康本雅子インタビュー~京都にヤスモ
ト・ワールドを観に行こう! ロームシ
アターの空間を生かした新作『全自動
煩脳ずいずい図』を振付・演出

東京で活躍しているときは、ダンサー・振付家でありながら一匹狼。演劇、音楽、映像などジャンルを飛び越え、毒とユーモアをふりまいた稀有な存在として、その活動が気になって気になって仕方がなかった康本雅子。2012年からの移住・子育て期間を経て、現在は京都を拠点とし、2017年に新作『子ら子ら』を発表するなど再び活動を始めた。新作『全自動煩脳ずいずい図』は「ダンスの持つ抗えない魅力を、ダンサー自身が取り戻す事」を第一のテーマに、踊り尽くした末の、意味や記号から解き放たれた体から初めて生まれる関係性を提示するという。
企画書にこんな一節があったーー
「意味が溶けて身体から始まる世界。そこではキスはキスじゃないのかもしれない。口と口じゃないのかもしれない。キスはキズなのかもしれない。脳ミソから自由になった時、身体の感覚は何処まで広がるんだろか。行ってもイっても辿り着かないんだろか。」
康本雅子の感性は相変わらずでうれしい!
――京都に来てからつくるものの意識は変わってきましたか?
康本 そろそろ5年になりますけど……京都だからということはないかもしれません。京都のアーティストさんはマイペースで、自分がやりたいことだけをやるという方が多いのですごくいいなと思います。
――新作は踊ることをいろんな意味で確認したいのかなあと漠然と感じました。
康本 どうなんでしょう。クリエーションを始めて感じたのは体力が落ちているということ。今の体力、身体能力でどういうダンスができるのかに興味があります。今までやってきたことを引きずってもしょうがないし、でも自分の中で変わらないものもある。その中で明らかに変わったのは、すごく動く、運動量の多いダンスには興味はなくなったんです。若いころははち切れんばかりの踊りが好きでしたが、人間できないことには興味がなくなる(笑)。当たり前ですけど、その年代その年代でのダンスが絶対にある。あ、あとダンスがここ数年でものすごく普遍的なものになってきてたと感じるんですよ。
康本雅子『子ら子ら』横浜公演
――そこに違和感があるわけですね?
康本 猫も杓子もダンス、ダンス、CMでもドラマでもすぐダンス、踊るということが広まってはいるかもしれません。私は小学校によくワークショップをやりに行くんですよ。そうすると「あのダンスはやらないの?」ってすぐに言われる。子供たちはテレビを観るからEXILE系とか「逃げ恥」とか、ああいうものこそがダンスだと思っているんです。それと同時にへんな振り付けをするのがコンテンポラリーダンスだと誤解されているように思います。仕事でも「コンテンポラリーダンスをお願いします」と言われるときは大抵そう。本来アップデートしていくのがコンテンポラリーなのに、 “へんなダンス”とジャンルになった時点でコンテンポラリーダンスは終わっていることになってしまう。そのことにジレンマがあるし、もっともっと多様性があると知ってもらいたいと思います。
 でも、それを知ってもらう機会は、舞台ではなくてもいいんですけど、やっぱり振付家が発表しているところに行かないと出会えない。テレビのような短い時間で振付家の世界観が見せられるわけじゃないし、逆に言えば舞台はお客さんにはハードルが高い行為なんだと改めて感じます。舞台は体験を買う機会です。ぼーっと見ていてもいいけど能動的になった方が面白い。特にダンスは抽象表現なので、想像することが楽しいと知ってほしい。
 ダンスはよく時間芸術と言われますが、実は今まで私はそのことにあんまりピンときていなかったんです。でも見ているお客さんの時間を引き伸ばしたり、止めたりなど、普段の日常では味わえない感覚をやっぱり味わってほしい。そういうあれこれが新作へのモチベーションですね。
――僕は康本さんはあまりほかのダンサーさんに興味がないのかと思っていました(笑)
康本 昔はとにかく「自分が踊りたい!」でしたからソロかデュエット作品ばかりでした(笑)。群舞に興味が出てきたのは最近です。それに誰かに出ていただくということは演出が必要になってくるわけですが、私は演出が苦手で。振付家は自分の作品では演出もするから同じように見られがちですが、本当はめちゃめちゃ違う作業ですから。ただ今は自分が踊りたいという気持ちが昔ほどないし、いろいろ違う体があった方が面白いと思えるようになった。だから今はほかの身体に目が向きますし、二人いたらそこに生まれる関係にも興味があるんですよね。
康本雅子『子ら子ら』京都公演
――発想とプロデュース力は、抜群だったじゃないですか。演出は苦手だったんですね。
康本 発想は瞬発力じゃないですか。それを構築していくことが苦手なんです。じゃあなぜやるかと言えば、自分でやらないと発表する場がないから。だって誰からも頼まれないから。自分の世界観を表現するにはやっぱり自分で作品を発表しないとダメでしょう。私は本格的に復帰したのは2年前。松尾スズキさん作・演出の『業音』の再演でした。それまで京都では作品に出ていませんでしたし、つくってなかった。『業音』は私にとってご褒美みたいなもので、再演でしたからゼロからつくるわけではなかった。でも自分もつくることに貪欲じゃないと、もちろん松尾さんと比較するのはおこがましいけれど、ものをつくる姿勢を持ってないと意識の上で同じ土俵に居られない気がして、「自分も作品つくっていかないとダメだ」と思ったんです。それで『子ら子ら』をつくったときに、作品をつくる手応えみたいなものを思い出したと言うか。それで今回があります。
――豊橋の穂の国とよはし芸術劇場でレジデンスをやっているんですよね。
康本 作品のためのエッセンスをつくる期間でしたがものすごくよかったんです。レジデンス自体が初めてで、ほかのダンサーさんたちはこうやってつくっているんだということがわかりました(笑)。今後も作品をつくるなら絶対レジデンスしなきゃダメだなって。1日中ダンスのことを考えていられるというのはレジデンスじゃないと無理。創作はトライ&エラーの繰り返しですけど、早い段階でたくさんそれができるという意味では、レジデンスがすごく有効だということに気がつきました。
康本雅子『子ら子ら』横浜公演
――新鮮な経験をされたんですね!(笑)
康本 今さらながらですけど、はい。あと、今までよりスタッフワークを固めていけたらとも思っています。スタッフの方がクリエーションの段階から入ってくださって、意見をもらえるチームを築けたらいいなって。昔からそれは憧れていたけれど全部自分でやらなければいけないと勝手に思っていたんです。皆さんにアイデアをもらうのはいけないんじゃないかと思っていたし、ダンサーにも私が振付・演出とクレジットされている以上は「ここをお願い」とは言えなかった。皆さんが出してくれるいろんな素敵なアイデアを聞いていいんだ、取り入れていいんだと気づいたのはすごい発見でしたね。そういう意味では、ものを知ったし、大人になったのかなぁ(笑)。
――新作『全自動煩脳ずいずい図』について最後に教えてください。
康本 今さらながら、タイトルに「煩脳」ってつけなければよかったなあと(苦笑)。煩脳は当て字ですが、「煩悩なんだ」と最初から思われてしまう。でも全自動、オートマチックと付けたように、一人ひとりの煩悩を見せたいわけではありません。人間の煩悩はほぼ欲望に起因していると思うんです。何かしたい、したくないというのもそう。煩悩は欲望とは切り離せないものですが、本当にオリジナルはどれなんだろうと昔から考えていたんです。つまり煩悩は社会や環境から仕組まれているんじゃないかと。本当に本当に自分が欲しているものはどこまでなのかわからないこともある。褒められるとか承認欲求も本当は自分の欲望じゃない。でも誰かに褒められたい、そうでないと死んでしまうかもしれない。赤ん坊がかわいらしいのは、最初から老人みたいにヨボヨボで生まれたら親が世話をしなくなるからだと思うんです。そんなふうに自分の命にかかわることなのかなって。それが成長とともにもっと歪んだ形になって、この人に気に入られたいから赤い服を着るとかいうことが当たり前になっていく。そんなことを考えるているときりがなくて、そもそも欲望ってあるのかな? 持たされているだけじゃないのかなとか考えるんです。もちろん私も煩悩はある。そんなふうになんか煩悩や欲望を一歩引いてみてみたいなって思ったんです。
康本雅子
取材・文:いまいこういち

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