大森靖子 世の中の“当たり前”に懐
疑的な視点を加える“超歌手”が、新
曲「シンガーソングライター」で投げ
かけるものとは

大森靖子の歌は、聴き手に疑問を投げかける。世間が決める“かわいい”の価値観は本当に正しいのか、生きるとは、どういうことなのか、音楽は万能なのか。世の中の“当たり前”に懐疑的な視点を加えることで発せられる、その鋭い言葉たちは、ときに聴き手の心を強く揺さぶる。7月29日にリリースされる配信シングル「シンガーソングライター」もまた、そういう楽曲だ。自ら“超歌手”を名乗る大森靖子が、なぜ、このタイトルを掲げたのか。その奥には、音楽を表現する者としての大森靖子の矜持がある。以下のインタビューでは、そんな最新曲「シンガーソングライター」を掘り下げると同時に、コロナ渦に「ハンドメイドホーム6」と題した6大企画を掲げて積極的な活動を見せる意図、また、今冬リリース予定のアルバム『Kintsugi』の構想についても、いち早く訊いた。
ダメな日はダメな日のまま、ダメなりの美しさが見えることに意味がある。 “こんな、ダメという美しい日にしたよ”っていうのが、自分が作りたいものだと思ってます。
――コロナ渦の大森さんの動きを見ていると、“こんなときだからこそ”感が、あんまりない気がするんですよ。できるだけ、いままでと同じように音楽を届けることに集中してるというか。
うんうん。
――この時期にアーティスト活動をするうえで、意識していることはありますか?
いちばん気をつけていたのは、“家にいよう”とか、そういう言葉を使わないことですね。あと、バトン系はすべて断るっていう。バトンのカルチャーって、私の高校時代にも流行ったんですよ。そのときに、疎外されてるみたいな感じがあったりして。
――自分にバトンが回ってこないと、仲間外れにされているような?
そう。コミュニティーができることで、そこに入れない誰かしらが絶対に生まれてしまうものじゃないですか。そこにほしい情報も特にないし。そのときから、いらない文化だなって思ってました。それをSNSでやるのは、人間関係の見せ方として下品だなって思っちゃうんです。本当につながりたいのって、アーティストとファンとか、それを見ている側の人だと思うんです。
――ええ。
だから、こういうとき、見ている側の一人ひとりにアプローチしていくものって、難しいなと思いましたね。たとえば、“医療従事者の方、ありがとうございます”って言ったら、“医療従事者の方以外が見ちゃいけない動画”みたいに感じちゃう人もいるかもしれないし。
――わかります。
配信する側にも、“こう見えたい”っていう意図が生まれてしまう気がするんです。だから、そういうものを剥ぎとって、ただ、歌を歌うだけの、いつもどおりの人として自分がいられたら、受け取る人も、いつもどおり音楽を楽しんでくれる。そこに意味を見出したい、みたいなところはありました。それで、毎日淡々とTwitterに歌を上げ続けたんですよ。毎日、違う洋服を着て、違うメイクをしてっていうのを、毎日作っていく。日々を生きていくって“こういう感覚だよ”っていうのを見せる、ドキュメンタリーチックなものをやりたかったんです。
――なるほど。腑に落ちました。
もちろん、それをする人(バトンをまわしたり、医療従事者へのメッセージを発する人)を否定するわけじゃなくて、自分のアプローチはそれではないなっていうことですね。
――いま話に出たTwitterの「おやすみ弾語り」は、4月から7月11日まで、100日間やり続けましたね。はじめたきっかけは何だったんですか?
ライブができない現状だから、ライブじゃない伝え方をしなきゃいけない。代わりを作るっていう感じでしたね。単純に。
――毎日、やり続けるのは大変じゃなかったですか?
いや、楽しかったです。ミュージックビデオを作ってない曲って、存在すら知られていなかったりするんですよ。自分のリリースペースも速いし、ライブでやってない曲もあったりするし。ゆっくり曲を噛み砕く時間がなさすぎたなっていうのは反省点だったので、いい機会になったと思います。
――その日に歌う曲は、どういう基準で決めていたんですか?
気分ですね。先に服を着て、この服ならこの曲かな、とかもあるし。一応、100日で終わってますけど、まだ曲がいっぱいあるから、気が向いたらまたやりたいです。
――見てくれた方の反応とかもチェックしていましたか?
はい。毎日、新しい褒め方をしてくれて、うれしかったですね(笑)。
――人に会えない状況が続くなかで、たとえ画面越しでも、毎日、自分の姿を見せることで、それを見る人にとっての希望になれば、という想いはありましたか?
うーん……人が生きている温度を伝えることって、いいことばっかりじゃないと思うんです。自分以外の人に対して害を与えるってことが、人が生きてるっていうことだと思うんですね。
――「シンガーソングライター」の歌詞にも、《生きてるだけで 加害者だってわかった》というフレーズが出てきます。
そうなんです。その温度ごと伝えたいみたいなものはありました。“なんか今日は受け入れられない”って思われる日もあるかもしれないけど、それぐらいでいい。それが自分の活動でやりたいことなんです。自分が生きてることを見せることで、その相手も、“生きていいんだ”って思えるような活動をしたいから。いろいろな温度を画面から出したかったんです。
――だからこそ1日じゃなくて、100日間やり続けることに意味があったんですね。
ダメな日は、ダメな日のまま、ダメなりの美しさが見えることに意味があるんですよね。ダメな気持ちを無理矢理なかったことにして、“笑顔で人と話しましょう”じゃなくて、“こんな、ダメという美しい日にしたよ”っていうのが、自分が作りたいものだと思ってます。
――その「おやすみ弾語り」を含めて、新たな6大企画「ハンドメイドホーム6」が新たに発表されました。Webラジオ『ミッドナイト清純異性交遊ラジオ』の復活、『プレイバック・ラストイヤーライブ』と題した、去年の47都道府県ツアーにオーディオコメンタリーを付けた実況配信、オンラインFCイベント『続・実験室』と、この取材の時点ではやってないですけど、配信生ライブも決まってます。
主に配信系ですね。
――このあたりは、どういう想いで始めたんですか?
いままでやりたかったけど、やれなかったものをやってみる、プラス、これって、配信でやったらどうなるんだろう?っていう実験ですね。配信ライブは好きなんですけど、“無観客配信ライブ”っていう言い方が、あんまり好きじゃなくて。ちゃんと画面の向こうに観客がいるのが配信ライブじゃないですか。だから、“配信してる相手に対して歌ってる”っていうイメージをちゃんと持っていたくて。とか、1個ずつ丁寧に考えてやっていきたいと思ってます。
――最近は、いろいろな配信サービスを使ったオンラインライブも増えてますけど、実際に同じ空間を共有できないぶん、試行錯誤が必要になってますよね。
自分がやってきたライブは、自分にしかできないから、それを、どういう視点で見せたら、いちばん届くのかって考え直す作業は、やっぱりしなきゃいけないですね。スタッフも同じじゃできないですし。いま、韓国で流行ってるライブのシステムが気になっているんですよ。モニターを使うことで、お客さんの声援が入るんです。自分の部屋で“わー!”って言ったら、リアルタイムで反映されて、お客さんが本当に参加しているみたいに映像が出る。あれはやってみたいですね。
――すごいですね。やはりライブをやるうえで、お客さんの反応は不可欠ですか?
ライブって、相手ひとりに対して、説明していくものじゃないですか。“自分はこういう人間で、あなたはどういう人間ですか?”“ここは一緒ですね”って、そういう会話をしているだけだから、一方的に押し付けるみたいなのは好きになれないんです。押しつけるほど崇高な人生を生きてきたわけでもないし。“今日、調子どう?”みたいな会話から始めたいんですよね。
――大森さんほど歌に強い訴求力があって、常に1対1で会話をするような音楽の届け方であれば、むしろ配信でも変わらずに伝えられる、と捉えることもできませんか?
うーん……でも、やっぱり空間共有は必要ですね。その人が醸し出すオーラとか、それに対するレスポンスが遅れるっていうのもあるし。その差を想像力で埋められるっていうのは思ってるけど、やっぱりお客さんの前でライブをできたほうが早いなって思っちゃいますよね。できれば、それがいちばんいいと思うけど、そのうえで配信の良さを探していきたいです。
――いまはまだ音楽シーンは、お客さんを入れたライブは厳しい状況ですし、完全ではないですけど、少しずつポジティブな意味を見出そうとする動きが出てきたじゃないですか。コロナ自粛の早い段階から、すぐに新しい動きを摸索していた大森さんとしては、どう感じていますか?
私の場合、みんなが元気がないと、すごく元気なんですよ。だから、自粛期間の最初のほうは、“家にいれる、やったー! 最高!”みたいな感じだったんですけど、最近、ちょっと疲れてきちゃいました。みんなが活動的になったら“もう嫌だー”みたいな(笑)。
――天邪鬼ですね(笑)。
地球のバランスとして、こういう人が生まれてきてるんだと思うんです。みんなが同じになって、傾いていって、危ないことにならないように、常に反対側に行こうとするタイプの人が生まれてきちゃったんだなと思ってるから。これは神様の仕業だなって思ってます(笑)。
――ははは、だからこそ歌えることがあると。
そうですよね。
“人に刺していくぞ”って書く曲は下品だなと思っちゃう。そういう曲ができたら、もうちょっとエンタメチックな売れ方ができるのかなと思うけど(笑)。
――では、ここからは最新曲「シンガーソングライター」のことを聞かせてください。これは、いつ頃から作っていたんですか?
作り出したのは、去年ツアーをやりながらですね。ツアー中に断片的に歌ったりもしてました。いままでは、“CDを出すために曲を作らなきゃ”みたいな感じだったんです。まず、コンセプトを作って、あと何曲こういう曲が必要で、みたいなことを考えて作っていたんですけど、もっと自然に歌が生まれたら、いちばんいいなと思って。意図的に、旅をしながら歌を作っていたんです。
――ツアーには、他にもたくさん曲を作っていたんですか?
そうです。それを最近まとめていってる感じですね。
――作品のために作るのと、自然に生まれたものでは、明確に違いが出るものですか?
違いますね。結局、曲を作るって、まとめ作業なんですよ。このことを伝えるためには、こういう音階、こういう曲名にして、こういう言葉を使ったら伝わりやすいよねっていうのを、まとめる作業でしかないので。そのまとめをこまめにやっていく。毎日こまめに日記を書いていく感じですかね。夏休みが終わってから、一気にまとめて書くんじゃなくて。
――わかりやすいです。いま、そういう作り方が必要だと思った理由はあるんですか?
ライブで曲を育てるのが、ロックバンド、バンドマンとしてしかるべき、みたいなのがあるんですよね。フェスに出たいからこういう曲を作る、じゃなくて、“新曲、生まれました”みたいなことをライブで言い出して、ライブで育てていく。本当はそうあるべきじゃん、っていう感じです。
――歌の内容としては、音楽を表現する人の思想を詰め込んだものだと思ったんですけど。
みんな、歌を聴いたときに“この歌は、私のことを歌ってる”って思うのは好きだけど、本当に自分のことを歌ってるような歌は好きじゃないじゃんって思うんですよ。だから、自分のことを本当に書いたらどうなるんだろう? みたいな気持ちで書き始めたんです。
――たしかに、リスナーとして音楽を聴くときに、“あ、この曲は自分のことを歌ってくれてるような気がする”って受け止めるときはあるし、それが歌を好きになるきっかけだったりもします。
うんうん。みんな、好きなのは自分だったり、自分のなかの神様だったりして、それが、すごく良いことだって思ってますからね。でも、それは、そこで完結してるべきだと思うんです。私が投げかけられるのは、私が身を剥がして作り上げた曲という媒体でしかないわけですから。でも、その曲を受け取ってくれる人のなかには、その曲と自分に一致しない情報が入ったときに、“裏切られた”って感じてしまうことがあって。
――勝手に“アーティスト性が変わった”と受け取られる場合もある。
そう。でも、私は裏切ったわけじゃないしな、と思うんですよ。そういう私の本当の気持ちを歌ったら、どうなるんだろう?って、ずっと思っていたんです。
――それを表しているのが、《お前に刺さる歌なんか、絶対に書かない》というフレーズですね。
やっぱり“人に刺していくぞ”って書く曲は、下品だなと思っちゃうんですよね。自分はそういうのは、あんまりしてきたつもりはないので。“まだこの世で歌われていないことを、丁寧に表現する”っていうことにしか、楽しみを見出せていないんです。“これなら人に刺さるっしょ”っていう曲ができたら、もうちょっとエンタメチックな売れ方ができるのかなと思うけど(笑)。残念ながら、そこにカタルシスを覚えられる性質をもっていない。シンガーソングライターできてないんです。
――だから、自分を“超歌手”と名乗っているわけで。
タイトルは反語ですね。
――音楽に対して潔癖なところがありますよね、大森さんって。
めちゃくちゃありますね。たとえば、炎上とか、いろいろな問題があったときに、“そういうのは歌で返せばいいじゃん”って言われたりするんですよ。でも、音楽を汚したくないからその外で言ってるんだよ、みたいなのはある。音楽を汚されてたまるか、みたいなことを思ってしまうんです。
――この歌には、《STOP THE MUSIC》と繰り返すフレーズもあって。“音楽を止めるな”であればわかりやすいけど、ミュージシャンが“音楽を止めろ”と歌うのは考えさせられます。
そう、悩んでほしいんですよ。“そうだ、そうだ、これは私の歌だ”って、武器にするのは危ないと思うから。言いたいのは、“ちゃんと考えて”っていうことですね。
――ちなみに、Twitterで歌われている「シンガーソングライター」は歌詞が違うじゃないですか。もうちょっと過激な内容で……。
やっぱりラジオに乗りたいですから(笑)。
――そういうとき、どうやって折り合いを付けるんですか? 本当はこっちを歌いたいけど、パブリックなものにするには、こっちを選ばなきゃいけない、みたいな葛藤はあります?
うーん……迷うけど、別のかたちでいい作品になればいいっていうだけですね。
――サウンドのアレンジにも触れると、夜明けのような透明感があって、とても美しい曲だなと思いました。アレンジャーの鈴木大記さんに何かイメージを伝えたんですか?
音はアレンジャーにお任せしますね。ただ、ミュージックビデオを作るときに、メイクさんに、“圧のあるイノセント感でお願いします”って伝えたんです。“圧”と“イノセント”って、逆のイメージだと思うんだけど、うまく仕上げてくれて。“この女性、透明感があるよね”みたいな表現が、主体性がないっていう意味につながるのはおかしいと思うんですよ。だから、透明感がありながら、圧をもって堂々と立っていたい、みたいなことはテーマだったと思います。
――アレンジのイメージがミュージックビデオにも波及していったわけですね。
そういうイメージは、次のアルバム全体にあるかもしれないですね。
――冬にリリース予定のアルバムですよね。
そうです。こっちは経験したことをすべて美しく見せていくことが、絶対にイノセントにつながるはずだって思ってるけど、“汚れたら、終わりだ”とか、そういう方向にもっていきがちだなって感じるんです。1個ネガティブなことがあったら、その人間ごと否定するっていう風潮が、あんまり好きじゃなくて。それを全部美しくもっていけるように見せるのが人間の力だよ、汚れたからイノセントじゃない、みたいなのはおかしいっていうのを表現したいんですよね。
――それは、すでに発表されているアルバムに掲げた『kintsugi』というタイトルにも表れていそうですね。金継ぎっていうのは、壊れた器を修理する伝統的な技法のことだそうで。
人間は、壊れれば壊れるほど、美しくなっていくっていうのを、今回のアルバムでは表現していきたいなって思っているんです。……あとは、世界に行こうかな、みたいな。ジャパニーズカルチャーをタイトルにして、世界の人にわかりやすく届けたいっていう気持ちもあります。でも、私の歌詞は日本語だから、どうなるかな?って思うんですけど。
――海外のJ-POPファンのなかには、日本語を勉強して聴いてくれるリスナーも多いみたいですし、大森さんの歌が日本語詞のまま世界に届いたらおもしろいなと思います。
私の歌って、日本人の感覚をちゃんと歌っているから、歌詞を読めば、日本人の女の子のことが大体わかるのにって思うんですよ。音楽的にも、誰にでも届くものしか作ってないし。ただ、言葉の問題はありますよね。私は、反語がすごく好きなんです。“何々であろうか、いや、ない”っていうもの。すべての物事に向き合う姿勢は、そうじゃなきゃいけないと思うんですよ。っていうのが、どれぐらい他の言語であるんだろうか? っていうのは、いま悩んでるところですね。
――アルバムの制作はどれぐらい進んでいるんですか?
曲はほぼ全部仕上がっていて。ボーカルは、あと1曲ですね。
――あ、もうかなり進んでいるんですね。
でも、気が変わりそう(笑)。いままで、リリースまでにこんなに時間があることがなかったから。さらに次のアルバムのことまで考えはじめちゃってるし。
――ははは。大森さんらしい。とりあえず、『kintsugi』は、いままでに表現したことのないものになりそうですか?
内容は酷いことになってますよ(笑)。もう人に“酷い”って言われることしか歌わないって決めたので。でも、下品にはなり切れない。っていうところを楽しんでもらいたいですね。
取材・文=秦 理絵

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