『JUSTICE』で
徳永英明が世に問うた
“本当の幸せ”と“本当の愛”とは?
“JUSTICE”とは何か?
《傷つくことが 傷つくことが/勇気と出会うなら/迷い歩いて 地図を辿れば 何かに出会うだろう》《失うことが 失うことが/明日を生きるなら/涙ほどいて 風を頼れば 何かに出会うだろう》《瞳の中に きっと僅かな 本当の愛がある》(M10「JUSTICE」)。
歌詞はオープニングで示された問題提起、自問自答に対する答えとは言えるが、かと言って、そこに明確、的確な示唆はない。日々の暮らしの中で傷つくことも失うこともあると言いつつも、《何かに出会うだろう》としか言っておらず、結論に至っていないとも言える。JUSTICEとは“正義”“公正”という意味であるけれども、歌詞の中ではその辺にも触れていない。強いて言えば《本当の愛》がそれに当たるだろうが、それにしても《きっと僅か》だと言っているのだから、100パーセントの確証があるわけでもなかろう。別にあやふやなことを言うなとか指摘したいわけではない。これが本作のテーマであり、彼のメッセージなのだと思う。《本当の愛》≒“JUSTICE”とは何か? 明確な答えはすぐに見つからないだろうが、その答えを求め続けることがアーティスト・德永英明の命題であると宣言しているように聴こえる。もっと言えば、《思春期に少年から 大人に変わる/道を探していた 汚れもないままに》(M2「壊れかけのRADIO」)や、《素直な自分が恋しくて/都会のネオンに透かしたら/時代に向けた服を選んだ 大人になっていた》(M10「JUSTICE」)との歌詞から考えると、それこそが大人の役割だと言っているようにも想像できる。この辺は德永英明本人が『JUSTICE』とはそういう作品であると断定したわけでなく、筆者がそう思っただけであることをご承知おきいただきたいのだが、この見立てがどうであれ、美声で聴き手の琴線を刺激するだけでなく、そこにさらなる揺さぶりをかけてくるような成分が含まれているのは間違いないだろう。シンガーソングライターの作品としてしっかり一本筋が通っている。
一本筋が通っている…と言えば、『JUSTICE』はアルバム作品としての体裁がしっかりしていて、その点でも筋が通っていることを最後に改めて記しておきたい。簡単に言えば、アルバムとしての流れがしっかりしているのである。前述のM1「NEWS」、M2「壊れかけのRadio」での問題提起がM10「JUSTICE」につながるのがまさにそれだが、そうした大枠のことだけでなく、《テレビは言葉を伝えてる/彼らの叫びは伝わらず》(M10「JUSTICE」)といったところは“壊れかけのRadio”との関係を想像させる。あと、M3からM9のさまざまなシチュエーションのラブソングにしても、《思春期》の《恋に破れそうな胸》や《迷子になりそうな夢》(M2「壊れかけのRadio」)であったり、《傷つくこと》や《失うこと》(M10「JUSTICE」)であったりの具現化と見ることもできる。つまり、一曲一曲が独立しているものの、『JUSTICE』の下に集い、集うことでそれぞれがふくよかになったり、より立体的に受け取ることができるという印象が強い。「壊れかけのRadio」はまごうことなき名曲で、もちろん単体で聴いてもいい楽曲であるのだが、アルバムの中の一曲として聴くことで、その他の収録曲との相乗効果を生むのである。どんな曲でも手軽に聴くことが出来るサブスクの時代の今だからこそ、その点はいつも以上に強調したいところだ。『JUSTICE』はアルバム作品の意義や存在理由も見出すことができる傑作である。
TEXT:帆苅智之