本田美奈子.を筒美京平&秋元康が
トップアイドルへ導いた『LIPS』

時代の寵児、秋元康氏とのコラボ

ここからは作家陣の話。アルバム『LIPS』収録曲は全て[作詞:秋元康/作曲:筒美京平]によるものであるが、まずは作詞家、秋元康から行こう。前述の通り、歌唱力には定評があった本田美奈子.である。デビュー曲1st「殺意のバカンス」から3rd「青い週末」までは[作詞:売野雅勇/作曲:筒美京平]、4th「Temptation(誘惑)」では[作詞:松本隆/作曲:筒美京平]という鉄壁の布陣が楽曲を提供していたことからも、いかに彼女が将来を嘱望されていたかが分かる(いずれも1985年の作品)。最初期においては若干方向性に迷いがあったとも聞くが、4th「Temptation(誘惑)」がスマッシュヒット。翌年のさらなるステップアップを狙ったスタッフは次作の歌詞を秋元康に依頼する。

当時の秋元氏と言えば、自身が構成を手掛けたテレビバラエティー番組『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』が高視聴率を上げていた頃で、そこに出演していたとんねるず、おニャン子クラブの楽曲の作詞も担当し、それらもヒットを連発と、氏がまさに時代の寵児となった時期である。本田美奈子.のスタッフはもともと秋元氏と親交があったそうで、その関係性から実現したコラボレーションだというが、これが見事に当たった。当時の秋元氏と言えば、とんねるずに演歌を歌わせたり、タブー視を取っ払って女子高生にセックスを歌わせたり(←これがおニャン子クラブ)と、視聴者の斜め上を行くような作風が特徴ではあった。結果としては、そこがさらにワンステップ上を目指す本田美奈子.にジャストフィットと言える。彼女の最大のヒット曲M3「1986年のマリリン」が生まれ、これによって、ついに本田美奈子.は本格的なブレイクを果たすことになる。

《マリリン 長い髪をほどいて/マリリン シネマスタア気取るわ/いつもよりも セクシーなポーズで/じれたあなたのそのハート 釘づけ》《マリリン ちょっと甘く歩けば/マリリン 私生まれ代わりね/いつのまにか 危ない大人/シャイな私のこの気持ち わかって》(M3「1986年のマリリン」)。

今、改めて歌詞を見てみると、それほど過激な内容ではない。1st~4thシングルも文字通り相手を“誘惑”するタイプの歌詞だし、次作である5th「Sosotte」もそんな内容なので、これだけが特に異質という感じもない。“マリリン”とはMarilyn Monroeのことだというが、「I Wanna Be Loved by You」とか「Happy Birthday,Mr.President」をもじった言葉が出て来るわけでもないし、これだけを見てMarilyn Monroeらしい内容かと言われたらちょっと微妙ではある。『LIPS』のジャケ写に写るコスチュームからすると、Marilyn Monroeというよりも、その“再来”と言われたMadonnaに近い印象だったのだろう。ぼんやりしているとまでは言わないけれど、歌詞だけで見たら当時の秋元氏にしてはややパンチに欠けるようにも思う。『LIPS』で言えば、よりバブル期の軽薄さが光るM2「リボンがほどけない」やM7「ドラマティックエスケープ」、あるいは氏が同時期におニャン子クラブを手掛けていたことの証左とも言える「1986年のマリリン」のカップリング曲であるM8「マリオネットの憂鬱」などのほうが秋元康らしい気はする。それぞれの歌詞を以下に記す。

《砂時計 落ちてゆく 時がふたりを黙らせる/もうきっと 同じテーブルで/冷えたシャブリを飲むこともない》(M2「リボンがほどけない」)。

《ガラス張りのエレベーター 夜を昇って行く/ネオン管の ハレーションが 流星みたいだね》(M7「ドラマティックエスケープ」)。

《ハレンチなことしたい 噂になるほど やばく/ハレンチなことしたい 後悔なんかはしない/私 本気よ》《束ねてた髪はほどいて 紺のブレザーも脱ぎ捨て/鏡の前で も一人の 自分を探していたのよ》(M8「マリオネットの憂鬱」)。

OKMusic編集部

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