現在はデジタルアーティストとして活
動する元音楽プロデューサーの月光恵
亮氏が無観客配信トークライブ
「僕が、真樹日佐夫先生原作の漫画『ワル 』が好きだったから、主人公『氷室洋二』が『氷室』を頂きました。物腰は柔らかくても威圧感ある不良のオーラ。矢沢永吉みたいな歌唱力。ああいう曲を他の人が歌うとがなる感じになりがちだけど、氷室京介は違う。」(月光氏)
BOØWYは、1982年にツインギター、サックスの6人組でファーストアルバム「MORAL」(ビクター音楽産業)でメジャーデビュー。
「原宿のクロコダイルでBOØWYの原型となるバンドのライブを行なったんです。ギターは、諸星アツシ、ドラムは後のBARBEE BOYSの小沼俊昭でした。ベースは松井恒松(後の松井常松)。「フリクション」のギタリスト恒松正敏からヒントを得て僕が「恒松」命名しました。」(月光氏)
4人組になったBOØWYは、事務所を移籍し、大ヒットの後に解散。
「大ヒットは、嬉しかったですよ。ただ、長くは続かないバンドだとは感じていました。」オートモッドのギタリストだった布袋寅泰の招聘、高橋まことをオーディションで選抜等、見合い結婚のような形で結成されたバンドだった。BOØWY結成の仲人の一人だった月光氏だが、実は移籍にも月光氏の古い人脈の関与があったという。BOØWY解散後も氷室京介のソロのプロデュースに携わることになったパブリックイメージを設立した月光氏が氷室京介と再会したのは、ZIGGY「冬の陣」(寺田倉庫)だった。
「『良い曲だね。BOØWYみたいだね。この曲』ってヒムロックが言ったのがZIGGYの『I’M GETTIN’ BLUE』です。」(月光氏)
カラオケでも歌われる人気曲だ。
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