70sカントリーロックの
基盤を築いた
ポコの2ndアルバム『ポコ』

バッファロー・スプリングフィールドの
セッション参加

解散間近のバッファロー・スプリングフィールドがデンバー公演を行なった際、オープニングアクトを務めたのがべンジー・クリックで、その時に新メンバーとして同行していたジム・メッシーナはヤングのプレイに感銘を受け、バッファロー・スプリングフィールドのオーディションを受けるようにヤングに持ちかける。結局、ヤングはグラム・パーソンズのインターナショナル・サブマリン・バンドとバッファローのふたつのオーディションを受け、バッファローの最後のアルバム『ラスト・タイム・アラウンド』(’68)にフューレイ作「カインド・ウーマン」のレコーディングに参加する。この時、メッシーナとフューレイに新バンドへの参加を要請されている。ヤングはべンジー・クリックを辞め、デンバーからロスへと移住する。

ポコ結成と革新的なデビュー作

まずはフューレイ(Gu&Vo)、メッシーナ(Gu&Vo)、ヤング(Ps&Vo)の3人が新バンドの創立メンバーとなり、ドラムはヤングの紹介でベンジー・クリックの同僚だったジョージ・グランサムを呼び寄せる。ベーシストはオーディションによりザ・プアのランディ・マイズナー(のちのイーグルス)が選ばれ、ポコの活動がスタートする。

69年にポコのデビュー作となる『ピッキン・アップ・ザ・ピーセズ』がリリースされる。全米チャートでは63位止まりであったが、このアルバムこそ70年代のアメリカ西海岸カントリーロックの礎となる名作である。フューレイの複雑であるが斬新なコーラスアレンジ、ヤングのロックフィールにあふれたペダルスティールとドブロ、独特のテレキャスター奏法を披露するメッシーナの華麗なテクニック、そして、リズムセクションを担当するマイズナーとグランサムのふたりは当時の西海岸でおそらく最高の技術を持っていたのではないだろうか。『ピッキン・アップ・ザ・ピーセズ』は、まさにロックとカントリーを融合させた名作である。

残念なことにアルバムが仕上がる直前、編集作業に加えてもらえなかったマイズナーが激怒し、グループを脱退する。ジャケットのイラストはマイズナーの部分が犬に差し替えられ、クレジットでもサポートミュージシャン扱いになってしまった。この後、オーディションでマイズナーと競い合ったティム・シュミットが加入する。のちにイーグルスでマイズナーが脱退した時も代わりにシュミットが参加しており、このふたりの関係は何か因縁めいたものがある。

OKMusic編集部

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