デビュー20周年記念を2022年に迎える
ピアニストの上原彩子に聞く ~ 一日
一日を、そして、一回一回の出会いや
出来事を大切に

2002年にチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で、日本人史上初、そして、女性ピアニストとして初の優勝というセンセーショナルな話題をもたらしたピアニストの上原彩子。2022年に迎えるデビュー20周年を記念して、昨年から三か年計画でリサイタル シリーズを行っている。演奏家として、母として、そして、教育者として、多忙な毎日を送る上原。第二弾のリサイタル(東京オペラシティ コンサートホール)を来年2021年1月13日に控え、コンクール後の20年の歩みを振り返りつつ、現在、そして、今後について聞いた。

■リサイタル シリーズ第二弾は、「ショパンとラフマニノフ」
―― 2002年のチャイコフスキー・コンクールでの優勝は、上原さんのその後のキャリアや人生に、どのような意義をもたらしたのでしょうか。
もし、このコンクール (での優勝) がなかったら、ピアニストとしての活躍、そして、活動もあり得なかったと思いますし、私にとって、すべてのスタート、原点だと感じています。
―― デビュー20周年記念のリサイタルを、2019年から22年までの3年計画とした理由をお聞かせください。
皆さんに様々な曲を聴いて頂きたかったのと、 「ロシアの作曲家と、他の国の作曲家との繋がり」 という思いを大切にしたプログラムを作り上げたいというのもありましたので、一パターンだけではなく、様々な組み合わせで、まとまったプログラムができるかなと思い、数回に分けました。
―― そのような意味では、今回の第二弾における、ショパンとラフマニノフという二人の作曲家のカップリングは、とても興味深いですね。ショパンに影響を受けたロシア人のラフマニノフ。ロマン派の一つの系譜が描き出されています。あえて、“プレリュード” を中心とした脈絡のあるプログラミングも見事です。
第一部でショパンのプレリュード全24曲を演奏しますが、その中のハ短調20番を引き継いだ (テーマにした) ラフマニノフの ショパンの主題による変奏曲 で一夜のプログラムを締め括るというかたちになっています。
ショパンのプレリュード24曲全体像を考えると、冒頭、明るい春のようなイメージの曲から始まって、だんだん暗い色調が感じられるようになり、それがさらに深くなり、ついに激しさを増して、クライマックスを迎えるのが、中間地点を大きく超えた20番。そのまま陰鬱さが最後まで持続しつつ、終曲で爆発するというのが全体の流れです。
西洋の楽曲に関してよく言われるのが、すべてが等しい長さを持つ正三角形ではなく、頂点が真ん中より3分の2くらいのところにずれている三角形を形成するというのが音楽の理想のかたちとされているんですね。
ショパンの20番は、24曲を俯瞰した時、ちょうど逆三角形の下の辺にある、少しずれた頂点になっていて、その点をそのままに引き継ぐかたちで主題とし、変奏曲を生みだしたのがラフマニノフの ショパンの主題による変奏曲 なんです。
ラフマニノフは、この作品で、葬送曲ようなショパンのメロディを主題とすることで、そこから出発して、次第に祝祭的性格を帯びて、歓喜が爆発するところまで昇華させていくんです。ショパンのプレリュードとは全く逆の構図です。
なので、今度のリサイタルでは、まず第一部で、ショパンのプレリュードの明るい曲調から始まって、次第に暗くなり、そのまま、ラフマニノフにバトンタッチして、闇の底から、徐々に明るさを取り戻して、最後は祝祭性を帯びて歓喜へ向かう――という一つの大きな流れが聴衆の皆さんに少しでも伝わればと思っています。
―― 全体的に 「しっとりとした大人の曲」 が多いという印象もありますが、現在の上原さんの心境が曲目選びに表れているのでしょうか。
確かに、コンクール後も、とてもアグレッシブに弾いていましたし、エレガントさや優雅さというのは自分にはないと思っていました。でも、歳を経るにつれて、弱い音も出せるようになりましたし、かつては無理して歌っている部分があったものが、自然に歌えるようになって来たように感じています。
例えばラフマニノフのプレリュードなんかも、ゆっくりの曲が何種類もでてきますが、10~20代の頃には、無理やりやっていた感があったのですが、今は随分、自然に、しっくりいくようになりました。少しは大人になったんでしょうか (笑)。
―― 2022年の3年目のリサイタルでは、コンチェルト二題を一晩で演奏されるご予定と伺いました。
はい。残念ながら、曲目はまだ非公開なのですが、一晩にコンチェルト二作品演奏するのは、実はチャイコフスキー・コンクール以来なので、どうかな、できるかな、と少しドキドキしています。

■母として。そして、恩師への想いをつむぐ
―― デビュー以来、この20年で、ご結婚、出産、子育てと、上原さんご自身の生活環境も目まぐるしく変わっていったと思います。女性として、人間として経験を積まれたことで、音楽的にも、そして、心境にも変化はありましたか?
人生の経験値が音楽にどれだけ反映されるかというのは、本当に興味深いことですし、もし、自分がそれらを経験していなかったら、果たしてどういう音楽を演奏していたのだろうかと考えることもあります。
私として、最も理想的なのは、人間としていろいろな経験を積んだものが、自然な感じで音楽に滲み出るというような方向で演奏が発展していくというのが一番理良いかたちだと思っています。今回のプログラムでは、そのような点も、端々から感じ取ってもらえたらいいな、と思っています。
―― ツアー公演や海外公演も制限されことを覚悟で、お子さんを三人も育てるという選択をされた訳ですが、押しも押されもせぬ世界の頂点を極めた上原さんを、何がそう決意させたのでしょうか。
20代でコンクールを終えてみて、ふと自らを振り返ると、これだけ素晴らしい曲を弾いていくのに、音楽を表現する人間の幅みたいなものが全く追い付いていない、全然ダメだと気づいたんです。テクニック的な面ではなく、音楽的なレベルを向上させるには、もっと、ちゃんとした大人にならないとダメだと思ったんです。
ピアニストは、みんな、小さな頃からピアノしかやってきていないので仕方がないのですが、自分自身の音楽に人間的な未熟さばかりを感じてしまい、それではいけないと思ったんですね。
それで、もし、自分に子供がいて、もっと、別の事に視野が広げられれば、人間として少しは幅が広がるんじゃないか… というようなことを、23~24歳頃から、少しずつ感じ始めていました。幸いにも、そのようなタイミングが訪れたので、私としては何の迷いもなく、結婚や出産というものを受け入れたように感じています。
もう一つ、若さゆえの、子育てに対する無知というか、どんなに大変かということがわかっていなかったんですね。一人目を出産した後は、今までピアノ以外の事をやっていなかったので、新鮮で、楽しくて、楽しくて。
その勢いですかね、あまり先のことは全く考えずに、二人目が誕生して暫くしてから、「子育ては大変?」 と少し感じ始めたんです。結果的には、ようやく、3人目を出産した頃から、「あれ、大変なこともあるんだ」 と本当に実感し始めましたね (笑)。
―― 子どもさんたちからもらうエネルギーや、お子さんの世界がもたらしてくれる価値というのは、何にも代えがたいものがあったのではないでしょうか。
ピアノを続けていると、幸せなことも多いけれど、つねにいい事ばかりではないんです。一人だったら、きっと、「辞めたいな」 と思っていたかもしれないのですが、子どもたちが寄り添っていてくれたことで、お互いに支え合えたというのはありますね。
―― ご自身の3人のお子さんには、これからの人生において、どのようなことを大切にして欲しいと願っていますか?
彼女たちは音楽の道に進むということはないと思いますし、音楽を強制的に聴かせることもありませんが、私は家でも、ほとんど何かを強制することは無いんです。
ただ、小さい頃から、自分できちんと物事を考えて、間違っていてもいいから、自分の考えを持って行動して欲しい、と言っています。大人になる段階までにそれができていないと、社会に出た時に辛いと思うんですね。そういうのだけは、心がけています。あとは、もう、本当にほったらかしなんです。はっきり言うと、自分のことで精一杯で、もう、 「元気に、健康で生きていってくれれば」 っていう感じなんです (笑)。
でも、20歳までは、「何か困った時にはここにいますよ」 というところで寄り添ってあげたい。 「何かの時は味方だよ」 と言ってあげたいと、いつも思っています。それ以外は、もう、「どうぞ頑張ってください」 っていう感じです (笑)。
―― 楽しいご家庭が想像できますね。ところで、近年は、東京藝術大学音楽学部早期教育リサーチセンターで、後進の指導にも力を入れていらっしゃいますが、上原さんご自身、子どもたちに音楽を通しての早期教育の大切さというものを感じていらっしゃいますか?
東京藝大のセンターは、全国からオーディションを通った優秀な中学生が集まってきているのですが、みんな、見ていて楽しそうなんですよね。何が楽しいかと言うと、同じ志を持ち、同じ境遇にいる仲間たちと交流できるからなんです。この年代の子たちには、分かり合えるという仲間の存在がとても大切なんですね。普通に学校に通っていると、ピアノをそこまでやっている子たちには、なかなか出会えないんです。私もそれを経験しているので、すごくよくわかるんです。
あと、小学生までは先生に言われたことを頑張って、その通りにやっていればいいのですが、中学生になると曲も大人向けになりますし、それではうまくいかなくなってくる。自分の考えというものを持っていないと、うまく弾けないようになってくるんです。
ピアノというのは、他の学問やスポーツよりも、少し早く、大人に切り替わっていかなくてはならないところがあって、それを導いてあげなくてはいけないのが、ちょうど中学生の時期なんです。なかなか難しい課題なのですが、少しでも手伝ってあげられたらと思っています。
―― 才能を伸ばしていくというのは、素晴らしいお仕事ですね。
私自身、そういう先生に出会えたというのが大きかったですね。10歳の頃から師事していたヴェラ・ゴルノスタエヴァ先生という、モスクワ音楽院の先生ですが、生徒以上に情熱を持っていらして、こちらがびっくりする感じでした。私自身、そこまでできるかどうかわからないけれど、良いお手本にしていこうと思っています。子どもの頃から、大人になった絶対に教えなさいと、先生に言われていたので、それもずっと頭に残っていて。ちょうどいい機会と思い、今、そのようなかたちで思いを果たしています。

■一日一日、一回一回に全力を尽くす
―― 22年までは、20周年記念の一連のコンサートに集中されると思いますが、今後、近い将来、どのような演奏活動を展開していきたいとお考えですか?
最近、せっかく、こんなに長くピアノをやっているのだから、自分が弾きたいと思っている曲は全部弾かなきゃ、と思うようになったんです。歳を重ねるごとに曲が身体の中にスッと入ってくるペースが違うので、エンジンをかけて、あれもこれもやっておかなくてはと焦っています(笑)。
―― 室内楽なども、さらにレパートリーを広げていきたいと思われますか?
唯一、ほとんど経験していないのが、歌の伴奏なので、特にシューマンの歌曲をやってみたいです。シューベルトの歌曲は、まだ、少し敷居が高い感じがしますね。
―― 上原さんは、とても華奢でいらっしゃいますが、それだけの大曲に挑む体力は、どのように維持していらっしゃるんですか?
ピアノは、確かに、皆さんが思っていらっしゃる以上にアスリート並みの体力が必要です。私はとても小柄なので、自分でもキツイと思うこともありまして、今までは、ジムに行って鍛えていたのですが、コロナで行けなくなってしまったので、家で少し鍛えたり、ランニングなどをやっています。
―― 上原さんの演奏を拝見すると、心技一体というのがとても感じられます。普段からメンタル的にトレーニングなどもされているのでしょうか。
特別なことはやっていません。もちろん、いつも、いつも成功しているわけではないですから、うまくいかなかった時や、精神的に落ち込んだ時は、時間が解決してくれると思っています。
―― これからどのように上原さんが歳を重ねていらっしゃるか、ファンの皆さんも楽しみにしていると思います。
今、ピアノって何歳くらいまで弾けるんでしょうか?
―― 90歳くらいまで現役で演奏されている方も。
最近、いつまでも生きられると思って構えていると、ちょっと違うんじゃないかなと思うことがあるんです。20歳の頃は、いつまでも体力があると思っていましたし、いつまでも時間があると思っていました。でも、昨今のコロナ禍などを経験すると、もっと一日一日、一回一回の出会いや出来事を大事にしていくべきだと思うんです。
―― 一回一回のコンサートも、年々、密度が高まっていきそうですね。
自分の中では、気持ち的にそんな感じがしていますね。
―― 今回の3年連続のリサイタルの中でも、回を重ねるごとに密度が上がっていきそうですね。そうだといいですね!
取材・文:朝岡久美子
写真撮影:池上夢貢

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