P-MODELのデビュー作
『IN A MODEL ROOM』は
テクノポップを超越した
日本ニューウェイブの大傑作
これは“テクノポップ”なのか?
ただ──これは個人的に…と前置きするけれども、今回『IN A MODEL ROOM』を聴いてみて、果たしてこれを簡単に“テクノ”や“テクノポップ”と定義していいものか、少し戸惑っているところだ。作者がそう認めていることに異を唱えるのもどうかとは承知しているが、多くの人が“テクノ”や“テクノポップ”と言って想像する音楽と、『IN A MODEL ROOM』のそれとは若干趣が異なるように思う。ベクトルの違うような印象が拭えないのだ。今“テクノ”と言えば“ハードなハウスミュージック”のほうを指すのだからそれは明らかに別物としても、“テクノポップ”として語るにしても、少なくとも“シンセポップ”の方向ではないことは明白ではなかろうか。
まぁ、そのジャンル自体に明確な定義はないし、聴き手によって認識が異なるのは当然なのだが、あえて語弊のある言い方をすれば、『IN A MODEL ROOM』は少なくとも“大衆的”という意味でのポップさとは無縁な印象で、大衆には迎合しない姿勢を強く感じるのである。硬派と言ってしまうのも簡単だが、ポップという字面から感じられる軽薄さは微塵もない。個人的にはそう思う。
本作はM1「美術館で会った人だろ」で幕を開ける。楽曲のタイトルからしてどこか挑発的だ。イントロは8ビットサウンド的なシンセがシーケンサーで制御されているのか、いわゆるピコピコが鳴っている。ベースラインもビートにジャストで単調ではある。この辺を指して“テクノ”“テクノポップ”と言うのだろう。それはよく分かる。確かにそうなのだろう。『IN A MODEL ROOM』が発売された時点で、すでに『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』(1978年)は発表されており、本作の1カ月後にYMOの大ヒット作『SOLID STATE SURVIVOR』(1979年)もリリースされることになるので、まさに“テクノポップ”ブームの真っ只中。M1「美術館で会った人だろ」のイントロだけでP-MODELをそのジャンルにカテゴライズするのはむしろ自然なことではあっただろう。
ただ、この楽曲がそう単純なものではないことは、聴いていくとわりとすぐに理解できる。イントロに重なるエレキギターが、大半が無機質なサウンドで構成された中で唯一、生っぽい感じであることも“おや?”と思うところではあるが、サビ(Bメロ?)で転調するところで、この楽曲、ひいてはこのバンドは他とは何かが違う──少なくとも聴き手に優しいポップミュージックをストレートにやろうとしていないんだろうなと思う。そのサビは後半でさらに転調するので、それはすぐ確信に変わる。しかも、歌詞はこんな感じだ。
《美術館で会った人だろ/そうさあんたまちがいないさ/きれいな額をゆびさして/子供が泣いてると言ってただろ》《なのにどうして街で会うと/いつも知らんぷり/あんたと仲よくしたいから/美術館に 美術館に 美術館に/火をつけるよ》《夢の世界で会った人だろ/そうさあんたまちがいないさ/血糊で汚れた僕の手を見て/I LOVE YOUと言ってただろ》《いつの間にかひとり遊び/ドアの鍵しめて/あんたといいことしたいから/窓ガラスを 窓ガラスを 窓ガラスを/割ってやる》(M1「美術館で会った人だろ」)。
はっきりとその歌詞が何を意味しているかは分からないけれども、第二者に対して強烈にコミュニケーションを求めていることは疑いようがないし、それは聴き手に対して突き付けている要求であるとも受け取れる。気が付けばヴォーカリゼーションも、当初はベースラインに合わせた無機質な感じだが、どんどん躍動感を増し、後半ではワイルドになっている。シンセ、シーケンサーを使っているので確かに“テクノ”や“テクノポップ”とカテゴライズされるのも分からないではないが(それはそれで正解だろうが)、全体の聴き応えはやはりロックと形容したい代物である。攻撃性があるという観点から言えば、パンクと言ってもいいかもしれない。いや、本作発売の頃は本場のロンドンパンクも衰退期に入っていたから、ポストパンク、ニューウェイブと言うのが相応しいのだろう。