ZARD「永遠」で坂井泉水が私たちに遺してくれたもの

ZARD「永遠」で坂井泉水が私たちに遺してくれたもの

ZARD「永遠」で坂井泉水が私たちに遺
してくれたもの

「朱い果実」が意味するものとは?

ZARDの『永遠』は、1997年に放送されたドラマ『失楽園』の主題歌でした。
『失楽園』は不倫をテーマにした悲劇的なストーリーで大ヒットを記録。

永遠 歌詞 「ZARD」
https://utaten.com/lyric/ja00002259
ドラマのタイトルである『失楽園』は「禁断の果実」を食べたアダムとイブが楽園を追放される旧約聖書の有名な物語。
『永遠』の冒頭で歌われる「朱い果実」とは、その「禁断の果実」を意味しているのではないでしょうか。
この一言で、不倫という禁断の果実を口にして、苦しみの世界が始まるドラマ『失楽園』の世界観が表現されているような気がします。
ところで、坂井泉水はなぜ「赤い果実」ではなく「朱い果実」と書いたのでしょう。
「赤色」よりも「朱色」は鮮やかな「黄色味がかった赤」。
その後に続く「私のことを思い出してください」というフレーズから考えて「赤」よりも鮮明で記憶に残る「朱」を選んだのかも知れませんね。
坂井泉水の歌詞へのこだわり
永遠 歌詞 「ZARD」
https://utaten.com/lyric/ja00002259
ドラマ『失楽園』で不倫に溺れた主人公の二人は、最後に服毒自殺を果たします。
このフレーズは、意識が薄れ死へと向かっていく二人の姿を表現しているのではないでしょか。
永遠 歌詞 「ZARD」
https://utaten.com/lyric/ja00002259
坂井泉水の歌詞は、読んで見て初めて気づかされることが多いような気がします。
この歌詞の「くに」という言葉も、歌を聞いているだけでは「国」と思ってしいまいがちですが、実は「楽園」なんですね。
坂井泉水が二人が向かう場所を「楽園」とした理由は、不倫をされた側から見ると二人は「地獄」へと向かってほしいと願うはずですが、愛し合う二人からすれば、死によって誰にも邪魔されない二人だけの「楽園」に行けるからでしょう。
17世紀の詩人ジョン・ミルトンは、叙事詩『失楽園』の中で「地獄を天国となすも、天国を地獄となすも心しだい」と書いています。
坂井泉水の歌詞にもこの言葉に通じるものを感じますね。
坂井泉水が大切にしたもの
永遠 歌詞 「ZARD」
https://utaten.com/lyric/ja00002259
曲中で繰り返されるサビのフレーズで、この部分だけがカギ括弧で強調されています。
前後のフレーズから考えると、許されない恋の相手がふと呟いた疑問の答えを、頭の中で考え続けているようなイメージが湧いてきますね。
カギ括弧で表すことで、言葉にリアリティを持たせているような気がします。
また、思いついた言葉を常に書き留めていた坂井泉水にとって、この言葉は特別な存在だったのかも知れません。
感受性豊かだった坂井泉水自身も“永遠とはなんだろう”と常に自問自答していたのではないでしょうか。
「永遠」で蘇る坂井泉水
永遠 歌詞 「ZARD」
https://utaten.com/lyric/ja00002259
この曲はもともとCMサイズの『Fallin' of the Rain』がキャノンのCMでオンエアされていました。
それから改作され『永遠』バージョンが『失楽園』の主題歌に起用。
1970年代のアメリカンロックを彷彿とさせるサウンドは、ZARDの曲の中では珍しいタイプ。

永遠 歌詞 「ZARD」
https://utaten.com/lyric/ja00002259
間奏で鳴り響くギターとゴスペルは、この曲をクライマックスへと感動的に導いていきます。
今「この門をくぐり抜けると」というフレーズを聴くと、楽園への門をくぐる坂井泉水の姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
「永遠」とは時間を超えて存在するもの。それは肉体が滅んでも残る、その人の生前の「想い」のような気がします。
坂井泉水と私たちの間には、彼女が綴った言葉という想いが、永遠に存在し続けるでしょう。

TEXT 岡倉綾子

アーティスト

UtaTen

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