及川光博はなぜ歌手と俳優の
二刀流を選んだのか?
『嘘とロマン』に見る
“ヤング・ミッチー”の潔さ
複雑な恋愛感情を綴った歌詞
《三日月のプリンセス/君のタイトなつぼみ 夜毎に花ひらく》《三日月のプリンセス/君のルーズな舌が 生み出す抽象画/プリンセス これ以上は無理かも/果てるなら お供させて どうか…》(M2「三日月姫」)。
《愛情としか言えません/伝えたい 表現(パフォーマンス)したい/だが その術を僕は知らない/嫌だ!嫌だ!嫌んなっちゃうなもう!/瞬間にかける意気込み/負けません 負けるもんか/だが そんな僕を君は知らない/子供じみた夜 うずくまる大人ひとり》(M3「その術を僕は知らない」)。
《何度目になるのか/あまり良く覚えていないけれど/また一人 大事な人と/別れなくちゃならないみたいだ》《こんな見なれない景色に/わざわざ呼び出すなんて/誰かに相談したのかい?/髪型まで変えてさ…》《あんまり カワイクない君だったけど/今日はやけに 素敵だね》(M5「君がいなくても」)。
《本当に好きな人はいますか?/精神(こころ)も裸にできますか?/それでいいなら 別にいいけど… 笑う》《寂しいから ツライから ステキな人 現れるまで/とりあえず 「アイシテル」》《働いて 浮気して 八つ当たりして なぐさめあって/抱きよせて またキスをして/からませて つらぬいて 波にさらわれてしまうまで/合言葉は 「アイシテル」 それだけのこと?》(M7「彼と彼女のこと」)。
《言葉よりも確かなもの 肉体よりも曖昧なもの/見つからなくて 二人 かすり傷増やして》《…いっそのこと フィアンセになりたい》《“誰よりも あなたのこと 理解しているのは私”/そんな態度が 僕の プライド逆なでる》《友達になんかもどれっこない/君だけのために生きられない/とまどいながら 二人 キスをくり返して/もう 悩まないでこれ以上 愛しく思えば思うほど/孤独を感じるのは何故だろう?》(M8「フィアンセになりたい」)。
《やりかけの恋を残して/生まれた国へ飛ぶ翼/別れぎわの言葉 意味がわからないまま/切り過ぎた髪の分だけ/幸せになればいい/よく似合うよ とてもよく…》(M14「展望デッキー夜間飛行」)。
欲望に忠実でありたいと思いつつも(M2「三日月姫」)、だからこそ理性との狭間で悶々とし(M3「その術を僕は知らない」)、別れ話にはシニカルかつニヒルに対処することもある(M5「君がいなくても」)。真っ当にモラルを説き(M7「彼と彼女のこと」)、自身も恋愛、性愛に真摯であれと祈りながらも(M8「フィアンセになりたい」)、伊達者に決める(M14「展望デッキー夜間飛行」)(※ミッチーの場合、伊達者よりも“傾奇者”としたほうがいいかもしれない)。それぞれに“イズム”が貫かれている。本作の発売が1998年2月ということは、制作時、ミッチーは28歳くらいか。若さゆえ…とも言える逡巡をタブー視することなく露呈していると言ってもよかろう。“ヤング・ミッチー”の潔さとも言えるし、シンガーソングライターとして、アーティストとして真っ当なパフォーマンスだと言える。また、そうした表現に対する躊躇のなさを、ファン(※ミッチーの場合、女性は“ベイベー”、男性は“男子”と呼称される)やリスナーに向けて発信しているのもポイントと言える。
《理不尽さ・嘘・ウソ! 偽善と排除としがらみ/数えだしたらキリがない! あくまで人は他人だから》《僕の“悲しみロケット2号”で新しい地球を探そう/甘く壮大なスケールで 気分はギャラクシー/君の悲しみほんのちょっとでも ほんのちょっとでもいえたら/さよならサ アンハッピーデイズ》(M13「悲しみロケット2号」)。
恋愛における多種多様な感情もさることながら、こうした“メッセージ”(※あくまでカッコ付き)を見聞きできるのは、映画や演劇、ドラマでは感じ取れない“歌手・ミッチー”の醍醐味と言える。