アメリカ庶民の苦悩を
淡々と歌う
ジョン・プラインのデビュー作
『ジョン・プライン』
シカゴのフォークリバイバル
ジョン・プライン
ある日、フィフス・ペグで歌っている時、たまたま来ていた新聞記者の目に止まり、彼の記事が新聞に掲載される。ジャニス・ジョプリンが歌い大ヒットした「ミー・アンド・ボビー・マギー」の作者であるクリス・クリストファーソンがその記事を読み、プラインの歌を聴きにフィフス・ペグを訪れ、その素晴らしい歌声と曲に感銘を受ける。クリストファーソンはニューヨークの有名なライヴハウス『ビターエンド』でプラインが歌えるように計らっている。しばらく後、プラインが『ビターエンド』に出演すると、そこに来ていたアトランティックレコードのジェリー・ウェクスラー(アレサ・フランクリンやオールマン・ブラザーズ、レッド・ツェッペリンなどのプロデューサー)は彼を大いに気に入り、契約を交わすことになった。そこから、プラインの長い音楽生活が始まる。
本作『ジョン・プライン』について
[1970年代以降に姿を見せたシンガーソングライターたちの中でも、ジョン・プラインの歌はぬきんでて独自だ。もしまったく目立たないスーパースターがいるとすれば、ジョン・プラインがそうだ。(中略)ディランの歌は、際立って寓意的だ。だが、ジョン・プラインの歌は、際立って日常的だ。(中略)ディランが剛なら、ジョン・プラインは柔だ。](同書、159-161ページ)。
本当にこの通りである。プラインは楽しいことや悲しいことを淡々と歌う。日常に起こる悲喜交々を人は全てを受け入れながら生きていくのだと言いたげである。プラインはそういうシンガーだ。声高に叫ぶこともなく、権力に対して戦う術を知らない弱い庶民の生きざまを歌い続けている。
収録曲は全部で13曲。名曲揃いで至福の45分である。ローリングストーン誌の史上最高の500枚では452位にランクイン。ベトナム帰還兵のやるせなさを歌った「サム・ストーン」はピンク・フロイドの『ファイナル・カット』で引用されているし、ボニー・レイットが歌い続ける「エンジェル・フロム・モンゴメリー」はジョン・デンバーをはじめ、ベン・ハーパー、デイブ・マシューズ・バンド、スーザン・テデスキらもカバーしているプラインの名曲のひとつだ。前述の「ハロー・イン・ゼア」は老人の悲しみを歌い、「パラダイス」は炭鉱の衰退について歌われている。
サウンドはカントリー的なテイストのあるフォークロックで、最初期のアメリカーナサウンドだ。チャート上では伸びなかったが、多くのミュージシャンがお気に入りの一枚として挙げている。バックを務めるのはレジー・ヤング、マイク・リーチ、ジーン・クリスマンといったサザンソウルやスワンプロックでお馴染みの面々だけに、派手さはないが燻し銀のような演奏が味わえる。
最後にひと言。プラインは生前25枚ほどのアルバムを作っており、駄作はない。彼を敬愛するブルース・スプリングスティーン、トム・ペティ、ボニー・レイットが参加した『ミッシング・イヤーズ』(‘91)で初めてのグラミー賞(最優秀フォークアルバム)を受賞している。このアルバムにはジョン・メレンキャンプやプリンスとの共作も収録されているので、骨太のロックが好きな人もぜひ聴いてみてほしい。
TEXT:河崎直人