首振りDolls × 鮎川誠(シーナ&ロケッツ)鼎談

首振りDolls × 鮎川誠(シーナ&ロケッツ)鼎談

首振りDolls、憧れの鮎川 誠と鼎談!
ジョニーとナオが感銘を受けた
ロックレジェンドの
最高にカッコイイ生き方とは

「俺たちをみつけてくれたんね。ありがとう」
憧れが溢れ返り、緊張からの体の硬直と震えが止まらなかったジョニー・ダイアモンド(首振りDolls・Gu)に、鮎川 誠がかけた第一声は、どこまでも優しく、あたたかな言葉だった。

ジョニーが自らのギターバイブルとし、今もその音を自身の基盤にしているとして1位に掲げる1975年にリリースされたサンハウスの1stアルバム『有頂天』は、鮎川がシーナ&ロケッツ結成前にギターを務めていたバンドである。ジョニーが愛して止まないそのサウンドは、鮎川が今から45年も前に生み出したものであるが、現在もその音は錆びることを知らず、輝きを増し続けながらロックシーンを牽引し続けている。

日本のロックシーンの先駆者・鮎川 誠に対し、“ギタリスト対談”というにはあまりにも分不相応であり、先輩と呼ぶにも烏滸がましいのだが、鮎川は、シーナ発信で地元(北九州・若松出身)に立ち上がった高塔山ジャムで、同じステージに立った経験があるという同郷の首振りDollsの音を、“最高にカッコイイロックよね。バンド名もNew York Dollsみたいでカッコいいし。すごくいいね”と評価しながら、ロックへの憧れに目を輝かすジョニーと、後半からインタビューに参加したナオ(首振りDolls・Vo&Dr)に終始目線を合わせ、自らが歩んで来たロック人生とロック・スピリットを語ってくれた。

ジョニーとナオが感銘を受けた、ロックに選ばれた男・“ロックレジェンド鮎川誠”の最高にカッコイイ生き方とはーー?

バンドは1番音が大事やけね。
俺たちは音に魅せられて
バンドマンになったんやから

首振りDolls × 鮎川誠(シーナ&ロケッツ)鼎談

首振りDolls × 鮎川誠(シーナ&ロケッツ)鼎談

――ジョニーにとって、鮎川さんは、日本のギタリスト界の神であり、尊敬して止まない憧れの存在ということで、極度の緊張状態にありますが、どうぞよろしくお願いします。
ジョニー:よろしくお願いします!
鮎川:こちらこそ、よろしくお願いします。
ジョニー:【ギタリスト対談】というにはあまりにもおこがまし過ぎるので、とにかく、“好き”という想いをお伝え出来たらと……。『ギター・マガジン』(リットーミュージック刊)7月号の特集『完全保存版・ニッポンの偉大なギター名盤100』でもサンハウスの1stアルバム『有頂天』を1位に上げていたほどのリスペクトなんです。
鮎川:それはどうもありがとう。嬉しいよ。
ジョニー:いや、もう、そんな! こちらこそ、本当に尊敬してます! ハタチくらいから、はい……はい(緊張マックス状態のジョニー)。
鮎川:俺たちをみつけてくれたんね。みつけてくれてありがとう。
ジョニー:はい! 地元が北九州なので。
鮎川:そうやね。北九州の人達は、サンハウスとかシナロケ(シーナ&ロケッツ)をよく聴いてくれるよね。もう何回目かいね? シーナの地元の北九州・若松の高塔山ジャム(北九州・若松出身のシーナの「高塔山でロックがしたい」という一言から、2004年に始まったロック・フェス。現・高塔山ロックフェス)。20年前くらいに、“ここでロックフェスやりたいね”ってみんなで言うてたら、それがすぐに実現したんよね。
ジョニー:3回くらいご一緒させて頂いて。
鮎川:うん、知っとるよ。シーナがまだおるとき、一緒にしたよね。
ジョニー:あのとき、アンコールで一緒のステージに立たせて頂いたんです。鮎川さんの後ろで。
鮎川:ギター弾きよった?
ジョニー:いやいや、鮎川さんがギターを弾かれているのを後ろから見てました! アンプの前に居ました!
鮎川:そうね。あのアンプ、もう40年くらい働きよるけね。すごいよね。
ジョニー:最高に音がカッコいいです! 憧れの音です。
鮎川:そう。ものすごくいいんよ。
ジョニー:あのとき、たしか、アンプのツマミが全部10だったんです!
鮎川:うんうん。10はね、ロックを始めるときの基本なんよ。俺が17か18の頃、いや、もう19になっとったかね? 本を読んで、ジェフ・ベックが、アンプはこげんするとかさ、デヴィッド・ギルモアのアンプの使い方だとかさ、マイク・ブルームフィールドは、ベースは0にして、トレブルだけ10にするとか、全部インタビューで読んで、その通りに云い伝えというか、言伝よ。でも、マーシャルは2でもものすご良い音なんよ。2から10まではあんまり変わらんのよ。
ジョニー:はい。急に音がデカくなりますよね。
鮎川:そう。ちょうど2.5くらいでやってくるんよ。そんときはもう裸のギターの音がする。カリカリしてね。その後はずっと圧縮されたような、リミッターがかかったようなディストーションやけ。昔、ロックンロールをラジオで聴きよった頃には、放送局でリミッターをかけるから、そやけんワッフワッフワッフちゅうビートがくる。マーシャルがカッコイイのはディストーションやけ。俺は他のアンプは、そんなには知らんけど。
ジョニー:じゃあ、ずっとあのアンプなんですか?
鮎川:そう。ずっとあのアンプ。1987。昔、ラモーンズと対バンしたときに俺は国産で新品の50ワットくらいのアンプやったけど、ラモーンズはマーシャルで。全然音が違って、悔しくてね。それから新品のマーシャルを買ったんだけど、それは今サブで、メインで使っとるのは、知り合いが勧めてくれた古いマーシャル。それは本当に音が全然違って。音を出した瞬間に“これ買う!”ってなったくらい衝撃やって。「ピンナップ・ベイビー・ブルース」をそれで弾いたら全然違った。お気に入りの音やけ。やっぱりバンドは1番音が大事やけね。俺たちは音に魅せられてバンドマンになったんやから。

ジョニー:本当にそうですね! 最高の話ですね。いいなぁ、俺もそういうアンプに出逢いたいです! レスポールカスタムと一緒にですか?
鮎川:うん。そう。いい音出しよるんを聴いて欲しい。毎回ライブちゅうのはさ、“やろう!”って、心では思いよるし、口でも言いよるけど、とにかく、このアンプを使って、このギターを弾くことが出来てただただ幸せやけんね。1回でも多くステージで音を出したい。
ジョニー:分かります! 音出してるときって、最高ですよね! もう、それだけでいいっていうか。鮎川さんがギターを始めたキッカケって何だったんですか?
鮎川:ものすごく遡るけど、10歳のときに、母親に“ギター買うて!”って、ねだってプレゼントしてもらったのが、最初。楽器屋さんに行って、1番か2番目に安かったギターを買ってもらったんよ。箱ギターで、鉄の弦が張ってあるやつ。
ジョニー:ガットギターですか?
鮎川:ガットギターの形をしてるんだけど、弦は鉄なんよ。スチールギターになるのかな? それと教則本を一緒に買ってもらったんよ。(弦が)1個だけの音だとちょっと頼りない感じなんやけど、2個の音が一緒に鳴るとすごくいいんよ。初めてギターを弾いたときのあの感覚は忘れられんよね。教則本を見ながら最初に弾いたのは、「シューベルトの子守唄」やったんやけど、それが弾きたかった訳じゃなかったから、なかなか上手く弾けなくて、結局そのまま放ったらかしにしてしまって。それから3年くらい経って、中学生になったときに、リトル・リチャードとかレイ・チャールズのレコードを、学校から帰って来て毎日聴いていて。リトル・リチャードの「Lucille」を聴いて、ギターを手に取って頭の中でループしている音を聴き真似で弾いてみたんよね。手を慣らす為にそればっかり弾いてた。それが1番最初。そのうちザ・ベンチャーズが流行りだして、エレキギターを持っとるクラスメイトが出てきはじめて。ギターの名人が俺の地元だった久留米の街にもたくさん出てきはじめた。それは高校になってからやったけど、いろんな人のところにギターを聴きに行かせてもらっとった。ザ・ビートルズを聴いたのがキッカケになってのめり込んで。アニマルズやローリング・ストーンズにも夢中になった。1964年にラジオでロック革命が始まったんよ。もうみんな、【自分がやるロック】になっていったんよ。人に雇われて“あーしろ、こう弾け”って言われとったバンドマンが、ザ・ビートルズのおかげで、周りから指図されんでもロックが出来る時代が始まった。ローリング・ストーンズは、それをもっと分かりやすくしていった。ジミー・リードの曲を歌詞を変えてエレキ用にチューニングアップして試してた。ブライアン・ジョーンズが、みんなに“こう弾いたらいいよ”って教えてた。初期のカヴァーアルバムなんてバイブルだよ。ブルースから生まれたロックのお手本。俺らはそれを聴いたんよ。高校3年のときにザ・ビートルズが日本に来てね。そのとき、板付空港(福岡空港)に不時着するっていう噂が流れたから、バイク飛ばして板付空港まで行ったんよ。夜のガラーンとした空港に、不時着の噂を信じた俺みたいな奴らが何人かおった(笑)。ザ・ビートルズの武道館ライブはテレビでも放送されたんやけど、1曲目にジョン・レノンがチャック・ベリーの「ロックンロール・ミュージック」を歌ったんよ。そのとき、3人がお客さんに背を向けて、おもむろにチューニングをしてたかと思ったら、誰も合図せんのに、3人がクルッと正面向いた瞬間に曲が始まって。そのときの感動は今も忘れんね。
ジョニー:最高の瞬間ですね!

鮎川:そう。それを見てた俺とは違う高校の奴らがバンドを組んどって、俺、そのバンドに誘われたんよ。ある日、本屋で立ち読みしとったら、“まこっちゃん! 見に来んね!”って、そいつらが練習しとった農家の納屋に連れて行かれて、“弾けるやろ”ってギター渡されて。“「デイ・トリッパー」知っとるやろ?”って言われて。
ジョニー:それが最初のバンドですか?
鮎川:そう。名前もよく知らん奴らとね。お互いのことは知らんのに、みんなザ・ビートルズだけは知っとった。さっきまで本屋で立ち読みしとった俺が、ザ・ビートルズの曲弾いてバンド組んどる!?っていう不思議。
ジョニー:すごいですね。音楽の力を感じるというか。
鮎川:そうね。それから1ヶ月後にある『サマービート』に申し込んだら当たって出られることが決まったけ、みんなで一生懸命に練習しよって。それが俺のバンドマンの始まり。
ジョニー:すごいキッカケですね。最初に使ったエレキギターってなんだったんですか?
鮎川:最初に買ってもらった鉄の弦のギターは恥ずかしくて何処にも持って行かれんかったけ、高校1年のときにテスコのT65っていうやつやった。アコースティックになったエレキギター。
ジョニー:フルアコですか?
鮎川:いや、フルアコではない。薄いやつ。グレッチみたいな指板がついてて、2マイクで、1カッタウェイ。友達から買うたんよ。高校生やし、お金なんてないから、修学旅行用に積み立ててたお金を先生に言って解約して、5、6万返してもらって、そのお金で買うた。4,500円くらいでね。それが俺の初めてのエレキギター。すごく気に入っとったんやけど、その時代はザ・ベンチャーズが流行っとった時代やけ、みんなは音がキャンキャンいうソリッドギターを持っとった。いろんなギターがあったよ、あの頃は。日本も活気があって、業界がいろいろと試してた。ヤマハもいいギター作ってたし、グヤトーンやテスコは手頃なギターをたくさん出していたし、モーリーやボイスフロンティア、ちょっとそこより遅く出たのは、ファーストマンやハニーっていう、本当にいろんなギターが出てきた。俺の最初のテスコのエレキギターは安モンやったから、あんまり良い音が出なくて。友達から借りた3マイクのグヤトーンのギターを使いよった。型番はなんやったかな? 忘れたけど。

ジョニー:何色だったんですか?
鮎川:ピンク色。
ジョニー:ピンク!?
鮎川:そう。ピンク色やった。いいねぇ、ギターの話は楽しいね。ギターの話やったらなんぼでも出来る(笑)。
ジョニー:はい! めちゃくちゃ楽しいです!
鮎川:楽しいね(笑)。

OKMusic編集部

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