RADWIMPSの
哲学とロックバンドとしての
革新性を『アルトコロニーの定理』
から振り返る
多彩なロックに独自性を注入
あと、意外と…と言ったら失礼ではあるが、『アルトコロニーの定理』収録曲にはブラックミュージックを下地にしたものが見受けられる。特にM5「七ノ歌」が印象的。野田がひとりで声を重ねたというゴスペル調のコーラスが圧倒的な存在感を放っている。エレキギターが重めなのでハードロック的な側面も強いが、ブルースフィーリングもしっかりあって、楽曲を骨太なものにしているのは確実である。ブルースフィーリングはM13「37458」でも感じられるところだし、遡れば、M4「謎謎」のディスコっぽい感じもブラックテイストと言えなくもない。この辺は野田が帰国子女だったことが関係しているのか、はたまたメンバーのルーツミュージックによるところなのか分からないけれど、バンドの世界観を奥深いものにしていることは明らかだろう。そして、“歌詞の特徴がサウンドにも当てはまる”と前述したのもこの辺りにある。ブラックミュージックの影響下にありながらも、その特有の泥臭さを抑え気味にしているように思う。これは本来、良くもあり悪くもあることだろうが、RADWIMPSとしては正解と言っていいだろう。リズム&ブルースを追求するようなバンドであればともかく、彼らはそうではないわけで、例えば、M5「七ノ歌」で本場のゴスペルシンガーを入れていたとしたら、何かのバランスが崩れていたように思う。あそこは野田ひとりの声だからこそいいのだ(洒落ではない)。
さらに言えば、前述したアルペジオへのこだわりもそうだし、ここまで触れて来なかったが、ラップ調の歌唱もそうかもしれない。パンク系のナンバーでも単音弾きを欠かさないところに“らしさ”は確実にある。抑揚なく淡々と進むヴォーカルは随所で見られるところで、特に韻を強調している感じではないようなので、これは本格的なラップではない。でも、それでいい。想像するに、歌詞が多いため──すなわち伝えたいことが多いために必然的にメロディーが乏しくなるか、サビなどのメロディーパートをよりキャッチーに聴かせるための抑揚を抑える部分が必要となるのか、ラップ調の意図はそんなところだろう。これもまた、本格的なラップがあったら、おそらく何かバランスが崩れるのだろうし、それ以前に興醒めのような気がする。特定のジャンルは尊重して、それをドラスティックに変化させるのではなく、独自の解釈をわずかに加えるだけで、それまで誰も見たことがないオリジナリティーを浮き上がらせる。誰にも簡単にできそうで、実は誰にもできることではないことをやっているのが『アルトコロニーの定理』であり、RADWIMPSであることを改めて知った。音楽に対するリスペクトの中に革新性を注入することを忘れない、ロックバンドらしいロックバンドなんだろう。
TEXT:帆苅智之