松本白鸚「先は考えず舞台に命を」 
『十月大歌舞伎』取材会レポート

歌舞伎俳優の松本白鸚が、東京・歌舞伎座で10月2日(金)から27日(金)まで『十月大歌舞伎』に出演する。白鸚は第二部『双蝶々曲輪日記 角力場(ふたつちょうちょう くるわにっき すもうば)』で、濡髪長五郎(ぬれがみちょうごろう)を勤める。共演は、放駒長吉(はなれごまちょうきち)と山崎屋与五郎の二役を勤める中村勘九郎だ。公演に先駆けて、白鸚が合同取材会で意気込みを語った。
■舞台に命を。その先。
取材会の冒頭、白鸚は「まずお詫びしたいことがある」と切り出した。東日本大震災があった2011年、原子力エネルギーのあり方が活発に議論されていた時期の、自身の言葉についてだった。
「あの頃、私は『人間が一人生きていくエネルギーは、我々一人ひとりの心と体の中にあるように思う』と申し上げました。自分が、生身の体だけを頼りに舞台に立つ役者であるだけに、人間本来のエネルギーがあると信じずにはやれないと……大見得をきったんですね。しかしその考えは、(コロナ禍により)雲散霧消しました」。
『十月大歌舞伎』は、白鸚にとって2020年1月(『壽初春大歌舞伎』歌舞伎座)以来の歌舞伎の舞台となる。歌舞伎俳優は、鬘や衣裳は重量に耐えるだけの体力や、歌舞伎座の4階席まで台詞を届ける声量が求められる。78歳という年齢から「お恥ずかしい話ですが、自分はもう歌舞伎はできないかなと思う時期もあった」という。
しかし穏やかな口調で続ける。
松本白鸚 (c)松竹
「役者は芸をお見せするしかない。歌舞伎俳優は歌舞伎をやるしかない。今はそのような結論に至りました。ですから皆さん、どうぞ私に先のことを考えさせないでください。来月の舞台に命を懸けさせてください」
■白鸚の濡髪、勘九郎の放駒
『角力場』は、『双蝶々曲輪日記』全九段の物語のうち二段目にあたるエピソードだ。タイトルの「蝶々」には、関取の濡髪長五郎の“ちょう”と、素人相撲の若者、放駒長吉の“ちょう”がかかっている。
放駒を演じる勘九郎からは、役が決まってすぐに「ありがとうございます。一生懸命勤めます」と電話があった。
「勘九郎くんも(『十月大歌舞伎』第一部に出演する)七之助くんも、今や大スターですね。彼らの初舞台(1987年1月『門出二人桃太郎』)の時、私は家来の犬をやったんです(笑)。勘九郎くんの長男勘太郎くんと次男長三郎くんの初舞台(2017年2月『門出二人桃太郎』)では、息子の幸四郎が犬をやっています」。
さかのぼって十八代目勘三郎の初舞台(1959年4月『昔噺桃太郎』)には、初代白鸚が、お爺さん役で出演している。高麗屋と中村屋の縁を伺わせるエピソードで一同を笑いに包んだ。
■親父の濡髪は、大きかった
白鸚は、濡髪長五郎という人物を「人間関係や世の中の機微をよく分かった、優しい人」だと分析する。『角力場』への思いを問われてふり返ったのは、1960年1月に、初役で放駒を勤めたときのことだった。評論家の戸板康二氏が、新聞の劇評で白鸚(当時染五郎、17歳)を褒めた。初めて新聞の劇評に自分の名前が載って嬉しかったと、目を細める。
その時に、濡髪を演じたのは、父の初代白鸚(当時、八代目幸四郎)だった。
「父の濡髪は、大きかったですね。少し変に思われるかもしれませんが、我々は親子でありながら私的な交流や、私語はあまりありませんでした。父は、何度稽古してもダメだと言うばかりで、どこがどうダメかは教えてくれない。自分で勉強し、舞台を見て、先輩たちの間に入って。自分で学べという父が、そのままが出てきたような濡髪でした」
『双蝶々曲輪日記 角力場』濡髪長五郎=松本白鸚(H26.10国立劇場) (c)松竹
■最後は知恵、最後はセンス
江戸時代、庶民にとって相撲、芝居、茶屋は一大エンターテインメントであり、流行が生まれる場所でもあった。『双蝶々曲輪日記』には、これらの娯楽文化の粋が集まっている。白鸚は本作を「時代が生んだセンスの塊」であるとし、「今のご時世にこの作品を、どうしたら演じられるでしょうか。皆さん、どうか知恵を貸してください」と冗談めかして笑い、問いかけた。
それというのも歌舞伎座では、現在、感染症対策の観点から必要に応じて古典の演出を一部変更して上演している。花道での演技を本舞台に移したり、鳴物も含めた演奏家たちが衣裳にもみえる黒いマスクをしていたり。社会的距離を逆手にとった趣向で、観客を楽しませるケースもある。『角力場』でも、人が密集する見物衆の演出が変更されるという。
「知恵を働かせ、センス良くお見せしなきゃ芝居じゃありません」と白鸚は語る。好例として、ミュージカル『ハミルトン』(2016年、トニー賞史上最多ノミネート作品)をあげ、「ブロードウェイにラップを取り入れていましたね。お金をかけてやるところもあるけれど、それだけではキリがない。振付師や演出家のちょっとした知恵と技術を活かしている。最後は知恵、最後はセンスです」とコメントした。
松本白鸚 (c)松竹
そして「日本の歌舞伎は日本のお客様が育ててきてくださったものだと思っています。日本の歌舞伎は、最後には、日本のお客様が答えを出してくださるのではないでしょうか。その時まで、死ぬまで、我々役者はいい芸をお見せしていくしかないのだと思います」と頷いた。
■図夢歌舞伎、できないとは言いません
長男の松本幸四郎が手がけた「図夢歌舞伎『忠臣蔵』」(6月27日より5週連続、オンライン生配信)にも、「あれが普通になる時代がくるのでは。今でこそ物珍しさがありますが、変わっていく歌舞伎界、演劇界で、これまでの生き方を活かし、白鸚自身も考えないといけません」と言及した。
3歳で歌舞伎の舞台に立ち、17歳で『ハムレット』を演じた。ブロードウェイで『ラ・マンチャの男』を、ウエストエンドで『王様と私』を全編英語で単独主演。シェイクスピア四大悲劇の主演も果たし、『アマデウス』や、現代劇のシアター・ナインス、映像作品でも成功をおさめた。歌舞伎俳優でありながら、『ラ・マンチャの男』で同一主演者によるミュージカル上演回数日本記録も打ち立てている。

そのキャリアを振り返り「自分にあれ(図夢歌舞伎)ができないとは言いません、もっと飛んだ生き方をしてきましたから」と言ってニヤリとした。円熟期を迎えてもなおファイティングポーズをとりつづける白鸚に、勇気をもらう一幕だった。

「図夢歌舞伎『忠臣蔵』」の『仮名手本忠臣蔵 七段目』にあたる回では、幸四郎が映像の初代白鸚と共演した。その折、幸四郎から「七段目で、おじいちゃんに出ていただきます」と報告があったのだとか。「そうなの? と答えると、幸四郎は『すぐにOKしてくれました』だなんて言うんです(笑)。時空を超えて共演できる。 それが図夢歌舞伎なのでしょうね」と白鸚は笑顔をみせた。孫の染五郎は「学校と稽古に励んでいると思う」と語り、「僕らは相手役として、舞台を通して見せるよりほかはない」とエールを贈った。
■あとは役者と観客だけのもの
今も新型コロナウイルスと向き合う医療関係者への感謝、患者さんやご家族へのお見舞いを言葉にしつつ、生で舞台を見ることの醍醐味を次のように語った。
「8月は幸四郎の『与話情浮名横櫛』を観ました。かけ声こそありませんが、拍手は鳴りやみませんでした。10月の歌舞伎座に来ていただき、お楽しみいただけたら幸せです。幕が開きましたら、あとは役者とお客様だけのもの。役者とお客様で瞬間を共有する。長い人間の歴史の中でその瞬間しかありません。それを見られたな、貴重だな……というお気持ちになっていただけましたらうれしいです」。
松本白鸚 (c)松竹
白鸚は取材会の中で、過去のエピソードを語りかけ、「家内に、過去の話はしなくていい。あなたは前を向いて突き進んで、と言われております」と笑い、自粛することがしばしば。「このご時世、そういう姿勢でないといけません。裏方さん表方さんも含め、苦しみを勇気に、悲しみをそのままにせずなんとか希望に変えるのが仕事。自虐的な言葉も申しましたが、どっこい心は負けるものかという気持ちです」と明るく締めくくった。

『十月大歌舞伎』は、10月2日(金)~27日(火)まで、東京・歌舞伎座で上演される。1日四部制で、ひきつづき収容人数を50%以下にした座席となる予定だ。

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