前川真悟(かりゆし58) 自分の存在
意義や価値を疑った日々を経て見えた
、音楽観の変化と未来のビジョン

「アンマー」「さよなら」などで知られるかりゆし58のボーカリストにして、沖縄の音楽シーンの中心的な存在(本人曰く、“連絡係です”)である前川真悟が、表現の幅を大きく広げている。

6月には、ソロ楽曲「ストロボ」「瞬間のマシンガンfeat.ORIONBEATS」「ハローカリフォルニアfeat.ORIONBEATS」をリリース。さらに沖縄の観光スポット“国際通り”の応援を目的とした「エールソング」プロジェクトを立ち上げるなど、人、土地、音楽をつなげる活動を継続している。
コロナ禍になり、“自分の存在意義や価値を疑った”という日々を経て、さらに豊かな音楽を紡ぎ出しつつある前川。ソロ楽曲の制作プロセスを中心に、彼自身の音楽観の変化と未来へのビジョンについて語ってもらった。
――今年6月に「ストロボ」「瞬間のマシンガンfeat.ORIONBEATS」「ハローカリフォルニアfeat.ORIONBEATS」をリリース。“前川真悟”名義のソロ活動が本格的にスタートしました。
コロナ禍の産物ですね。この1年で20曲くらい作ったんですけど、予定していたかりゆし58のツアーが中止になったこともあって、(ソロ名義で)リリースすることになって。
――バンドの活動が止まったこともきっかけだった?
そうですね。不安もあったし、自分の存在意義や価値って何だろう?と見つめ直して。“俺はもしかしたら無価値な人間なのかもしれない”と思ったし、それが怖かったんですよ。自分だけじゃなくて、知り合いのミュージシャンもぽっかり予定があいて、何をすればいいかわからないという人もけっこういて……。そういう人たちとビデオレターを交わすように曲を作り始めたんです。“こういうトラックがあるけど、どう?”“じゃあ、歌を乗せてみる”みたいな感じで。ジャンルや年齢も関係なく、いろんな人たちとやり取りするなかで少しずつ曲が形になっていったというか。居場所が見つかった気がしたし、やってよかったなと思います。
――それぞれの楽曲についても聞かせてください。まず「ストロボ」は青春時代の恋愛を描いたノスタルジックなナンバー。
“初のソロ作品”という冠が付いてますけど、作詞、作曲を両方やったのはこの曲だけなんですよ。きっかけとしては去年、かりゆし58が結成15年目を迎えたことが大きくて。これまでのことを振り返るなかで、純粋無垢な恋心を久々に描いてみたいなと思ったんですよね。バンドを始めた頃、デビューからしばらく経った時期までは(10代の時期と)それほど年齢が離れていなかったから、10代の主人公に自分を投影することができたんですけど、“そう言えばこの10年くらい、ラブソングを書いてないな”と気付いて。あとはやっぱりコロナの影響もありますね。人と会いづらい、会うのが憚れる時期が続いていたし、もどかしさを感じていて。大事な人に会いたい、触れ合いたいと思っていた人も多かっただろうし、そういう切実な気持ちを歌にしてみたくて。最初はかりゆし58のグループLINEで“こんな曲できたけど、どう?”ってデモを送ったんですけど、既読スルーだったんですよ(笑)。
――(笑)たまにありますよね、メンバーのみなさんの既読スルー。
ありますね(笑)。その頃はコロナでバンドも動けなかったし、アウトドアを楽しんでるメンバーもいて。たぶん、ちゃんとLINEを見てなかったんでしょうね(笑)。
かりゆし58で沖縄の歴史や戦争のことに触れるときは、もっと根を据えてきっちり描くと思うけど、ソロの楽曲ではあえてイエスともノーとも言ってないんです。
――なるほど(笑)。「ストロボ」のトラックメーカーは、沖縄を代表するギタリスト 前濱 YOSHIRO a.k.a. Snufkin joeさんです。
YOSHIROと出会ったのは20年くらい前なんですよ。ネーネーズの楽曲もアレンジしているし、この10年は一緒に曲を作ることもあって、家族みたいな関係ですね。ORANGE RANGEやHYともつながりがあるんですよ、YOSHIROは。HYを脱退した宮里悠平も、最初はYOSHIROにギターを教わってたり。
――そうなんですね! 「瞬間のマシンガン feat.ORIONBEATS」は、格闘家の小鉄選手 (K-1 ジム琉球チーム琉神 ) との出会いから生まれた楽曲だとか。
はい。小鉄選手も沖縄出身なんですけど、去年の4月くらいに初めて会って。沖縄は空手発祥の地なんですけど、沖縄にしっかり根付いたK-1選手は今までいなかったんですよね。彼、今年で38才なんですよ。自分たちはバンドを15年やってきて、この先も10年、20年とやりたいと思ってるんですけど、格闘家はそうじゃなくて、“来年はリングに立てるかわからない”という覚悟で生きている。選手としての寿命とも戦ってるんですけど、彼と話をしているときに“近々、大事な大会があるから、入場曲を作ってほしい”と言ってくれて。小鉄選手はレゲエが好きだから、ダンスホールにしようかなと思ったら、“ダンスホールはそんなに好きじゃないんです”と言われ(笑)。とは言え、“これが最後の試合になるかも”という大舞台で、チルなレゲエは合わないじゃないですか。
――確かに(笑)。
僕自身、レゲエは好きでよく聴くけど、そこまで詳しいわけではなくて。で、RYUREX(元MEGARYU)に相談したら“古いダンスホールとテクノを合わせてみたら?”とアイデアをくれたんですよ。そこから哲史に(廣山哲史/ORIONBEATS)アレンジしてもらったんですけど、すごくいい感じに仕上がって。“テクノDJがレゲエを解釈したらこうなる”というトラックですよね。
――やはり人と人とのつながりから生まれた曲なんですね。「ハローカリフォルニアfeat.ORIONBEATS」も、廣山哲史さんが作曲、トラックメイクを担当。この曲は沖縄の米軍基地のことがテーマになっていて。
はい。去年の春、子どもの学校が休みになって、沖縄の北部でのんびり過ごしていたんです。辺野古の近くだったんですけど、買い物のときに基地建設の現場あたりを通ると、ダンプカーが長蛇の列をなしていて。その光景を見て、“これはスケッチしておいたほうがいいな”と思ったんですよ。基地の中はカルフォルニア州なので、それをタイトルにして。
――《ひとつでも多く ひとつでも永く/守りたい あとほんの少しだけでも》という歌詞も印象的でした。
イエスもノーも言ってないんですけどね、じつは。かりゆし58で沖縄の歴史や戦争のことに触れるときは、もっと根を据えて、きっちり描くと思うんですよ。ソロの楽曲では、あえてイエスともノーとも言わず、光景をスケッチするほうがいいのかなと。
――埋め立て工事の光景を描写することで、ドキュメントを見ているような感覚もあって。「ハローカリフォルニアfeat.ORIONBEATS」は、6月23日の慰霊の日(沖縄戦等の戦没者を追悼する日)のリリースですね。
はい。つい最近も「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市)に行ってきたんですよ。ひめゆり学徒隊の紹介が中心なんですけど、一人一人、“身体があまり強くなくて、外で遊ぶことは少なかったが、周りに気づかいができる生徒だった”みたいな紹介がしてあって。そのことで、みなさんの存在がグッと近くなるんですよね。生き残った方の写真もあって、心から“良かった”と思ったり……。当たり前ですけど、一人一人の命は本当に大切で、数字では語れないですよね。
――ひめゆり平和祈念館はコロナの影響で厳しい経営が続いていて。全国から寄付が寄せられたことも話題になりました。
キヨサクさん(MONGOL800)が中心になって支援ライブもあったんですよ。古謝美佐子さん(こじゃ・みさこ/沖縄民謡歌手)、KIROROの玉城千春さんも出演して。自分たちも力になれることがあれば協力したいですね。

コロナの影響で街に元気がなくなって、みんな困っていて。少しでも元気が出るような活動をしたいということで、「エールソング」を作るプロジェクトをやろうと。きっかけは嫁ニーで。
――さらに7月1日には新曲「PARTY」がリリースされました。
YANAGIMAN(ケツメイシFUNKY MONKEY BABYSなどの楽曲を手がけたプロデューサー)と一緒に作らせてもらった曲ですね。他の曲と同じように、トラックやメロディ、歌詞を文通しながら。もともとは沖縄ローカルの携帯電話のCMのコンペ用に作ったんですけど、携帯電話は今や、人との唯一のつながりでもあるなと思って。
――ホントですよね。オンラインのつながりがすごく大事になったり。
そうなんですよね。あと、パーティや宴って、つまはじきにされてるじゃないですか。この曲の歌詞を書いてるときは、“party”という言葉自体を救済したいという気持ちもあったし、それが“君の声を聞くと胸が躍る”というテーマになったんです。YANAGIMANさんとは「エールソング」というプロジェクトも立ち上げたんですよ。きっかけは“嫁ニー”(平良司)で。
――沖縄の国際通りで飲食店をやってる方ですよね。
そう、国際通りのマスコットみたいな存在なんですよ(笑)。コロナの影響で街に元気がなくなって、みんな困っていて。少しでも元気が出るような活動をしたいということで、「エールソング」を作るプロジェクトをやろうと。せっかくだから嫁ニーが歌う曲がいいだろうなと思って、楽曲を制作しました。僕が歌う曲と嫁ニーが歌う曲を収録したCDを作って、国際通りの飲食店に10枚セットでプレゼントしようと思ってるんですよ。店の常連さんに買ってもらって、10枚売れたら、1万円のお小遣いになるかなと。
――音楽を通して元気を届けて、お店にとってはお小遣いにもなって。素敵なアイデアですね!
制作費はクラウドファンディングで調達させてもらったんですけど、それだけじゃなくて、“もっと商店街を応援できることはないかな?”と嫁ニーと話し合って。あと、楽曲のMVを京都芸術大学出身のみなさんに作ってもらったんですよ。その縁もあって、「エールソング」プロジェクトのCDを京都の商店街にも配らせてもらおうと思ってます。もっとエリアを広げたいんですよね、今後は。広島出身の中西圭三さん、島谷ひとみさんに協力してもらって、広島の商店街にCDを置かせてもらえることになって。その他にも、大阪や東京にも広げたいと思ってます。僕は早稲田の街とも縁が深いんですけど、水道屋の人が“俺も歌いたい”って言ってくれたり(笑)。
――早稲田周辺には個人経営の飲食店も多いし、コロナ禍ですごく厳しい状態が続いてますよね。
そうなんですよ。僕の沖縄の後輩も、早稲田で沖縄料理の店をやってるんですけど、何か月も店を開けられない時期があって。日本中がそういう状態だと思うし、少しでも力になれたらなと。
――素晴らしい。ビジネス的にはぜんぜん成り立たないと思いますが…。
まあ、それはどっちでもいいですよ(笑)。僕らが作った曲を聴いてもらえて、ちょっとでも“今日も生きててよかった”とか、明日が良く見えるようになったらいいなと。そうやって輪が広がるのが嬉しいんんですよね。次の作品に対する期待にもつながると思うし。
――人と人のつながりのなかで音楽が生まれて、人々の生活のなかに浸透していく。そういう活動、本当に大事だと思います。
ありがとうございます。イトキン(ET-KING/2018年に逝去)が書き残した楽曲を形にして、リリースするプロジェクトもやってるんですよ。売り上げは奥さんと子供に渡すことになってるんですけど、イトキンらしい、おもしろい方法でリリースしたいと思って。『ビッグイシュー日本版』(ホームレス状態の人が路上で売る雑誌)にQRコードを付けさせてもらって、先行リリースするんです。同じ号に“せいろくさん”の自立に向け特集記事も掲載されるんですよ。
――せいろくさんは、「ヨナオシジャングル」(社会貢献とエンタメを融合させるプロジェクト)で前川さんと楽曲「かわがないてるよ」を制作した方ですね。
はい。その特集が載ってる号でイトキンの曲を聴いてもらえるのは、すごく意味があるなと思って。
たぶん、ちょうどいいんだと思いますよ、自分の立ち位置が。やってることが連絡係みたいな感じなんですよ。
――なるほど。それにしても前川さん、コロナ禍でもぜんぜん止まらないですね。楽曲も作り続けているし、新たなプロジェクトにも積極的で。
それが自分の資質なんでしょうね。何もしないでゆっくり過ごせないというか。一つのプロジェクトが形になって、“よし!”と思ってたら、すぐに次の話が来たり。今はそういう時期なんだと思うし、バタバタと忙しくしてるのも嫌いじゃないので。まあ、もっとのんびりできるのが大人なのかもしれないけど(笑)。
――(笑)沖縄のミュージシャンたちとのつながりも軸になってますよね。
そうですね。今年の3月にBEGINの優さん(島袋優)が声掛けしてくれて、高校3年生と一緒に楽曲を制作したんですよ(卒業を控えた県内の高校3年生と沖縄のミュージシャンが楽曲を制作する「Smile Together(スマイル・トゥゲザー)」プロジェクト)。キヨサクさん、Kiroroの綾乃さん(金城綾乃)、DIAMANTESのアルベルト城間さん、Anlyさん、ORANGE RANGEなども関わって。満島ひかりさんも急遽参加してくれて、すごく大きなプロジェクトになりましたね。「We are the world」的な感じもありました。
――めちゃくちゃ豪華ですね!
みなさんも沖縄にいる時間が長かったと思うし、改めてつながれたのは良かったですね。優さん、キヨサクさん、Kiroroのお二人もそうですけど、“こんなに素晴らしいミュージシャンが身近にいるんだ”と改めて感じられたというか。(「Smile Together(スマイル・トゥゲザー)」)は結果的には大きいことになりましたけど、ぜんぜんストレスがなかったし、スムーズだったんですよ。感覚としてはパパパパパッという感じで形になったというか。全員のスタイルが違って、お互いに認め合えているのもいいんでしょうね。
――しかも前川さんが中心になっている印象もあって。頼られることも増えているのでは?
たぶん、ちょうどいいんだと思いますよ、自分の立ち位置が。やってることが連絡係みたいな感じなんですよ。たとえば優さんに、“こういうことをやりたいんだけど、キヨサクに伝えといて”と言われたり(笑)。自分のノリも“やってみよう”みたいな感じだし、“この話、真悟に伝えると喜ぶんじゃない?”と思ってくれるんじゃないかなと。この前もI-VANから連絡があって。I-VANはレゲエダンスで世界一になったダンサーなんですけど、同じ世代のラッパーといろんな活動をしているんですよ。
――“前川さんも一緒に曲を作りましょう”って?
いや、この前の話はテレビ番組ですね。沖縄のビーチにウッドデッキの施設があって、バーベキューしながら話したり、ライブをやる音楽バラエティ番組を作りたいと。“ライブをやってほしい”という依頼だったんだけど、行ってみたら、CGを使った番組だったんですよ。それが本当に素晴らしくて、最高だったんです。I-VANが気球で登場したり(笑)。CG制作もI-VANの仲間がやってて、それも本当にすごくて。この先の配信ライブにも活かせそうだなと。普通にライブができる状況になっても、配信は残っていくと思うので。
――ミュージシャンだけではなく、映像クリエイターとのつながりも大事ですよね。
そうだと思います。そう言えばこの前、アルベルト城間さんから“ミュージシャンの絵画展をやりたいんだけど、真悟も出展しない?”って言われて。僕は無理かもしれないけど(笑)、沖縄出身のミュージシャンは絵が上手い方も多いんですよ。Coccoさん、勝さんもそうだし、モンパチの悟さん(髙里悟)さんもそうだし。
それぞれに旅をして、またバンドに戻ってきて。半年後には(デビュー記念日)2月22日が来るし、そのときまでにはいい報告ができるように頑張りたいですね。
――どんどん広がりますね! 今後予定されているプロジェクトもあるんですか?
じつは自分の母ちゃんのCDを作ってます(笑)。昔から“生きてるうちに歌手デビューしたい”って言ったし、古希を迎えたこともあって、8月19日の母の誕生日にリリースしようと。七夕にレコーディングしたんですけど、母ちゃんは喜んでますね(笑)。
――最後に、かりゆし58の今後の活動について。この夏はようやくライブが再開できそうですね。
8月からはツアー(『ハイサイロード2021―バンドワゴン―』)が始まって。ずっとバンドを離れていた洋貴(中村洋貴/Dr)が戻ってきたことをまったく謳歌できてなかったんですけど、ようやく“おかえり”って言ってもらえますね。今年はメンバーが40才になるし、楽しみたいと思ってます。コロナで活動が止まりましたけど、結果的にはいい流れになってるし、そんなにイヤなことばかりじゃなかったですね。
――楽曲の制作に関してはどうですか?
まさにこの前、メンバーと話し合ったんですよ、“いい加減、制作しようか”って(笑)。行裕(新屋行裕/Gt)は“ボルタリングやりすぎてギター弾けない”とか言ってるし、直樹(宮平直樹/Gt)は幽霊、オカルトにハマってて。『やついフェス』で怪談のステージに出ましたから(笑)。
――ハハハハ(笑)。
それぞれに旅をして、またバンドに戻ってきて。半年後には(デビュー記念日)2月22日が来るし、そのときまでにはいい報告ができるように頑張りたいですね。楽曲の制作はこれからですね。メンバーと話し合いながら、少しずつ作っていけたらなと。僕も制作を続けてきて“作る脳みそ”になってるので。
――ここ数年は前川さん以外のメンバーもどんどん曲を書いてますからね。
そうなんですよ。この1年半は不安を感じたり、切実な状況もありましたけど、メンバーはアウトドアにも凝ってたし(笑)、地元で家族と過ごす時間もたっぷりあって。それを経て、いい曲が出てくるんじゃないかなと思ってます。
取材・文=森朋之 撮影=菊池貴裕

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