焼肉ドラゴン』が舞台版・映画版ともに人気を呼んだ。そんな鄭義信が満を持してシアターコクーンに登場、『ロミオとジュリエット』をロミオ役の桐山照史、ジュリエット役の柄本時生をはじめオールメールで上演する。タイトルは『泣くロミオと怒るジュリエット』。設定は戦後のとある港町、対立するのは二つの愚連隊、飛び交うのは関西弁というから、ひと筋縄ではいかない。稽古場に鄭義信を訪ねた。
――『ロミオとジュリエット』をと思われたきっかけはなんだったんでしょう?
鄭 打ち合わせをする中でなんとなく『ロミジュリ』が挙がってきて。やれるかなと思えたのは3日の間に展開するロミオとジュリエットの熱情、愛のやりとりを関西の戦後の混乱期に置き換えたら面白くなるんじゃないかと思えたからなんですよね。2017年に『ヴェニスの商人』を関西弁で書いたこと(兵庫県立ピッコロ劇団『歌うシャイロック』)があったのもヒントになりました。希望と絶望、虚無が渦巻いた時代に置いたらすごく面白くなるんじゃないかなと。
――真正面から、いわゆる翻訳劇としてというのではなかったんですね。
鄭 まず原作がものすごく長いのと、話が多岐にわたるし、矛盾しているところ、御都合主義のところがあって、どう演出していいかわからないんですよ。だからこそ逆に自分の中で謎解きといいますか、こことここをつなげてこう動けば、こういう具合になるんじゃないか、そんなふうに紐解いていった感じです。翻訳本も3冊くらい並べて。やっぱり訳によってアプローチが違っているし、この人はこういう思いで翻訳しているんだという発見があって面白かったし、有意義でしたね。その結果、自分なりの解釈で描き上げたのが『泣くロミオと怒るジュリエット』です。
――ローレンス神父とか、これまでの上演では比較的役割だけのために登場するような人物にもいろいろと背景を与えていらっしゃいますよね。それが楽しかったです。
鄭 いろいろ勝手に付けています(笑)。でも原作から重要なせりふもいくつも引用しているんですけどね。
鄭義信
――『ロミオとジュリエット』に対する思いを教えていただけますか?
鄭 最初に見たのは、フランコ・ゼフィレッリ監督のオリビエ・ハッセーが出ている映画だったんです。オリビエ・ハッセー演じるジュリエットがすごく低い声で「ロミオ、ロミオ」って発情した猫みたいだった。僕は14、15歳くらいで、こんなエッチな作品なんだって思ったのを覚えています。実は原作を読むと、結構えげつない。翻訳者に言わせると原書のジュリエットのせりふなんてさらにえげつないらしく、やっぱり性と愛の物語なんだなって。今回は『ロミジュリ』だけではなく、『ウエストサイド物語』も混ぜているんです。『ウエストサイド物語』はヒスパニック系ともともとそこに暮らしていたアメリカ人たちの人種間闘争が、若いチンピラ同士の争いの背後にある。台本上ではそこまで具体的ではないけれど、第三国人と日本人ヤクザの話として描いています。
――今は国同士も諍いがありつつも、一つの国の中でも分断が起こるという状況がありますけど、そういう現代社会の様相を匂わせるところもありますね。
鄭 はい。やっぱり現代のようにヘイトスピーチが蔓延するとは思わなかったし、動画を見るとサラリーマンや妊婦さんだったりが「朝鮮人は出て行け」みたいなことを平気で言っているんです。自分たちのストレスをさらに弱いものに向けて吐き出している状況が怖い、危険な時代だと思っています。僕自身もマイノリティなので、うっ積されたものが弱者に向けられているのをヒシヒシと感じています。だけど、対立する者同士、理解し合える部分もあるだろうし、相容れない部分もある。別にハンド・イン・ハンドしようというつもりで書いているわけではありませんが、それを乗り越えようとする強い力もあり、それを乗り越えさせないようにする力もあるというのが僕のスタンスです。
鄭義信
――さて、男性キャストでこれをやろうというアイデアは鄭さんですか?
鄭 それは僕です。コクーンさんは歌舞伎もやっていらっしゃるし、先輩でもある蜷川幸雄さんも実験的なこともやられていた。シェイクスピアも当時は若い男の子ばかりでやっていたわけですから、面白いかなと思ったんです。最初、男優陣は女優さんが一人もいないのはモチベーションが下がるとか言っていましたが、始まると気が楽でいいやって好き勝手言ってますよ。でも男性が10人くらいガーッと動くと熱量がググッと上がってくるんですごいですね。このメンバーの中で女性役を演じるのは柄本時生くんと八嶋智人さんだけですけど、だんだん二人が女性っぽく見えてくるんです。時生くんがとても可愛らしく見える瞬間がある。八嶋さんは自分でもおばちゃんだって言っているんですけど、すごく愛情あふれるお姉さんに見える。素敵ですし、驚きですね。
 ロミオとジュリエットは家柄をはじめなにもかも捨てて燃え上がる、男性ばかりで上演するということでジェンダーを超えていく、人種や国境を超えていく。すべてを乗り越えた先にあるものはなんだろう、すべてを乗り越えようとするけど乗り越えられない、戦争だったりがそれを塗りつぶしてしまうものもあるんだよということをやりたいなと思っています。
――鄭さんの中では、ロミオとジュリエットをどんなキャラクターとして描こうとしているんですか?
鄭 たった3日間で人を愛して、破滅に向かっていく、大きな力に向かっていくということは、ロミオにはロミオで大きな何かを秘めていないかぎりダメなんですよ。そこが課題でもあります。たとえば原作では仲間のマキューシオが殺されたことにカッとなって対立するティボルトを殺しますが、本当に人はそんなに簡単に殺せるの?と桐山くんとも相談しましたね。そこは僕自身が、原作に沿って書いているんですけど実際に立ち上げて見ると違和感が残ります。そこでいろんな工夫をしているんです。僕の中でロミオは生きることを強く希求している人間。けれども周りの状況が悪くなって追い詰められていく。だからこそジュリエットが投げかける「明日はある」という言葉で二人は結ばれていく。一方、ジュリエットは僕の中では惚れっぽい女性。原作では14歳でバージンで、もう火が付いて性愛にどっぷりじゃないですか。でも時生くんがやるので田舎娘が都会に来て、散々男に振り回されたからそういう人生はやめようと思うんだけど、惚れっぽいのでロミオのこともどうしようもなく好きになってしまう。ダメンズ好きの女の子ですね。でも惚れっぽいところがあるから可愛い、そんな感じですね。
鄭義信
――桐山さんのロミオ、時生さんのジュリエット、どんな愛になりそうですか?
鄭 二人とも芝居がまっすぐ。基本的にはちょっと欠けた者同士が寄り添う感じにはなっていますけど、本当にまっすぐに人を愛して、純愛だなって思う瞬間がありますよ。二人の気持ちがまっすぐであればあるほど悲しみが湧いてきます。それは二人の持っている素直さのなせる部分ですけど、初めて恋をし始めるときのドキドキ感があるかな。それに時生くんは女性のお客さんを敵に回すことはありません、非常に共感を抱いてもらえると思います(笑)。
――登場人物の名前は原作のまま、せりふは関西弁、装置もちらっと拝見したらドヤ街のようで、とても不思議な雰囲気の作品になりそうですね。
鄭 舞台美術の方とは、リアリティの基礎になるものだし、相談してまるまる日本にしてしまいましょうって。だから汚しとか、張り紙とかも凝ってます。遠くの看板には「めし」とか書かれています。たしかに不思議な世界になっていっているかもしれません。混沌として見えている景色が、過去の話なのか、未来の話なのか。もう素直に笑って、泣いてもらって、純愛というものに想いを馳せつつ、一方で戦争というものを感じつつ、明日起こりうるかもしれない物語として見ていただければうれしいです。男ばかりですが、ピュアで美しいものを見せようと鋭意頑張っております。
鄭義信
取材・文:いまいこういち

アーティスト

SPICE

SPICE(スパイス)は、音楽、クラシック、舞台、アニメ・ゲーム、イベント・レジャー、映画、アートのニュースやレポート、インタビューやコラム、動画などHOTなコンテンツをお届けするエンターテイメント特化型情報メディアです。

新着