「人類の知性の讃歌」ともいえる深作
版 東京二期会オペラ劇場、ベートー
ヴェン生誕250周年記念公演『フィデ
リオ』が開幕へ

2020年9月3日(木)に初日を迎える、東京二期会オペラ劇場のベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』。最終通しリハーサル(GP)が9月1日(火)、東京・初台の新国立劇場オペラパレスで行われた。
4月の緊急事態宣言から、宣言解除後も数々のコンサート、オペラ、舞台がキャンセルを余儀なくされたこの数か月。今回、『フィデリオ』 が上演される新国立劇場も例外ではなかった。オペラ公演に関しては、今回の『フィデリオ』 が、コロナ禍においての初めての大規模公演だという。
しかも、今年はベートーヴェン生誕250年というアニバーサリーイヤー。『フィデリオ』 という作品が、歴史的な節目や重要な出来事に際して、祝祭的な意味合いをともなって上演されてきたという歴史を考えると、いやがうえにも期待が高まる。この楽聖が生みだした唯一のオペラ作品の上演が実現することによって、ようやくベートーヴェン・イヤーであることを実感できると感じているのは筆者だけではないだろう。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
今回の 『フィデリオ』 には、さらに大きな話題がつきまとう。一つは、数年前から東京二期会との蜜月ぶりを見せつけている映画監督の深作健太が演出を手がけること。そして、昨年の段階から予定されていた指揮者ダン・エッティンガーに代わり (残念ながら、コロナ禍において来日が困難との理由による)、大植英次が急遽、代役を務めることになったというニュースだ。大植とベートーヴェン、そして、『フィデリオ』 と来れば、それだけでエキサイティングな舞台を期待するファンも多いことだろう。
9月1日(火)のGPは、初日3日(木)と5日(土)に歌うA組のキャストによるもの。4日(金)と6日(日)は別のB組のキャストが組まれている。A組、B組ともに2018年の東京二期会✕深作健太によるワーグナー『ローエングリン』で大活躍を見せたお馴染みの歌い手も多く、もはや東京二期会における “深作組” が存在するかのような感もある。他の団体や組織では、なかなか実現不可能なだけに、オペラ団体としての東京二期会の懐の深さと底力が感じられる。
深作✕東京二期会による2015年『ダナエの愛』、2018年の『ローエングリン』 に続く三作目。これから本公演を楽しみにしている読者も多いと思うので、詳細に触れるつもりはないが、少しだけ、今回のプロダクションについてエッセンスをお伝えしよう。
深作健太はオペラをこよなく愛し、その本質を充分に理解しつつも、古典的なオペラの演出手法や常識にはとらわれない演出家だ。作品の本質やテーマを、現代人の感性と記憶、そして、脳裏に焼き付ける。いや、客席の聴衆を、その思考回路の中に巻き込まずにはいられない独自の知的な手法を用いることでも知られる。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
今回のプロダクションでも、それらの要素がいかんなく踏襲されていた。特にプロジェクションマッピングや映像とともに語り継がれる詞の塊や文脈などを通して、見ている側を能動的にストーリーにコミットさせていく手法だ。
もう一つの常套手段として、時間軸を自由自在に操り、作品の持つテーマの普遍性を明確にあぶり出す。そして、聴衆の身近なところへとフォーカスを置き換えてゆくことが実に巧みだ。
今回の時間軸は、深作自身のトークなどでも明かされているように、「戦後75年の歩み」にフォーカスが置かれていた。では、我々、現代人の多くが、毎日どこかで耳にする「戦後75年」という身近な時間軸を持って、深作は聴衆に何を感じさせたかったのだろうか。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
そもそも、『フィデリオ』 のテーマとは、観る人それぞれによって、捉え方も違うかもしれないが、大多数が、「夫婦間の至高の愛」、「正義」、「勇気」、「希望」、「自由への解放」などを挙げるに違いない。今回のプロダクションでは、「自由=FREIHEIT」というテーマがしっかり文字で舞台上に何度も明示される。
実際、序曲が鳴り出す前に、舞台上に映像とともに詩的な数行の詞が投影され、その内容によって、これから作品を見るにあたっての “前提条件” が提示される。まさしく、深作版『フィデリオ』のストーリーが、戦後75年における 「人間の自由への闘い」であることが明示されるのだ。
――人は完全に自由ではない限り、夜ごと夢を見続けるだろう。この作品は戦後75年における人間と 「壁」 との闘いである――― と。
そして、下にうっすらと見える看板のようなもう一つの詞。
――Arbeit macht frei ? 人間は働けば自由になる? ――という、誰もが、どこかで一度は目にしたことがあるスローガン。そう、アウシュヴィッの強制収容所のスローガンだ。
牢獄=自由の束縛の象徴、アウシュヴィッツ。これが、ストーリー展開軸の原点。戦後75年の闘争がここから生み出される。政敵に疎まれ、政治犯に仕立て上げられ囚われの身となったフロレスタンが、この歴史上、最も非情で残酷な収容所にいることを暗示するシーンからすべてが始まる。
さて、それ以上は本番の舞台をご覧頂くとして、今回の深作のプロダクション全体を通して、何が、一番スゴイかを少し主観的だが説明してみたい。それは、元々の作品本来のストーリーと、深作の前提条件付き解釈を求める大胆な “読み替え” 演出の流れが、違和感なく巧みに融合しているということだ。
元々、『フィデリオ』 という作品は、ベートーヴェンが作品を書いた時代においては、「救出オペラ」といわれる、その時代に最ももてはやされたスタイルにのっとった作品だった。
女傑 (だいたい妻) が窮地に立たされた夫や愛する人を助けるために自らの身を投げ打って敵地に乗り込み、救出を企て、大成功。そして大団円――夫婦愛の崇高さを高らかに謡う――という、いかにも啓蒙思想的な内容のオペラだ。
深作は、かなり大胆なことを試みているようだが、実際、舞台上では、『フィデリオ』 という作品が持つこの古典的スタイル通りに(ほぼ)ストーリーを進ませているのだ。

東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
男装して夫フロレスタンを牢獄まで助けに行こうとするレオノーレ(変装して男の名、フィデリオと名乗る)。そんな男装した女性に恋する看守の娘マルツェリーネが描きだす、他愛もない結婚生活への希望や、いかにも、一昔前のドイツ婦人的な堅実で愛あふれる家庭への憧れを描いたシーン。それを後押しする牢獄の看守の父親 (ロッコ) とのやり取り……など、他愛もない日常の光景がそこにある。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
レオノーレが、罪なき罪のために幽閉された夫フロレスタンを救いに行くために切々と心情を歌い上げる長大なアリアもまた、愛する夫を持つ一人の女性のあるべき行動の一つのパターンなのだ。それは、ベートーヴェン自身が求め、描きだした理想の愛のかたち、そして、人間的な姿のありのままの描写に他ならない。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
しかし……、そこにつねに見え隠れする不穏な足音――それが、本編のストーリーにシンクロして暗示されるもう一つの世界、「戦後75年の呪縛」なのだ。戦争の記憶という呪いから逃れられず、自由を手に入れられない人々が夜ごと夢を見、さらなる “闘い” に突き進んでゆく、もう一つのストーリー――。

映像とともに引用される冷戦の当事者たちの詞は辛辣だ。その詞の数々が、ベートーヴェンの愛と希望と正義に満ちた音楽とともに、私たちの脳裏に刻まれ続ける。何という未知の体験だろうか。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより

東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
例えば、レオノーレとフロレスタンの再会と自由への希望が開かれ、一同が高揚する第一幕の幕切れ。しかし、一条の光は、最後の最後に、映像の中のある詞の暗示によって、観る者の脳裏では淡くも光を失いつつある……。辛辣にも、私たち、聴衆は、つねに自由や愛を求めながらも、歴史が犯してしまった罪の呪縛に囚われて生きているのだ――ということを、いやというほど感じさせられてしまうのだ。ベートーヴェンの音楽が描きだす高揚感とは裏腹に、伏線的に見えざる「壁」が織りなす世界は不穏な余韻を残したまま、一幕は閉じる。

東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより

東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより

第二幕は、空間軸をも超えて、牢獄のシチュエーションは、別の壁に覆われた世界へとワープしている。政治犯として罪なき罪を被せ、フロレスタンを囚われの身に追いやった首謀者ピツァロは、第一幕の姿のまま亡霊のようにフロレスタンの前に現れる。憎きフロレスタンに自ら止めの一矢を刺したかったのだ。しかし、そこに立ちはだかったのは……。
ところで、今さらだが、このプロダクションのもう一つのキーワードは「壁」だ。現在、私たちの生活を取り巻く最も新しい「壁」の存在……。この最も同時代的なモノこそが、グランドフィナーレで最高の視覚的演出を導きだす。どんな仕掛けかは、ぜひとも舞台をご覧いただきたい。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
ちなみに、冒頭の――働けば自由になる? ――というアウシュヴィッツ強制収容所のスローガンの最後に 「?」 が付いているのを見逃してはならない。
「働き方改革」が叫ばれる昨今、このコロナ禍において、自由になるための真の働き方を今一度見つめ直し、模索している方々も多い事だろう。そんな、時事的な思考をも暗示するパロディが作品中、随所に示唆されていて、観れば見るほど飽きないのがこのプロダクションだ。
例えば、他にも、「監視社会 (自粛警察??)」、「パワハラ」、そして、「女性の地位向上」etc……らしきものが暗示されており、この古典的なオペラがいかにどの時代においても社会性を持っているか、いかに普遍的な問題を導きだす凄まじいパワーを秘めているかをいやがうえにも感じさせてくれる。

東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
ところで、あまりの演出の巧みさに指揮者の大植英次とオーケストラ (東京フィルハーモニー交響楽団) の存在をついつい見逃してしまいそうだが、やはり、大植はスゴい。歌い手にとって困難極まりない詠唱や重唱の連続を見事にサポートし、時にはグイグイと引っ張っていた。

白眉は第二幕の展開の場面からグランドフィナーレにかけて。「自由」 というものを、ついつい知性で捉えてしまいがちな流れの中で、そこを計算し尽くしたかのように、バランスよく補っているのが大植の音楽だ。知的文脈で攻めるストーリー展開とは好対照に、直感的な感性で聴衆に訴えかける大植のダイナミックな感情の発露が、さらにこの「人類の知性の讃歌」ともいえる深作版 『フィデリオ』 を大いに格調高く価値づけたといえる。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
実は、今回のプロダクションでは、コロナ対策と「壁」というコンセプトの両方の意味合いを兼ねて、舞台上で紗幕が実に巧みに活用されているのだが、オーケストラピットと客席の間は、劇場側のコロナ対策の一環として、物理的に「壁(囲い)」が取り払われている!(最前列から三列目までの席は売り止め)。
なので、大植がこの大作を振る姿をオーケストラ・コンサートのようにつぶさに客席から眺めることができるのだ。その後ろ姿からもプロダクションに心から共感する大植の情熱的な姿が感じられ、ファンにはたまらない、絶好の機会だろう。
今回、主役のレオノーレ(変装してフィデリオ)を歌ったのは、2018年、日伊声楽コンコルソで第一位に輝いたソプラノの土屋優子。第一幕の超難関アリア「Komm, Hoffnung」を歌い切ったところから調子を上げ、夫を救う強い決意と意志が、その声と力強いテンペラメント(感情表現)に見事に表されていた。
ズボン役(女性が男装した際の役のこと)としての立ち姿も凛々しく、ヒロインとしての貫禄が十分にあり、相手役の大ベテラン、フロレスタン役の福井敬とのデュエット「Namelose Freude」は、救出に成功し、互いが愛を確かめ合う喜びが堰を切るようにあふれ出て、ドキッとさせられるほど美しかった。
フロレスタン役のプリウォーモ、テノールの福井敬は、押しも押されもせぬ存在感を見せつける。残念ながら、役柄ゆえにカッコいい二枚目の姿は見られないが、福井の人間性や歌い手としての人生そのものが、囚われの中にも、希望と光を見出すフロレスタンの高貴な姿にオーバーラップするかのようだった。
地下牢に救出に来た妻のレオノーレと看守のロッコ。フロレスタンは妻とは気付かずに、水やパンを与えくれる見知らぬ人に対し、極限の状態の中でも得高き言葉で相手を称える。「この二人は、神からの使いだ。きっと、より良き世界で報われましょう」と。この美しい言葉に福井の最も美しい声と音楽性が集約されているかのようだった。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
悪役ピツァロを歌った大沼徹も深作組の常連だが、演技も巧者で、もはや二期会のドイツレパートリーには欠かせないバリトンだ。この作品は、バリトン、バスのソリストが多くキャスティングされるのだが、ロッコを歌ったバスの妻屋秀和、ドン・フェルナンドの黒田博と名歌手が脇を固め、大植の音楽とともに、このプロダクションの重層的な厚みを存分に引き立てていた。
マルツェリーネ役の冨平安希子は、今年7月に上演予定でタイトルロールを歌うはずだったベルクの『ルル』が来年1月に延期となったばかりだが、この役で相変わらずの歌のうまさを聴かせてくれた。加えて、音楽無しのストレートのドイツ語の台詞も多いこの作品で、ドイツ人顔負けのディクションで度肝を抜かれた。さすがに、バイエルン国立歌劇場のオペラスタジオで研鑽を積み、ドイツ国内でもキャリア積んだ実力の持ち主だ。
そして、見えないところで、最高の歌声を聴かせてくれた人々がいる。合唱団だ。残念ながら、舞台上で大勢を並ばせるわけにはいかず、当初予定していた合唱の人員配置だけは変更を余儀なくされたということだが、舞台裏であっても、迫力ある声が舞台の推進力を大いに高めていた。
というのも、今回は二期会合唱団、新国立歌劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部と、日本の三大オペラ団体の生え抜きの合唱団の混成なのだ。夢のようなアンサンブルがこのコロナ禍第一号ともいえる栄えあるオペラ舞台で実現の運びとなったのだ。
東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演『フィデリオ』ゲネプロより
さらに9月4日(金)と6日(日)には、レオノーレ役にソプラノの木下美穂子、フロレスタン役にテノールの小原啓楼、ピツァロに友清 崇、ロッコにバスの山下浩司、ドン・フェルナンド役にバリトンの小森輝彦、マルツェリーネ役に愛もも胡がキャスティングされているB組で上演されるのも実に楽しみだ。まさに、『ローエングリン』 を彷彿とさせる深作組の本領と深淵をこちらの組でも聴かせて欲しい。
蝶々さんやヴェルディなど、イタリアものを得意とする木下がこのベートーヴェンの器楽的な音型をどのように料理するか楽しみだ。苦悩に満ちた破滅する男を描きだしたら右に出る者がいないテノール小原啓楼がフロレスタンをどう演じるか、絶対に見逃せない。
客席と舞台が一体化し、大植節で締めくくる最後のフィナーレの感動と高揚――。すべての呪縛から逃れる喜びの日を予言するかのように高らかに謳いあげる。このオペラ演奏史上に残る作品を絶対に見逃してはならない!
取材・文=朝岡久美子

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